悪役令嬢として婚約破棄されましたが、異議はありません。

鏡おもち

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「……あああああ! 計算が、計算が合わない! なぜだ! 一たす一は、愛があれば三になるんじゃないのか!」

 アステリア王宮の、暖房すら止められた極寒の執務室。
 レナード殿下は、髪を振り乱しながら白紙の帳簿を叩きつけました。
 かつての豪華な調度品はルビーの弁護士に差し押さえられ、今の彼はリンゴ箱を机代わりにしています。

「レナード様ぁ、そんなに怒るとお顔にシワが増えてしまいますわ。ほら、私が計算を簡単にしてあげましたの。支出の欄を全部、可愛いハートマークで塗りつぶしておきましたわよ!」

「シルヴィア、お前……! それは一番やってはいけない修正だ! ハート一つで金貨何枚が消えたか分からなくなるだろうが!」

「まあ、失礼ね! 私はただ、この国を愛で満たそうと思っただけですのに! ……あ、そうだわ。お腹が空いたので、市場で一番高いケーキを買ってきてくださる?」

「金がないと言っているだろう! 昨日の夕食は、雑草のスープに私の靴の紐を煮込んだものだったんだぞ!」

 そこへ、もはや幽霊のような顔つきになった財務大臣が、震える手で報告書を持ってきました。

「殿下……。もう、限界でございます。……城門の外に、農民たちが『年貢の返還』と『ルビー様の復職』を求めて集結しております。その数、およそ三千」

「な、三千!? 私のファンクラブの集いか何かか?」

「いいえ。全員が手に鍬(くわ)と松明を持って『無能な王子を引きずり出せ』と合唱しております。……非常に熱狂的な、処刑希望者の方々ですな」

 レナードはガタガタと震え、リンゴ箱の下に隠れようとしました。

「な、なぜだ! 私はただ、真実の愛に生きただけだぞ! なぜ国民は私を支持しないんだ!」

「殿下。国民が支持していたのは、殿下の『愛』ではなく、ルビー様が差配していた『安定した物価』と『迅速な行政サービス』です。……それらが全て消滅した今、殿下はただの『税金を食い潰す高価な置物』に過ぎません」

「う、うるさい! ルビーさえ……ルビーさえいれば、こんなことにはならなかったのに! あいつ、今どこで何をしているんだ! どうせ隣国で、私のことを想って泣き暮らしているんだろう!?」

 その時、執務室の窓を突き破って、一枚の号外(ビラ)が投げ込まれました。
 そこには、隣国の華やかなパレードの写真と共に、特大の見出しが躍っていました。

『ヴァレンティーノ王国の新星! ルビー・フォン・ベルシュタイン氏、呪いの地を三週間で黄金郷に変貌させる! 次期王妃としての支持率、驚異の九十八パーセント!』

 写真の中のルビーは、カイル殿下にエスコートされ、見たこともないような幸せそうな(そして利益に満ち溢れた)笑みを浮かべていました。

「……な、ななな……っ! あんなに楽しそうに笑って……! 私の時よりも、三倍は口角が上がっているじゃないか!」

「殿下。あちらの国では、彼女の笑顔一回につき、経済効果が金貨一万枚発生すると言われているそうです。……一方で殿下の顔は、見るだけで国民のやる気を十パーセント削ぐと言われておりますが」

「……もう嫌だ! こんな国、捨ててやる! シルヴィア、二人でどこか遠くへ逃げよう!」

「えー。お金のないレナード様と逃げても、美味しいものが食べられませんもの。私、さっき隣国のスカウトの人に『愛の専門家』として雇ってもらえるようお願いしちゃいました!」

「……は?」

 シルヴィアは、レナードが以前贈った(唯一差し押さえを免れた偽物の)宝石を握りしめ、窓から軽やかに飛び降りました。

「さようなら、レナード様! 私、もっと福利厚生のしっかりした愛を探しに行きますわ!」

「シ、シルヴィアーーーッ! 待て、私を一人にするなぁぁぁ!」

 レナードの叫びは、怒れる暴徒たちの怒号にかき消されていきました。
 
 一方、隣国のルビーは。
 
「……あら、エルザ。なんだか、西の方から『負け犬の遠吠え』が周波数に乗って聞こえてきた気がしますわ」

「気のせいです、ルビー様。それより、ドクロ岩領地の今月の純利益が、予測をさらに五パーセント上回りました。お祝いに、カイル殿下が最高級の……」

「わかっていますわ。ステーキね? さあ、行きましょう。無能の断末魔よりも、肉の焼ける音の方が、よほど建設的ですもの」

 ルビーは優雅に算盤を仕舞い、愛する婚約者の待つダイニングへと向かいました。
 自滅していく元婚約者の姿は、今の彼女にとって「償却済みの過去」でしかなかったのです。
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