49 / 68
Episode8:夕凪のピボット
⑦
しおりを挟む
夕日に染まる浜辺を、瑛茉はひとり歩いていた。
髪をさらう湿気た海風。波が岸に届くたび、白い泡が生まれては消えていく。濡れた砂は光を反射して宝石のようにきらめき、素足を柔らかく包み込んだ。
水平線に沈む太陽、その残光に、遠く懐かしい日々を重ねる。
祖父にすべてを打ち明けたあと、帰宅した瑛茉は、すぐさま彼に連絡した。
直接言葉を交わす勇気はまだ持てなかったし、そもそも仕事中かもしれないとの思いから、通話ではなくメッセージを選択した。
震える指先で綴った、今の自分の素直な気持ち。
黙っていなくなってごめんなさい。
約束を破ってごめんなさい。
今は祖父母の家にいると伝えれば、数分後、彼から返信が届いた。
『無事でよかった』
止まっていた涙が、ふたたび溢れ出した。
彼がどれほど自分のことを心配してくれていたか……その気持ちを想像すると、申し訳なさで胸が押しつぶされそうだった。
改めて思った。身をもって痛感した。
好き、という言葉では、とうてい表しきれない。
自分は、彼のことを、心の底から愛している。
「……崇弥さん」
ずっと音にしていなかった、彼の名前。
「……っ、崇弥さん……」
何よりも愛おしいその名前を、潮騒に乗せるようにそっと呟いた。
刹那。
「瑛茉ちゃん」
風が、止まった。
思わず息を呑む。
つややかな黒髪。凛とした佇まい。
そこにいるはずのない存在に惑い、夢かと疑うも、砂の上に確かな足跡を残しながら、彼はこちらへと歩いてきた。
「……ど、して……」
「実は、連絡もらったとき、新幹線の中だったんだ。確信はなかったけど、たぶん、この島にいるだろうって。……会えてよかった」
そう微笑んだ彼の顔は、切ないほどに美しかった。
よろりと、力なく一歩を踏み出す。砂に足が沈む。ふらつく体を支えるように、さらに二歩目を踏み出した。
三歩。
四歩。
五歩目で駆け出した瑛茉を、崇弥はその両腕でしっかりと抱きとめた。この数日でさらに細くなった瑛茉の体を、きつく抱き寄せる。
「……ごめ、なさ……わたし……っ、ごめんなさい……——」
「謝るのは俺のほう。……ほんとにごめん。また、君に嫌な思いをさせた」
崇弥の掠れた声が、瑛茉の耳朶を打つ。
あの日、瑛茉の身に何が起きたのか、どんな非情な言葉を浴びせられたのか、大体の見当はついている。
そっと額に口づければ、瑛茉は涙を浮かべたその顔を持ち上げた。泣き腫らし、目元に溜まった雫を、指先で優しく拭いとる。
「昨日、親父と話つけてきた。彼女とも。……もしかすると、今の地位やそれに付随するもの、全部手放すことになるかもしれない」
「……そ、んな……わたしのせいで——」
「それは違う。これは俺の選択だから。俺が、君じゃないとダメだから……。もし、一からすべてをやり直すことになっても、それでも俺と一緒にいてくれる?」
瑛茉の瞳を真っすぐに捉える、崇弥の真剣な眼差し。そこに宿る堅固な意志に、瑛茉は迷うことなく肯いた。
砂浜に伸びる、ふたつの影。互いの熱を、存在を、確かめるように抱き合う。
布が、皮膚が、邪魔だ。わずかな隙間でさえ、もどかしいくらいに。
唇が触れる。舌先が、甘く痺れる。
重なった吐息はひとつになり、やがて、この島の夕凪に溶け込んだ。
髪をさらう湿気た海風。波が岸に届くたび、白い泡が生まれては消えていく。濡れた砂は光を反射して宝石のようにきらめき、素足を柔らかく包み込んだ。
水平線に沈む太陽、その残光に、遠く懐かしい日々を重ねる。
祖父にすべてを打ち明けたあと、帰宅した瑛茉は、すぐさま彼に連絡した。
直接言葉を交わす勇気はまだ持てなかったし、そもそも仕事中かもしれないとの思いから、通話ではなくメッセージを選択した。
震える指先で綴った、今の自分の素直な気持ち。
黙っていなくなってごめんなさい。
約束を破ってごめんなさい。
今は祖父母の家にいると伝えれば、数分後、彼から返信が届いた。
『無事でよかった』
止まっていた涙が、ふたたび溢れ出した。
彼がどれほど自分のことを心配してくれていたか……その気持ちを想像すると、申し訳なさで胸が押しつぶされそうだった。
改めて思った。身をもって痛感した。
好き、という言葉では、とうてい表しきれない。
自分は、彼のことを、心の底から愛している。
「……崇弥さん」
ずっと音にしていなかった、彼の名前。
「……っ、崇弥さん……」
何よりも愛おしいその名前を、潮騒に乗せるようにそっと呟いた。
刹那。
「瑛茉ちゃん」
風が、止まった。
思わず息を呑む。
つややかな黒髪。凛とした佇まい。
そこにいるはずのない存在に惑い、夢かと疑うも、砂の上に確かな足跡を残しながら、彼はこちらへと歩いてきた。
「……ど、して……」
「実は、連絡もらったとき、新幹線の中だったんだ。確信はなかったけど、たぶん、この島にいるだろうって。……会えてよかった」
そう微笑んだ彼の顔は、切ないほどに美しかった。
よろりと、力なく一歩を踏み出す。砂に足が沈む。ふらつく体を支えるように、さらに二歩目を踏み出した。
三歩。
四歩。
五歩目で駆け出した瑛茉を、崇弥はその両腕でしっかりと抱きとめた。この数日でさらに細くなった瑛茉の体を、きつく抱き寄せる。
「……ごめ、なさ……わたし……っ、ごめんなさい……——」
「謝るのは俺のほう。……ほんとにごめん。また、君に嫌な思いをさせた」
崇弥の掠れた声が、瑛茉の耳朶を打つ。
あの日、瑛茉の身に何が起きたのか、どんな非情な言葉を浴びせられたのか、大体の見当はついている。
そっと額に口づければ、瑛茉は涙を浮かべたその顔を持ち上げた。泣き腫らし、目元に溜まった雫を、指先で優しく拭いとる。
「昨日、親父と話つけてきた。彼女とも。……もしかすると、今の地位やそれに付随するもの、全部手放すことになるかもしれない」
「……そ、んな……わたしのせいで——」
「それは違う。これは俺の選択だから。俺が、君じゃないとダメだから……。もし、一からすべてをやり直すことになっても、それでも俺と一緒にいてくれる?」
瑛茉の瞳を真っすぐに捉える、崇弥の真剣な眼差し。そこに宿る堅固な意志に、瑛茉は迷うことなく肯いた。
砂浜に伸びる、ふたつの影。互いの熱を、存在を、確かめるように抱き合う。
布が、皮膚が、邪魔だ。わずかな隙間でさえ、もどかしいくらいに。
唇が触れる。舌先が、甘く痺れる。
重なった吐息はひとつになり、やがて、この島の夕凪に溶け込んだ。
0
あなたにおすすめの小説
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
伯爵家の箱入り娘は婚儀のまえに逃亡したい
瑞原唯子
恋愛
だから、きっと、恋を知らないままでよかった。
伯爵令嬢のシャーロットはもうすぐ顔も知らないおじさまと結婚する。だから最後にひとつだけわがままを叶えようと屋敷をこっそり抜け出した。そこで知り合ったのは王都の騎士団に所属するという青年で——。
---
本編完結しました。番外編も書きたかったエピソードはひとまず書き終わりましたが、気が向いたらまた何か書くかもしれません。リクエストなどありましたらお聞かせください。参考にさせていただきます。
夜の帝王の一途な愛
ラヴ KAZU
恋愛
彼氏ナシ・子供ナシ・仕事ナシ……、ないない尽くしで人生に焦りを感じているアラフォー女性の前に、ある日突然、白馬の王子様が現れた! ピュアな主人公が待ちに待った〝白馬の王子様"の正体は、若くしてホストクラブを経営するカリスマNO.1ホスト。「俺と一緒に暮らさないか」突然のプロポーズと思いきや、契約結婚の申し出だった。
ところが、イケメンホスト麻生凌はたっぷりの愛情を濯ぐ。
翻弄される結城あゆみ。
そんな凌には誰にも言えない秘密があった。
あゆみの運命は……
恋した悪役令嬢は余命一年でした
葉方萌生
恋愛
イーギス国で暮らすハーマス公爵は、出来の良い2歳年下の弟に劣等感を抱きつつ、王位継承者として日々勉学に励んでいる。
そんな彼の元に突如現れたブロンズ色の髪の毛をしたルミ。彼女は隣国で悪役令嬢として名を馳せていたのだが、どうも噂に聞く彼女とは様子が違っていて……!?
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
【完結】時計台の約束
とっくり
恋愛
あの日、彼は約束の場所に現れなかった。
それは裏切りではなく、永遠の別れの始まりだった――。
孤児院で出会い、時を経て再び交わった二人の絆は、すれ違いと痛みの中で静かに崩れていく。
偽りの事故が奪ったのは、未来への希望さえも。
それでも、彼を想い続ける少女の胸には、小さな命と共に新しい未来が灯る。
中世異世界を舞台に紡がれる、愛と喪失の切ない物語。
※短編から長編に変更いたしました。
Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜
葉月 まい
恋愛
ーー私はあの夜、一生分の恋をしたーー
あなたとの思い出さえあれば、この先も生きていける。
見ると幸せになれるという
珍しい月 ブルームーン。
月の光に照らされた、たったひと晩の
それは奇跡みたいな恋だった。
‧₊˚✧ 登場人物 ✩˚。⋆
藤原 小夜(23歳) …楽器店勤務、夜はバーのピアニスト
来栖 想(26歳) …新進気鋭のシンガーソングライター
想のファンにケガをさせられた小夜は、
責任を感じた想にバーでのピアノ演奏の代役を頼む。
それは数年に一度の、ブルームーンの夜だった。
ひと晩だけの思い出のはずだったが……
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる