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第20話
しおりを挟む(本心、なのに…)
僕の自己満足を喜んでくれた。安らぎだと言って、宝物だと微笑んでくれた。
引き込まれるように、身体が前に倒れる。とん、と額が、固い肩に触れる。握りしめていた指先は、ひくん、と跳ねて離れた。けれど、僕はそれを離さないように、つないだ手をほんの少しの力で逃がさない。跳ねた肩も、しばらくすれば脱力していく。
かすれた声は、確かに、セリ、と僕の名前を呼んだ。
「旦那様はお優しいです…」
(好きです…)
言えないその言葉を飲み込んでつぶやく。今日もらったヴェランシアの苗を思い出す。記憶の中にある大輪で肉厚の花びらが、あんな細い枝になるのだろうか。心配になるほどかさついた木肌は、見た目よりもしっかりとしていた。
(どんな思いで、ヴェランシアの苗を僕に送ってくれたのですか…)
聞いてしまいたかった。けれど、そこまで求めるのは欲張りすぎだろう。
理由なんて、いい。
ただ、彼が僕のために苗を選んで、僕たちだけしか知らない愛の花を、送ってくれたのだ。
それでいい。
(ありがとうございます…)
僕に、温かな愛をくれて、ありがとう。
それは、彼にとっての気まぐれで、別れの近い、僕への憐れみからくる優しさだとしても、何か後ろめたさのある優しさだとしても、僕には、それで充分なのだ。
「セリ…っ」
いつの間にか抜け出した大きな手のひらが、背中に当てられて、身体に押し付けられる。ぐ、と身体が密着すると、ど、と強い鼓動が布を越え、皮膚を伝って、僕の鼓動に混ざり合う。あまりの強さに目を見張るが、僕よりも少し早いそれは、アルファらしさ故なのだろう、と彼の肉体の強さを感じて、目を細める。
ぼくも開いた右手で、恐れ多くも、彼の服の裾を握りしめた。本当は、この広くたくましい胸元に飛び込んで、全身でぎゅうぎゅうに抱き込んでほしかった。
(これで、充分…)
これ以上触れてしまったら、本当に心臓が飛び出してきてしまいそうだと一人で、くす、と笑った。ローレンの長い腕が背中を覆って、肩を掴み、強く抱き寄せられる。両手で抱きしめたいけれど、触れ合った指先をほどくのは、ためらわれて、僕も頬を擦り寄せる。
(好き…、大好き、ローレン…)
言葉は身体の中でだけ弾けて、溶けて、また溢れる。
その日は珍しく、馬車に揺られていた。ぽこ、ぽこ、と心地よい蹄の音が聞こえる。ゆっくりと歩く馬と揺れの少ない車体なのは、すぐに車酔いを起す僕への気遣いだろう。
執事たちの計らいだろう、と思っていた。
珍しく、屋敷に来客があるということで、僕は彼に頼まれて、隣町へお使いに来たのだ。
「本来なら、二人で出かけるところなのだが…」
眉を寄せて、心底残念そうにつぶやく彼は、僕よりも頭一つ以上も背が高くて見上げないと瞳が見つからないくらい大きいのに、少年の顔つきだった。年齢だって、地位だって、何だって僕よりも上なのに、見せられた表情に、つい頬が緩んでしまう。
「ああ…、やはり、私も一緒に…心配だ…」
そんなやり取りを何回も繰り返して、ずっと握りしめられていた手の温度を思い出す。思い出すだけで、身体の奥底からほこほことしてくる。
お使いは来客用に彼の家が代々付き合いのある菓子店で手土産を買ってくること。決められたものを必要な数だけ買う。金品はお付きの執事がやり取りしてくれていた。その間に店内を見渡すと、レモンシトロンの焼き菓子が置いてあった。
柑橘の好きな彼が喜びそうだ、と目を見張る。甘いものが得意ではないから、店員に甘さを聞くと、レモンの良さを引き立たせるために控え目だそう。品の良い、素材を生かす味のこのお店のものは、外れない。僕も、ここに来たばかりの時に、毎日日替わりでここの焼き菓子をお茶請けに出してもらっていた。
「これも、いただけますか?」
指をさしながら、執事に振り返る。執事は店員とやり取りを終えたところで、すぐに僕のもとにきて頭をさげた。
「旦那様が、好きそうでは、ありませんか…?」
この屋敷に来てから、ずっと傍にいた執事は、僕の言葉を静かに聞いていた。逆にその静かさが、気恥ずかしくて、次第に頬が熱くなり、言葉尻も小さくかすれてしまった。
「これは、初めて見るお品物です。きっと、旦那様もお喜びになられることでしょう」
白いひげを蓄えた執事は、目元の皺を深く微笑んでから優しく答えてくれた。それから、店員を呼んで、僕の指差しているものを二つ、と言ってくれた。
「旦那様用なので、一つで大丈夫ですよ?」
僕のわがままで余計な出費をさせてしまい、急いで執事に訂正を求める目線を送ると、執事は胸に手を当てて、頭を軽く下げる。
「奥様用に買わずでは、帰って旦那様に叱られてしまいます」
それは、お二人でお楽しみください、という優しい時間を連想させる心遣いがあって、食後の甘いひと時にこの焼き菓子が添えられるのかと思うと、くつくつと心が揺れる。ありがとう、と熱い頬を隠すように撫でてから、つぶやくと、執事はゆるゆると笑みながら、頭を下げた。店主すら、照れ笑いを浮かべている。なんだか、全てに気を遣わせてしまっていて、申し訳なさすら湧き上がってくる。
執事と同い年くらいに見える初老の店主は、次は旦那様といらしてください、と頭を下げて見送ってくれた。ローレンの妻として仕事をしているのだと感じると、むずむずとするのに、どこまでも誇らしさすら感じる。
膝の上で一緒に車に揺られる紙袋の中では、かさ、かさ、と二つの焼き菓子が並んでいた。レモンの甘酸っぱい香りが優しく漂う。今夜の楽しみが増えてしまった。
ただでさえ、彼と会える時間が嬉しい。それに加えて、ヴェランシアの苗をもらった日から、寝る前は、僕の寝室まで送ってくれて、ハグをしてから甘く微笑まれて別れを惜しむ。
甘すぎる時間に、昼間は頭がぼう、としっぱなしだった。
初めてローレンから頼まれたお使いは、妻として認められたような気がして、とても嬉しかった。執事がいてくれるから、何の問題も心配も、失敗もあり得なかったのだけれど、お土産を抱えて帰路につくと、早く彼に会いたいという気持ちで頭がいっぱいになってしまう。
ようやく屋敷についた時には、日差しはもう、西に傾き始めていた。門の前に留められた馬車から、執事のエスコートで足を降ろす。小さな紙袋を抱えて。
(これは、夕飯の後の楽しみだから…)
執事に預けようかとも思ったけれど、直接彼にプレゼントしたいと握り直す。いつも、もらってばかりだから、ようやくお返しができる、と勝手に口角があがってしまう。それを馬頭も執事も、優しく見つめてくれていて、気恥ずかしくなる。頭を下げて、屋敷に入ろうとした時に、風に乗って甘い香りがした。
それは、花とは違う、バニラのような煮詰めた甘さのものだった。違和感を得て、屋敷の入口ではなく、庭の門に手をかけて、足を踏み入れた。柔らかな芝を踏まないように、石畳を歩く。これももう、歩き慣れた場所だ。薔薇のアーチが見えてくると、話し声が聞こえ始める。
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