【完結】夕凪のピボット

Episode３：崇弥の気持ち

①

　駅から一歩外に出るやいなや、鼻の頭に雫が当たった。
　朝からずっとぐずついたままだった空は、今しがたついに泣き出してしまった。Novariaのアドバイスどおり携行していた折り畳み傘を、鞄から取り出す。
　周囲には、同じく傘を手に持つ学生や会社員の姿。その隙間を縫うようにして、瑛茉は崇弥のマンションを目指した。
　崇弥との同居を開始して、およそ二週間。春学期の試験を月末に控えた、七月上旬。
　食材の入ったエコバックをしっかりと肩に携え、家路を急ぐ。予報によると、まもなく雨が激しくなるらしい。
　今夜の献立は、鰤ぶりの照り焼きとあさりの吸物、それから、ほうれん草のおひたしだ。夕飯を家で食べることの少ない崇弥だが、この日は早く帰宅できるとのことで、彼のリクエストを中心に考えた。
　これまで、崇弥は瑛茉の作った料理をすべて完食している。成人男性にしては少食だが、それでも「美味しい」と笑って食べてもらえることが、今の瑛茉にとっては何よりも嬉しかった。
　バイト先の月尾からも、怒涛の勢いで感謝を伝えられた。崇弥の顔色がみるみる改善されていくことに、心の底から安堵しているようだった。
　しだいに雨足が強まる。足元で雨粒が弾ける。
　重く垂れこめるこの空とは対照的に、地面を踏みしめる瑛茉の足取りは、明るく軽やかだった。