婚約破棄、承りました!クレームは一切受け付けません!

鏡おもち

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「……アストレア嬢。あそこに、君の『元・不良債権』が立っているぞ」


王都で最も格式高い高級ティーサロン。
商談の合間の休憩として、オズワルド様が窓の外を指差した。


視線の先には、これ見よがしに腕を組み、仲睦まじさをアピールしながら歩くヴィルフリート王子とマリン様の姿があった。


「あら。あんな白昼堂々、公道で愛を振りまくなんて。王族としての『品位コスト』を著しく削る行為ですわね」


私は手元の手帳から目を離さず、淡々と答えた。
今、私が熱中しているのは、王都の令嬢たちの間で流行し始めている「刺繍のデザイン」の統計データだ。


「放っておけ。……と言いたいところだが、彼らは明らかにこちらに向かってきているな」


オズワルド様の予言通り、サロンのドアが勢いよく開かれた。
カランカランという鈴の音が、不吉なファンファーレのように響く。


「ほう、テルゼ! こんなところで油を売っているのか! 婚約破棄されて、よほど暇を持て余しているようだな!」


ヴィルフリート王子は、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私たちのテーブルへ歩み寄ってきた。
その隣では、マリン様が少し窮屈そうなドレスを着て、精一杯の「幸せアピール」をしている。


「……ヴィルフリート殿下。暇ではありませんわ。私は現在、一分間に金貨三枚を稼ぎ出すためのビジネスモデルを構築中ですので。お話があるなら、三〇秒以内でお願いします」


「相変わらずだな! だが、見ろ! マリンが着ているこのドレスを! これは王都で一番の仕立て屋に、特急料金で発注したものだ!」


王子が自慢げにマリン様の肩を抱く。
マリン様は、少し誇らしげに、かつ私を挑発するように首を傾げた。


「テルゼ様ぁ。見てください。これ、ヴィルフリート様が『君には一番の輝きが似合う』って言って、プレゼントしてくれたんです。アストレア家のものではない、本物の『愛』がこもったドレスなんですぅ」


私は手帳を閉じ、ゆっくりとマリン様のドレスを上から下まで眺めた。
そして、その繊維の質感、縫い目の角度、そして生地の色味を瞬時に分析する。


(……なるほど。シルクの質は中等。特急料金を含めても、相場の二倍は取られているわね。しかもこのデザイン、去年の流行の使い回しだわ)


「……アストレア嬢。何を黙っている? やはり、マリンの輝きに嫉妬して言葉も出ないか!」


王子の嘲笑。
しかし、私の口から出たのは、予想だにしない「査定」だった。


「……シルク含有率六〇パーセント。縫製は王都東区の二流工房の癖が出ていますわね。おそらく仕入れ値は金貨三〇枚。そこに『特急料金』と称して殿下がふっかけられた額は……金貨一五〇枚、といったところかしら?」


王子の顔が、一瞬で凍りついた。


「な、な……なぜ金額が分かる!?」


「市場調査を怠らないのは商売人の基本ですわ。殿下、その仕立て屋、殿下が『カモ』であることを完全に見抜いています。本来ならあと五〇枚は安く作れたはずです。つまり、一〇〇枚分の純損失を『愛』という言葉で誤魔化したわけですね」


「……くっ、損、失だと!?」


私はさらに視線をマリン様の首元へと移した。


「それから、そのネックレス。アクアマリンに見えますが、屈折率が不自然ですわ。合成石、あるいは質の悪いガラスね。今の市場価格なら、パン一個分と等価かしら」


「う、嘘よ! ヴィルフリート様は『家宝の宝石だ』って!」


マリン様が悲鳴のような声を上げ、自分の首元を押さえた。
王子は額から滝のような汗を流し、泳ぐような視線で周囲を見渡す。


「う、うるさい! 金額の問題ではないのだ! 私が彼女に贈りたいという『気持ち』が……」


「気持ちで経済は回りませんわ、殿下。むしろ、そうやって市場価値のないものを高値で掴まされる行為は、インフレを助長し、ひいては国力を削ぐ『反逆行為』に近いものがあります」


私は冷徹な視線で王子を射抜いた。


「結論を申し上げます。マリン様がその格好で歩くことは、私への嫉妬を煽るどころか、殿下の『無知』を全国民に宣伝しているようなものです。非常に効率の悪いデモンストレーションですね」


「貴様……! どこまでも、どこまでも可愛げのない……!」


王子が拳を握りしめたその時。
隣で黙って紅茶を飲んでいたオズワルド様が、静かにカップを置いた。


「……ヴィルフリート殿下。あまりこの場所で騒がないでいただきたい。アストレア嬢は現在、私の『顧問』として非常に重要な市場分析を行っている最中だ」


オズワルド様が立ち上がると、その圧倒的な威圧感に王子が思わず一歩下がった。


「オズワルド! 貴様までこの女の味方をするのか! そんなに数字が好きな女のどこが良い!」


「……どこが良いか、か」


オズワルド様は少しだけ考え込むような素振りを見せた後、私の肩にそっと手を置いた。


「彼女の計算高さは、この国の誰よりも『誠実』だ。嘘を吐く言葉より、嘘を吐かない数字を信じる。その潔さに、私は価値を感じている」


オズワルド様の言葉に、今度は私が驚く番だった。
……誠実? 私のこの、毟れるだけ毟り取ろうとする性格が?


「……オズワルド様。その評価、後で請求書に加算しておきますわね」


「ああ。いくらでも払おう。君の時間は、それだけの価値がある」


オズワルド様の眼差しに、心臓がトクン、と跳ねた。
これは……先日の血圧変動とは違う。
もっと、計算不能な「熱」が、胸の奥で渦巻いている。


「……もういい! 勝手にするがいい! マリン、行くぞ!」


王子は捨て台詞を吐き、泣きべそをかくマリン様を引き連れて、逃げるようにサロンを去っていった。


「……お見事でした、テルゼ様! あんなにハッキリ言ってくださるなんて!」


サロンの影で私たちのやり取りを見ていた、第一号のクライアント・クラリス嬢が、興奮した様子で駆け寄ってきた。


「クラリス様。見ていただけましたか? あのように『感情』で動く人間は、必ずどこかに綻びが生じます。そこを突くのが、私の資産防衛術です」


私はすぐに手帳を取り出し、新しい項目を書き込んだ。


「……よし、今日の調査で分かったわ。今の王宮には『まともな目利き』が一人も残っていない。これは、私たちの事業にとって大きな商機になるわね」


「……アストレア嬢。君は本当に、鋼のメンタルを持っているな」


オズワルド様が苦笑しながら、私の空になったカップに新しくお茶を注いでくれた。


「メンタルではありません、オズワルド様。これは『最適化』です。無駄な感情に割くリソースを、利益を最大化する思考に回しているだけですわ」


私は温かいお茶を一口飲み、満足げに微笑んだ。
嫉妬? そんな一文の得にもならない感情、誰かに差し上げますわ。
今の私には、信頼できるパートナーと、無限に広がる市場があるのだから。


「さあ、オズワルド様。休憩は終わりです。次はクラリス様の元婚約者の『隠し口座』の特定に向かいましょう。移動時間は一八〇秒、いけますか?」


「……挑もう。御者に無理をさせるのが、私の最近の趣味になりつつある」


二人の馬車は、今日も王都の風を切り裂き、爆速で次の「利益」へと向かっていった。
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