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第51話 ――夜明けの約束7
しおりを挟む「エル、今日も私が本を読もう」
三人で眠りにつき、朝陽に照らされる愛しい夫と息子を一日のはじめに見る。そして、笑顔でおはよう、と言いあえる最高の朝を迎えた。
その後の朝食を三人で終えた時点で、ローレンがエリオンに提案した。エリオンは、ぱあ、と顔を朗らかにさせる。
「え! いいの?!」
「ああ、今日は私が昔読んでいた本をエリオンに紹介しよう」
やったー! とエリオンは何度もジャンプをして、それから、ロナだいすき! と父親の足元に抱き着く。三歳だけれど発育がよく、五歳児ほどの大きさの息子をローレンは軽々と抱き上げて、だいすき! と抱き着くエリオンと頬を擦り合わせる。
純真に喜ぶエリオンに、僕も温かな気持ちが溢れる。
「残念だが、私は出る時間だ」
「うん、いってらっしゃい」
エリオンを降ろすと、膝をついたローレンは、もう一度ハグをして、頬にキスをしあう。立ち上がってからも別れ難そうに頭を撫でる。それから僕に目線をあげて、玄関へと向かう。後ろからはエリオンが、早くかえってきてね~! と愛らしいことを言ってくれている。
いつものように執事が彼にカバンを渡し、そっと後ろへ下がっていく。
「いいの…?」
コートを整えたローレンは銀色の毛先を優雅に翻しながら僕を見下ろして、ふ、と微笑んだ。
「私は気づいたのだ」
薄い桃色の唇はゆるやかに動く。首をかしげると、ローレンはゆっくりと指先を僕に伸ばして、こめかみから後ろへ毛先を撫でつけた。
「エリオンとのひと時も奇跡のように愛しい。私がエリオンを寝かしつける」
じゃあ、僕は…、と疑問を抱いたまま瞬きをしていると、ふわ、と薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。気づいたときには、彼の麗しい顔がすぐそこにあって、頬が触れ合う。耳朶に甘い吐息がこすれる。
「だから、セリは私のことをベッドで待っていてくれ」
かすれたバリトンは、爽やかな朝にはふさわしくない夜の帳の湿度の持った甘美な色を含み過ぎていた。一気に、か、と耳の先まで熱が集まり、肩をすくめると、僕のことをお見通しな旦那様は、くすり、と笑う。
「愛している、セリ」
耳元に、そ、とキスを落として、ローレンはにこりと笑って、仕事へと向かった。僕は愛しい番の甘い蜜にしばらくその場に拘束され、ローレンがいなくなった後もしばらく動くことができなかった。
その日は何をするにも、ぼう、としてしまって、進まなかった。
家庭教師を終えると、今日はエリオンがやりたいと強請って始めたピアノのレッスンがあった。その後は、一緒におやつのスコーンを焼いて、小さい手で不格好な形のものをいつも世話になっている使用人たちに配り歩いては涙するほど喜んでもらっていた。
日が落ちる前にローレンは帰ってきて、エリオンとたくさん話をしながら、僕に目くばせをして、妖艶に微笑まれてしまう。背筋が痺れて、僕はうなじを手で隠しながら、滲む汗をこっそりと拭う。
「エル、ママにおやすみをしておいで」
先に廊下を歩く父と子が、こっそりと秘密話のように打ち合わせをする。とき、と心臓が高鳴る。最近、ローレンは時節、エリオンに話しかける際に、僕をママと呼ぶ。改めて、夫婦であって、この子が二人の子なのだと実感させられて、むずがゆくなる。それはとても温かな感情だ。
エリオンは元気にうなずくと、僕のもとへ小走りできて、足に抱き着く。すぐにしゃがむと、エリオンは満面の笑顔で僕の瞳を見つめる。
「ママ、おやすみなさい」
「うん、エル。おやすみ」
手を広げると、頬を赤くして思いっきり抱き着いてくる。また身体は大きくなり、力も増した。もう、僕が抱き上げられなくなるのも近いかもしれない。ぎゅう、と抱きしめ返して、こめかみにキスをする。
「ママ、だいすき」
「愛してるよ、エル」
エリオンも僕の頬に、ちゅ、と愛らしいキスをして、へへ、と笑ってローレンのもとへ走っていく。父親の手を引いて、自らの部屋へと入っていく。その隙に、ちらり、と青い瞳が光っていたのを感じた。腰の辺りから、ぞくり、と重いものを感じる。いつの間にか詰まっていた息を、ふ、と吐いて、立ち上がりドアノブを押す。
寝室は、暖炉が焚かれていて温かい。ぱち、と木の爆ぜる音が心地よい。大きな窓の前に立つとさすがに冷気を感じるが、見上げると薄い雲の奥に光る月が見える。ガラスに触れると、ひんやりと冷たい。湿った指先をこする。
なんだか妙に落ち着かない。まるで、はじめての夜のようだった。
振り返ると、清潔に皺ひとつない真っ白なシーツが張られたベッドがある。ここに寝るのは、ひどく久しぶりな気がする。
ぱちん、とまた木が燃える。見上げると、雲がゆっくりと流れて、薄膜から零れる月明かりは強くなったり、見えなくなったりする。それをじ、と見ているだけなのに、心音は何かに期待するかのように、次第に速まっていく。乾いた唇をひと舐めすると、じんわりと熱を持って、気になってしかたなくなる。指先で、ふとそこに触れると湿っていて、ふるりと揺れる。
「旦那様…」
心の中にあるのは、彼ばかりなのだ。
つぶやいた瞬間に、き、とドアが鳴る。は、と振り返ると、ガウンを羽織り、銀色の髪をゆるやかに結んだ美しい彼が現れる。薄闇の中に、一瞬だけ月明かりが零れる。
勝手に身体は立ち上がっていて、吸い込まれるように、僕たちはお互いに歩み寄ってその身体に包まれる。ど、ど、と彼の強い心音が聞こえると、ここに溶けいってしまいたいと心から願ってしまうのだ。
ローレンは、僕のつむじに何度もキスをして、深呼吸する。くすぐったくて、身をよじると、ふふ、と子を宥めるように笑われる。
「私は、もっと強く、セリが帰ってきてくれるのを待っていた」
深い声にようやく顔をあげると、眦をじんわりと染めたローレンが微笑んでいた。僕の額を撫でるように毛先を払う。
「すごく…わかりました…」
同じ家にいて、さっきまで共に時間を過ごしていたのに、それでは足りなかったのだと自分でようやく気付いた。
この部屋に入ってしまえば、僕たちは、ただの恋人同士になる。
思いを唇に乗せて、背伸びをして、そ、と吸い付く。
「僕だけの、ローレン…」
震える瞼を持ち上げると、つやり、とした青は、世界中の輝きを詰め込んだ特別な宝石だった。
ローレンは、その瞳を長い睫毛で伏せてしまって、隠す。見せて、と頬を撫でると、その手を大きな手のひらで包まれて、唇が吸い付いてくる。
「ああ…、どれだけ待ち望んだことか…」
僕の手のひらに熱い吐息と共に囁かれた言葉は、こちらのセリフだった。ばさり、と音が鳴りそうなほど密度の高く長さのある銀の睫毛が持ち上がると、奥底に劣情を滲ませた深い青が現れる。
ローレン、と名前をつぶやこうとするが、その前にしっとりとしたものに塞がれてしまう。うっすらと開けた唇の狭間を甘やかな熱がぬるり、と入り込んできて、僕は薔薇の香りに奪われてしまう。
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