悪役令嬢として婚約破棄されましたが、異議はありません。

鏡おもち

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「……ぎゃああああああっ! 数字が、数字が私を殺しに来るぞ!」

 第一王子レナードの悲鳴が、深夜の王宮に木霊しました。
 彼の目の前には、ルビーが去る前に「親切心」で残していった、厚さ三十センチを超える『年度末最終決算報告書(暫定版)』が鎮座しています。

「殿下、落ち着いてください! まだ第一項の『雑費の不一致』の確認が終わったばかりですぞ!」

「落ち着いていられるか! なぜ支出の合計が、国家予算の百二十パーセントになっているんだ! 二十パーセントはどこから湧いて出た!」

 財務大臣が、震える手で眼鏡を拭きながら答えました。

「それは……ルビー様が今まで、ご自身の公爵家からの持ち出しや、資産運用で得た利益で『こっそり穴埋め』していた分です。彼女がいなくなった途端、その魔法の補填が消え、純粋な赤字が顔を出したのです」

「あいつ、そんな勝手なことを……! なぜ黙って補填していたんだ!」

「『説明しても殿下の処理能力を超えますので、私が解決しておきますわ』……と、以前の会議録に記載がございます。……当時の殿下は『おう、任せた』と鼻をほじりながら仰っていますな」

 レナードは机に頭を叩きつけました。
 当時の自分を斬り殺したい衝動に駆られますが、今はそれどころではありません。

「レナード様ぁ、そんなに難しい顔をしないでくださいな。ほら、私が数字を可愛く書き直してあげましたわ!」

 そこへ、空気を読まないシルヴィア様が、ピンク色のペンでデコレーションされた書類を持って現れました。

「シルヴィア……なんだ、これは」

「マイナスって書いてある数字の横に、お花を描いておきましたの!『お花がいっぱい=幸せいっぱい』ってことで、これでお金の問題も解決ですわね!」

「……財務大臣、この女を今すぐ地下牢へ連れて行け。……いや、その前に、このお花だらけの書類をルビーの元へ送って、添削してもらってくれ! 頼む!」

「殿下、無駄ですよ。ルビー様からは、先ほど弁護士経由で『他社の内部監査には一切関与いたしません。コンサル料を払うなら別ですが、最低でも金貨五千枚からです』との通知が届きました」

 金貨五千枚。もはや今の王宮には、そんな端金(はしたがね)すら残っていません。
 差し押さえで家具すら奪われた執務室で、レナードは虚空を見つめました。

「……なぁ、大臣。この『繰越欠損金』という単語は、真実の愛で相殺できないのか?」

「殿下。それを口にした瞬間、我が国の経済は死にます。……さあ、今すぐ削れる予算を探してください。まずは、殿下のシルヴィア様への贈り物代から始めましょうか」

「い、いやだ! それは嫌だぁぁぁ!」

 阿鼻叫喚の Asteria 王宮。
 一方その頃、隣国のヴァレンティーノ王国では。

「……よし。決算作業、定時で終了ですわ。誤差は零点零一パーセント以内。完璧ね」

 私は優雅に背伸びをして、セバスに提出用の書類を渡しました。
 隣国での初めての決算でしたが、カイル殿下が用意してくれた事務官たちが非常に優秀で、ストレスフリーで終えることができましたわ。

「お疲れ様です、お嬢様。カイル殿下より、『決算ボーナス』としてこちらの鍵を預かっております」

「……鍵? なんの鍵かしら」

「王宮直属の『最高級ショコラティエ専用・秘密の試食室』の鍵だそうです。今夜は貸し切りだとか」

「……っ! 流石はカイル殿下、私のモチベーション管理を完璧に把握していらっしゃるわ!」

 私は鼻歌を歌いながら、ご褒美のチョコレートを目指して廊下を駆け出しました。
 遠い国で、かつての婚約者が数字に溺れて死にかけていることなど、今の私には「計算の隅っこ」にも入り込む余地はないのでした。
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