地味だからと婚約破棄されたので、我慢するのをやめました。

神崎葵

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1巻

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   序章


「いい加減うんざりだ」

 きらびやかに飾りつけられた侯爵家のホールに、唾棄するような声が響いた。発したのは、私の婚約者カイオス・エフランテ。
 侯爵家嫡男である彼の誕生日を祝うためのパーティーがはじまったばかりだというのに、彼の顔にあるのは、侮蔑に染まった冷たく鋭いまなざしだけ。
 それはまっすぐに、彼の婚約者であるはずの私に向いている。
 頬がひきつり、愛想笑いすらできない私に、カイオスは淡くきらめく金色の髪を揺らしながら、深いため息を落とした。

「華やかさもなければ、色気もない。お前みたいな女をどうして俺の婚約者にしておかなければならない」

 そう言われて、奥歯を噛みしめる。
 彼の隣に立つのは、ひときわ輝く金色の髪を持ち、大海原を思わせる濃く深い青い瞳の令嬢だ。
 年は私と同じ十六歳ぐらい。まだ幼さの残る年頃だというのに、いくつもレースを重ねた青いドレスの上からでも出るところは出て、引っこむところは引っこんでいるのだとわかる。
 どこにでもある栗色の髪と、どこにでもある緑色の瞳を持ち、全体的に膨らみに乏しい私とは大違いだ。
 カイオスの隣にいるのがどこの誰なのかは、紹介すらされていないのでわからないけれど、彼女のような人がきっと、彼が言うところの、『華やかで色気のある女性』なのだろう。

「エミリア・アルベール。お前との婚約、今この場で破棄させてもらう」

 堂々とした宣言は、私ではなく、周囲に向けたものだった。
 それと同時に、楽団の奏でる音が会場に響き渡る。
 いつもなら、カイオスの婚約者として、彼にエスコートされながら最初の一曲目を踊るためにホールの真ん中に向かっていただろう。
 だけど、ダンスのはじまりを知らせる音色に合わせてカイオスが手を差し出したのは、私ではなく、彼の隣にいる華やかで色気のある女性だった。
 彼女はちらりと私を見ると、桃色の唇を笑みの形に変えて、カイオスの手を取った。
 言いたいことを言い切って、こちらを一瞥もせず去っていくカイオスと、その隣で彼を愛おしそうに見つめる女性、二人の背をただ見送る。
 続く音色に、ほかの男女も互いに手を取り合い、ダンスホールに向かう。お相手のいない人が、同じくお相手のいない人を誘っている声も聞こえてくる。
 だけど、婚約破棄されたばかりの私に、ダンスを申しこむような猛者もさはいない。
 色とりどりのドレスが次々と花開くように回りだす中で、私は一人ぽつんと佇むしかない。その状況に、小さくため息を落として壁際に寄る。
 今にして思えば、もっと早く何かがおかしいと気づくべきだった。
 招いた側だろうと招待客だろうと、通常、パーティーにはパートナーと連れ立って参加する。
 だからカイオスは――遅刻されて恥をかきたくないという理由だったけど――いつも欠かすことなく私を迎えに来ていた。
 それなのに今日は私を迎えに来なかった。いくら待っても現れない彼にしびれを切らして、しかたなく今日、私は一人でこの会場を訪れたのだ。
 できるだけ存在感を殺すように、壁に背を押し付けて彼の姿を眺める。

「……あんな顔、できたんだ」

 いつも最初の一曲目が終わるとすぐにカイオスは私のそばを離れていたので、私以外の人と踊る姿は何度も見たことがある。だけど、その薄水色の瞳が柔らかく微笑むのは、初めて見た。
 カイオスと婚約を結んでから九年。もちろんただの一度だって、私があんな顔を向けられたことはない。

「まあ、最初から嫌そうだったもんね……」

 婚約者ができたと知ったのは、七歳の顔合わせ当日。相手が侯爵家嫡男ということに驚きを隠せなかったことを覚えている。
 何しろ、私はしがない子爵家の生まれだ。緊張もしていたし、動揺もしていたはずだ。

『え、あ、と……エミリア・アルベールと申します。よろしくお願いいたします』

 なんとか頑張って挨拶した私にカイオスが向けたのは、訝しげな顔。ひそめられた眉の形も刺すような鋭い目つきも、すべて覚えている。
 それからは社交期に顔を合わせるようになったけど、結局カイオスと親交を深めることはなかった。
 私の数少ない友人が、婚約者と森林浴に行ったり遠乗りをしたりと関係を深めていたのに対し、私はパーティーでエスコートされる以外でカイオスと二人きりで会うことはなかったからだ。
 それでも、いつかは夫婦として長い時を過ごすことになるのだから、恋愛とまではいかなくても、良好な関係を築きたいと思っていた。
 だけどいったいどうすればいいのかわからず悩んでいると、友人は快く相談に乗ってくれた。

『誘われないのなら、こっちから誘ってみたらどうかしら。いい感じの場所を教えてあげるわ。私がこの間行ったところなんだけど――』

 そうして教えてもらった場所に誘ったこともある。
 だけど一度として、ロマンチックな場所にカイオスと行くことはなかった。いくら誘っても用事があるからと断られる。そんなことが何度も続けばこちらも誘うのを諦めてしまって、結局名ばかりの『婚約者』としての関係だけが続いた。
 きっとカイオスは出会ったときから今に至るまでずっと、私が婚約者でうんざりしていたのだろう。

「……だからって、こんなところで言わなくてもいいじゃない」

 それでも苦い気持ちで吐き出す。
 会場を見回してみても、私に親身に接してくれている友人は、ここにはいない。
 彼女たちは、カイオスの家と格別な親交があるわけではないけど、呼ばれてもおかしくないほどの家柄である。つまり、きっと最初から――このパーティーを開くと決めたときから、カイオスは私との婚約を破棄するつもりだったのだろう。
 だから、私の味方をしそうな友人は招待しなかった。
 穿ちすぎかもしれないけど、そうとしか思えない。
 私の耳が拾うのは嘲笑と蔑みだけで、助け船を出してくれる人はどこにもいない。

「まあ、かわいそうに」
「でもあれではしかたないのではないかしら」

 突き刺さる視線と、向けられる嘲笑。忍ぶことすらしない声に、自分のドレスを見下ろす。
 そこには、ほかの令嬢が身に着けているようなきらびやかな宝石も、繊細なレースも何もない。地味だと言われてもしかたのないドレスだ。
 かろうじて刺繍やリボンで飾られてはいるけど、模様も形も去年流行はやったもの。
 ドレスだけではない。靴も首元を飾る小さな飾りにいたるまで、すべてが流行遅れだ。
 貴族であれば、たとえ新調するのが難しくても衣装を手直しして、流行を取り入れる。
 それというのも、パーティーに侍女を連れて参加する場合、世話役なのか貴賓なのかを区別するために、侍女には流行遅れ――つまり、主人のお古を着せるからだ。
 だから全身流行遅れな私は、これまでに何度も侍女に間違われた。主人はどこにいるのかと聞かれたこともある。
 そのときのことを思い出して、乾いた笑いが漏れた。
 カイオスが私を嫌がるのもわからないわけではない。誰だって、侍女に間違われるような婚約者は嫌なはず。せめて自分の隣にいるときぐらい、相応の恰好をしてほしいと思うものだ。
 だけど私だって、好き好んでこんな格好をしているわけではない。
 私の装いはすべて、お父様の意向によるもの。
 もっと言えば――お母様が駆け落ちしたのが原因だ。
 そのことを思い出すと、ぎゅうと胸が締めつけられて涙が零れそうになる。
 友人がいないこの場所は、一人で立つにはあまりにも広すぎた。



   第一章 毒花の由縁


 私のお母様は、恋多き人だったらしい。さらに言えば、恋を多く与えられる人だった。
 天真爛漫だったと言う人もいれば、計算高かったと言う人もいた。そして共通して最後には、綺麗な顔をした――毒花のような人だったと締めくくる。
 端的に言うと、お母様は持ち前の顔立ちと性格で、将来を有望視されていた男性たちを篭絡していたそうだ。公爵家の子息から、次期宰相と目されている男子、はては学者として名をせている男子まで、千差万別な男性をはべらせていた、と話に聞く。
 もしも、その中の一人を選んで私が生まれたのであれば、毒花と呼ばれることはなかっただろう。
 だけどお母様は、当時の王太子殿下までもとりこにしてしまった。
 お母様に溺れた王太子殿下は自らの婚約者に婚約破棄を言い渡し、母を婚約者にすると宣言した。
 だけどそれは、許されざることだった。
 王太子殿下の婚約者は、隣国との境に領地を持つ侯爵家のご令嬢だった。隣国との境界を守る侯爵家が万が一にでも反旗をひるがえしてはたまらないと、考えたのだろう。
 結果として、王太子殿下は婚約を反故にした責任を取るために王太子の座を降り、王位継承権は彼の弟に渡った。ついでに当時の彼の婚約者――現在の王妃様も、彼の弟に嫁いだ。
 しかし、お母様は彼の決断を喜ばなかった。そんなつもりはなかったのだとばかりに、元王太子のもとを去り、何食わぬ顔で社交界に顔を出しつづけた。
 元王太子に妬まれるのを恐れたのか、侯爵の怒りを買うのを恐れたのか。あるいはその両方か。
 さすがにそれからは、母に言い寄る相手はめっきり減ったそうだ。
 そうして、敬遠されるようになったお母様は結婚相手を見つけられず――最終的に、親戚だからという理由で遠縁の男性がお母様をめとることになった。
 それが、私のお父様だ。
 もしもお母様が数多の男性を篭絡して、元王太子を溺れさせたときのように、お父様の心をつかみ、仲睦まじい夫婦になっていたら、私とお父様の関係はもっと違うものになっていただろう。
 だけどお母様は十も年上の男に嫁ぐことになった我が身を嘆いたのか、私を産んだ後、子の誕生を祝うためにきた吟遊詩人と駆け落ちした。
 お父様からしてみれば、これといった交流があったわけでもないのに奔放な母をめとることになったあげく、最後には別の男と駆け落ちされたのだから、いい迷惑だっただろう。
 その結果、私は物心ついた頃からお母様のようになるなと言われ続けることになった。
 そしてお母様と同じ道を辿らないように流行に沿ったドレスも装飾品も禁じられた。勉学において少しでもミスをすれば手を打たれた。
 反論することも、反抗することも、お父様は許さなかった。
 だけど結局、私が婚約破棄をされたのだから頭が痛い。

「お父様になんて説明しようかな……」

 ガタガタと揺れる馬車の中で、はあ、とため息を落とす。
 あまりにも居心地が悪すぎて、会場を早々に出たのだけど、帰るのも気が重い。
 カイオスはお父様が見つけてきた婚約者だった。
 この国では、女性に家督を継ぐ権利はないので、娘として生まれれば基本的にどこかに嫁ぐことになる。一昔前は親がお相手を見つけていたのだけど、最近は自分で探すことのほうが多い。
 だから、お父様が私の婚約を結んでくれるなんて夢にも思っていなかったので、婚約が決まったと突然言われたときは、天から斧でも降ってくるのではと驚いた。
 しかも紹介されたのが、現王妃様――母に陥落された王太子の元婚約者――の甥かつ、侯爵家の嫡男だったことには、とまどうしかなかった。
 王妃様からしてみれば、私の母は恋敵に等しい存在のはずだ。そしてカイオスの父親である侯爵にとっても、苦々しい思いをさせられた相手の娘でしかない。
 お父様がどうやって縁談をまとめたのかはわからないが、相当苦労したはずだ。
 母が何をしでかしたのかを耳が痛くなるほど聞いていた私は、お父様の期待に応えようと思って、カイオスと良好な関係を築こうとしてはいたのだけど――結果はこのとおりである。

「……絶対に怒られるよね」

 私のせいかと言われると微妙なところだけど、お父様の苦労を台無しにしてしまったことに変わりはない。きっと怒られる。
 黙って何もなかったことにしてしまいたい。いっそ永遠に馬車が走り続けてしまえばいいのに。
 だけど、そんなことを考えるうちに無情にも馬車を曳く馬は歩みを止めてしまった。車体の窓の向こうには、見慣れた我が家がある。
 ガチャリと御者に扉を開けられ、逃げ場を失った私はしかたなく馬車を降りた。
 どうせ怒られるのだから、さっさと報告して、眠ってしまおう。

「お父様は今どこにいるの?」

 そう思って出迎えてくれたメイドに聞いたけど、彼女はすぐには答えず、ためらうように下を向く。
 おかしな質問ではないはずなのにどうして、と首を傾げたところで、彼女は決心したように口を開いた。
 お父様はリオン――私の腹違いの弟の部屋にいると。

「そう、なの。わかったわ。ありがとう」

 声が震えそうになるのを、無理やり押しとどめて私は彼女に礼を言った。
 弟のリオンと私は血が繋がっていない。私の母が駆け落ちしてすぐ、お父様は商家の娘を後妻に迎え、その二人の間に生まれたのがリオンだ。
 彼は今日、熱を出して寝こんでいる。本来なら、お父様も今日のパーティーに参加する予定だったのだけど、心配だからとリオンのそばにいることを選んだ。
 カイオスが迎えに来ないことを不審に思う素振りも見せず、会場へと一人でつ私にパーティーを欠席する旨を記した手紙だけを託してからずっと、お父様はリオンのそばにいたのだろう。
 その扱いの差に、ぎゅっと胸をしめつけられながらも、リオンの部屋に向かう。
 そして、これまでほとんど入ることのなかった部屋の扉をノックしようとして――
中から聞こえた声に手を止めた。

「ああ、リオン。大丈夫? 私も旦那様もいるから、安心してちょうだい」
「ゆっくり休むといい。明日にはきっと元気になっている」

 優しく、いたわるようなふたつの声。
 後妻であるライラ様はもちろん、お父様もリオンをとても大切にして可愛がっている。
 何しろリオンは大切な跡継ぎで、駆け落ちなどしていない妻との間にできた子供だ。
 対して私は、跡継ぎにはなりえない、しかも駆け落ちした妻との間にできた子供だ。
 だから、お父様が私にだけ厳しいのは当たり前で、会話のほとんどが母に対する不満か叱られるだけなのも当然だとわかっている。だけどどうしても、リオンを慈しむ声を聞き、かいがいしく看病している様子を想像すると、胸が痛くなる。
 それに、扉を開けて、一大事であるはずの報告をしたとして、そんなことはどうでもいい、リオンが熱を出しているのだからそれどころではないと言われたらと考えると、どうしても目の前の扉を開けることはできなかった。

「……やっぱり、明日でいいよね」

 手を下ろし、リオンの部屋の真逆にある自分の部屋を目指して、来た道を戻る。
 その判断が間違っているのはわかっているけど、どうしてもそうせざるを得なかった。


 翌朝、目覚めてすぐにお父様に呼び出された。
 見苦しくない程度に身支度を整えてお父様の執務室に入ると、机に向かって座るお父様から大きなため息が落とされる。

「どうして呼び出されたのかわかっているだろうな」

 立ち上がりもせずに言うお父様に、こくりと頷いて返す。

「昨日の件でしょうか」
「わかっているのなら、どうしてすぐに報告に来なかった」

 向けられる厳しい視線と咎めるような声。
 いつもよりも怒りが強く出ている顔に、そっと視線を下に落とす。

「昨日は疲れていたので、帰ってきてすぐに部屋に向かってしまい……申し訳ございません」

 弟のリオンは十四歳。私と二歳しか違わない弟が、父親と母親に囲まれて慈しみ愛されていることがつらかったのです、などと言うことはできなかった。
 それが私の落ち度であることはよくわかっている。
 素直に頭を下げると、部屋に入ったときと同じようなため息が聞こえてきた。

「重要な話はすぐに報告する……そんな簡単なこともできないのか」
「……申し訳ございません」
「まったく、お前がそんなだから婚約を破棄されたのではないのか」

 その言葉に一瞬、目を見開く。
 婚約を破棄されたのは、私が華やかでもなければ、色気もないからだとカイオスが言っていた。
 だけどそれをどう説明すればいい。
 私の装いはすべてお父様が決めている。それなのに、地味な服ばかり着ているから婚約破棄されたと素直に話したら、言い訳のつもりかと、叱責されるだろう。
 何も言えず黙っていると、三回目のため息が落とされた。

「あの女の娘のくせに、男の一人も捕まえておけんとはな」

 吐き捨てられた言葉にぐっと唇を噛みしめて、顔を上げる。お父様がお母様について話すのは、どれほどひどい女性だったかを語るか、私を叱るときに比較として出すときだけだ。
 私はそれが大嫌いだった。
 お父様が、と私を呼ぶたびに、胸が苦しくなった。
 まるで、私がお父様の娘ではないと言われているような気がして、どうしようもなく悲しくなるし、虚しくなる。

「おか――母は、この件とは無関係です。わ、私が婚約を破棄されたのは……色気も、華やかさもないからだと、カイオス様はおっしゃっておりました」

 だからつい、ためらっていた言葉を吐き出してしまった。
 言ってから気づいても遅い。お父様は口答えをよしとする人ではなく、いつだって私が粛々と従うことを望んでいた。
 即座にお父様の眉が跳ね、顔が不快そうに歪む。

「そんなものがなくとも繋ぎとめるぐらいはできるだろう。あの女の娘だから、男の一人ぐらいはどうにかできるかと思ったが……」

 四回目のため息と共に、お父様の視線が私の後ろにある扉に向く。

「もういい。お前に期待した私が愚かだった」

 ひらりと手を振って立ち去るよう示すお父様にそれ以上言い返すことはできず、執務室を出る。
 怒られることは予想していたけど、あそこまで言われるとは思わなかった。いや、嘘だ。思いたくなかった。
 婚約を破棄されたのは私だけのせいではないのだと、慰めてもらえると思っていたわけではない。もしもそうなら、昨日のうちに報告していたはずだ。
 だけど、それでも、少しくらいはいたわってくれるのではと期待していた。
 残念だったな、の一言だけでもいいから言ってほしかった。
 そうしたら、お父様はリオンだけでなく私のことも想ってくれているのだと、信じられた。

「お嬢様」

 とぼとぼと部屋に戻ろうとしたところに、小さな声がかけられる。
 声のほうを見ると、メイドが一人、手に小さな何かを持って立っていた。

「お手紙が届いていますが……」

 そわそわと視線をさまよわせているのは、お父様が私に怒っていることを知っているからだろう。
 どう接したものかと悩んでいる彼女に、小さく肩をすくめる。

「誰からなの?」
「ミシェル・ログフェル様からです」

 告げられた名前に、ぱちくりと目をまたたかせる。
 どうして彼女が? そんな思いでメイドから手紙を受け取り、目を通す。
 そこに書かれていたのは、本当に短い誘いの言葉。今から遊びにおいで、という文章だけで、昨日からずっと重苦しかった胸が、少しだけ軽くなった。


   ◇◇◇


「よく来てくれたわね」

 急いで外出着に着替えて馬車に飛び乗った私を迎えてくれたのは、ミシェル・ログフェル。
 革張りのソファに優雅に腰かけて、紫紺色の長い髪を揺らしながら優雅な笑みを浮かべている彼女は、私の数少ない友人の一人だ。
 ミシェルの住むログフェル侯爵家の邸宅に来るのは初めてではない。ただ、父に何も言わずに家を飛び出したのは初めてだ。
 きっとお父様は怒るだろう。一日だって反省できないのかと、婚約破棄された身で遊び歩くなんて、と言うに違いない。
 だけどどうせ、お父様も私と顔を合わせたくないだろうし、家にいたところで部屋に引きこもるしかない。
 それならいっそ――たとえ帰ったあとに軟禁か酷い叱責が待っているとしても――今ミシェルと話しているほうが気がまぎれるというものだ。

「ミシェル、お誘いありがとう」
「私もあなたが来てくれて嬉しいわ」

 私の言葉に、ミシェルも薔薇色の瞳を細めて微笑み返してくれる。
 それだけで、嬉しい。ただ、ひとつ気になることがあった。

「それで、今日はどうかしたの? あんなに短い手紙を送ってくるなんて……何かあったの?」

 ミシェルに誘われるのはよくあることだ。だけどたいてい、近い日にちと時間をきっちり指定したもので、今日のように「今から」という誘い文句の手紙を送ってきたことはない。
 どうしてだろうと首を傾げても、ミシェルは何も言わず、ただじっと侍女がお茶の支度をしているのを見つめている。
 そしてお茶をれ終えた侍女が部屋を出てようやく、口を開いた。

「――話は聞いたわ。大変だったわね」

 肩にかかっていた紫紺色の髪を後ろに払いながら、いたわるような笑みを浮かべた彼女に、目をまたたかせる。
 婚約破棄なんてそうそう起こるようなものじゃないから、またたく間に貴族たちの間で噂が広がるだろうとは思っていたけれど、昨日の今日というのは、あまりにも早すぎやしないか。

「どうして……」
「あなたのことを気にかけているのは私だけではない、ということよ。それで、あなたは大丈夫なの?」

 優しい声色に、ぐっと言葉に詰まる。昨日からずっと、厳しい言葉ばかり向けられていたから、ミシェルの優しさが胸にしみて、涙が零れそうだ。

「もしよければ話を聞くわ」

 ミシェルにはいつも愚痴を聞いてもらっている。だから悪いとは思っているのだけど、こらえきれなくて、せきを切ったように溜めこんでいた胸の重みを吐き出した。

「――って、あまりにもひどくない⁉」

 しばらくして、私は大声を上げていた。
 先ほどまでミシェルの優しさに感動していたはずなのに、今ではお父様に対する怒りが胸を占めている。
 カイオスにされたことや、お父様に言われたことをぶちまける私に、ミシェルは呆れることなく、じっと聞き役に徹してくれている。

「色気がないとか、華やかさがないとか、地味とか。誰のせいだと思ってるのよ! そもそも、あの女あの女って言われても、お母様の顔すら知らないのに、どうしろって言うのよ!」

 お母様のやり口を知っていたら、参考にできたかもしれない。
 だけど、お母様がどんな風に男性を篭絡したのか教えてくれる人はいなかった。
 男性を魅了することにけていたとしか知らないのに、お母様のように振る舞えるはずがない。
 しかも色気や華やかさという武器すらなくて、どうやってカイオスを繋ぎとめろというのか。
 喉が渇いてしまって、目の前の少し冷めたお茶を口に含む。
 さわやかな香りが口に広がって、ようやく少しばかり冷静さが戻ってきた。

「あ、ごめんね。いつも愚痴ばかりで……」

 こんなのだから、私には言い寄ってくる男性はおろか、友人もほとんどいないのだ。
 愚痴る相手はミシェルだけではあるけど、苛々とした雰囲気がほかの人にも伝わってしまっているのだろう。
 反省して肩を落とすと、ミシェルがくすくすと笑った。

「別に構わないわよ。私だって愚痴に付き合ってもらっているのだから、お互い様でしょう?」

 そう言って、ミシェルは薔薇色の瞳を細める。
 彼女は辺境を守護するログフェル侯爵家の長女だ。国境――ひいては王国を守るという意識が家に強くあり、嫡男はもちろん、次男以降も一定期間騎士団に身を置くことを義務付けられている。
 そのため、ログフェル家では後継者になれるからというだけでなく、戦いに身を置けるからという理由で、男児が強く望まれている。
 そして、神の計らいなのかなんなのかは知らないけど、ログフェル家は、彼らの意向をくみ取ったかのように男児ばかり生まれる家系だった。さらに共に過ごすことの多い国境に駐在する騎士の方々は男所帯で――つまるところ、そこに唯一生まれた女児であるミシェルは扱いが難しく、どう接すればいいのか悩ましい相手だった、ということだ。
 決して大切にされてない、というわけではない。
 ただ、男性ばかりの家では『極端な女の子扱い』が時折目立つことが問題なのだとミシェルは言う。

「女の子だからって、花や甘いものを与えておけば大丈夫だと思っているのが見え見えなのよね。剣を好む女性がいるのだと、お父様はいまだに理解してくれないのだから困ったものだわ」


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