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第51話 ――夜明けの約束9(終)
しおりを挟む「だから、もう二度と、ローレンも自分を責めないで…」
「セリ…」
解かれた手を、そのまま伸ばして、彼の両頬を包む。僕の手首をやんわりと握りながら、彼は涙を流すかのように顔をしかめる。身を寄せて、唇が近づく。熱い吐息を漏らされて、肌を撫でる。
「僕…、あなたになら、何をされてもいい…」
嬉しい…、とこの世の中で、ローレンにしか聞こえない声量と囁く。それから、ゆったりと唇を触れ合わせる。瞼をあげると、深く色を染めた紺碧の瞳が僕だけを映す。それは潤んできらきらと瞬いているようだった。
「でも、それと同じくらい、ローレンの役に立ちたい…」
親指で、目元の柔らかい部分を撫でる。どこまかしこも、彫刻のように美しい人だとつくづく感心する。
僕の言葉に、ローレンは、一瞬、きゅ、と眉を寄せる。
「セリが、私の隣にいてくれるだけで、充分すぎる…」
こんな歯の浮くセリフを、ローレンは本心そのまま、という真顔で吐き捨ててくる。ちゃんと、心を解して触れ合っていることが伝わってくる。するすると不安が煙のようにどこかへ流れていって、春風にさっと姿を奪われていく。ようやく、僕も肩の力が抜けて、ふ、と頬が緩む。
「じゃあ、ローレンが朝起きたら、僕のことも起こして?」
朝、一緒におはようを言って、同じものを食べて、愛する人にいってらっしゃいと言いたい。
その後、愛する子どもと一緒に時間を過ごしたい。
さらに、愛する番との夜の時間もあるとなれば、それは幸せ極まりない一日となるだろう。
だから提案をした僕に、ローレンは眉根を寄せる。
「しかし…、セリの美しいも愛らしい寝顔を見ている時間が、至福なのだが…」
「じゃあ、三人で寝室を一緒にすれば解決、かな?」
「それはダメだ」
鼻根にまで皺を作って本気で悩むローレンに、もう一つ提案をすると言葉を被せるようにはっきりと強く言い放たれる。さっき、セックスはしなくてもいい、と言っていた人とは思えない速さに、ぱちぱちとまばたきをしながら、彼をじっと見つめてしまう。それに気づいたローレンは、いや、その…と珍しく言葉を濁していた。こほん、と小さく咳払いをしたローレンは、改めて表情を凛々しくつくって、僕を見つめ、頬を長い指が撫でてくる。
「セリの安らかな眠りを妨げることが、本当に心苦しいのだ…」
セリにはずっと幸せでいてほしい。
躊躇いもなく、するりと形の良い唇からあまりにも惜しみない愛が溢れてくる。だから、僕も応えたい、と心から思う。すっかり柔らかくなった心が、ゆるゆると言葉を生み出す。
「僕も、ローレンと幸せでいたい…そのためには、やっぱり、一緒に、毎日おはようを言い合いたい」
むず痒くて、彼の胸元に擦り寄って、抱きしめる。
だめ、かな…? 彼を見上げると、ど、と彼の身体から強い音がどこからか聞こえて、ローレンにものすごく強い力で抱きしめられた。あまりの苦しさに、ぷは、と笑ってしまうと、くすくすと止まらなくなってしまった。
なんだか、すごく小さいことで気まずくなっていた気がする。
「そんなに愛しい願いを、どうしたら無碍にできようか…」
とても不本意そうではあったが、ローレンは首を縦に振ってくれたらしい。だから、安心して彼の首筋に鼻筋をこすり合わせるように抱き着く。ふわ、と薔薇の香りが強くなって、くつ、と身体の奥で何かが弾ける。
顔をあげた彼は、眦を赤く染めながら、潤んだ宝石で僕を見下ろす。
「他には…? 気にしていることはないか? 避妊薬のこととか…」
彼と再会後、発情期の際に避妊薬のことの話をした。
「王都の最先端機関で調査をして安全だと完全保証されたものだが…、やはり、気になるか?」
アルファとオメガが避妊をすることなんて、この世の中で必要とされない。だから、避妊方法は薬以外、生み出されていない。その薬も、もともと僕が飲んでいたものを成分分析をして、僕の身体に絶対に危害が出ないように改良させたらしい。
二人で納得して、薬は服用している。だから、僕は首を横に振る。
「ローレンがくれたものだから、全然心配してないよ? 飲まない方が、いい?」
子ども、ほしいのかな。
ローレンの家柄は王都でも高位で有名だ。だから、子孫が多ければ多いほど嬉しいはずだ。
ただ、ローレンは避妊薬を飲んでほしいと言う。今も、はっきりとノーだと言い放つ。
「まだ、セリを独り占めしたい…」
丸い指先が僕の瞼を撫でて、前髪を後ろに梳き流す。優しいその動きに、目が細まる。心地よい。
「ライバルは一人で充分だ…」
今はまだな、と小さく付け加える。ライバル、と言われて、頭の中を巡らせると、小さくて可愛いエルが浮かんで、また笑ってしまう。
ローレンはまだ子どもはいい、といつだって答える。僕と二人でいたい、と。
それだけ、求め、愛される温かな感情に包まれると、僕もとろけるように幸せで、うなずく。
「でもね、最近、エルが…妹がほしいって」
頬がぐ、と熱くなる。気恥ずかしくて、彼の瞳は見上げられない。目の前の薄いのに、情熱的で柔らかい唇に、人差し指を当てて、弾力を確かめる。
すると、唇が押し出されて、ちゅ、と小さく音を立てて僕の指先にキスをして、ぺろ、と指の側面を舐められる。ずく、と夜の色めきに腰が重くなる。そろりと目線を上げると、細まった瞳はじり、と焦げるように熱いものを隠している。
「私には、弟がいいと言ってきた」
一体、どういう流れでそうなったのかはわからないが、急に、息子にこの爛れた自分の姿を見透かされてしまったような気がして、羞恥と情けなさに全身が赤く染まる。ぎ、とベッドが鳴ると、彼の両腕に閉じ込められて、彼越しに天井が見える。
「だが、もうしばらくは、我慢してくれ、と伝えておいた」
「も、もう…っ!」
純粋なまだたった三歳の息子がどこまで知っているかわからない。家庭教師から教わることへの吸収の高さと、世界の真理への探究心の強い、彼の子らしい優秀で賢い子だ。もしかしたら、もう知っているかもしれない。本当の意味はわかっていなくても、それは次期に必ず明瞭に理解する。
今まで、たった二人の家族だったのに、急に自分がオメガになってしまったと思われていないか、心がざわつく。
けれど、目の前の父親は、どっしりと構えた眼差しだった。大切なことなのだから、きちんと知っておいた方が良い、とでも言うようなはっきりとした意思を感じる。
僕なんかよりも、よっぽど親としての経験値を備えているようにも見えてしまう。
そ、と顔が寄せられると甘く唇をしっとりと吸われる。
「明日、必ずおはようと言おう。だから、花嫁、私を受け入れてくれるか…?」
下唇が触れ合いながら、彼がこっそりとした声量で、たっぷりの蜜を含ませながら唱える。ちら、とぼんやりと空いた上唇の裏に甘い舌があたる。それだけで、すっかり僕の世界には彼だけになってしまう。
「約束、だよ…?」
「もちろんだ、愛する人」
微笑んだローレンを僕は抱き寄せて、その甘い唇にうっとりと瞼を降ろした。
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