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第38話.新たな試練
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「ハァッ……ハァー」
岩場の急斜面、両手両足をフルに使って登る。自然の岩肌は、容赦なく私の指先を切り裂いた。唇を真一文字に結んで、先を目指す。
背中の高尾教諭は、いつの間にか静かになっていた。縄で身体を結んで背負っているので落とす事は無いが、容態が心配だ。時折思い出したように返事は返すのだが、意識もはっきりしているとは言い難い。
「教諭、もうすぐですよ……っ!」
返事の無い彼に向かって声をかける。
カラカラカラッ……!
その時、石が降った。咄嗟に岩肌にぴたりと身体をくっつける。私達の三十センチ横を、拳大の石が音を立てて転げて消えた。
カラガラカラガラ……ッ!
二つ、三つと岩とも石とも言えるような大きな塊が遥か下の空間に消えていく。
しばらくして落石が止み、安心して顔を上げた時それは起こった。考えうる最悪の展開。
ぴしりと音が聞こえた気がする。
直後頭上の雪庇に大きくヒビが入り、大きな雪のブロックが、ひとかたまりになって滑り落ちて来た!
雪崩だ。
アッ!と思うがもう遅い。踏み止まろうと岩にしがみつくが、白い奔流は大地と一体となり、私の身体を背負った高尾教諭ごと一瞬で呑み込んだ。
最初に感じたのは「ずどん!」という衝撃。トラックにでも轢かれたのかと思った。真っ黒な空中をぐるぐると回転する。
上も下も分からない。
目は開けられているのか、空を飛んでいるのか、雪の中に埋まっているのか。五感が、正しい情報を送る事ができなくなった。
背嚢は?高尾教諭は?綱(ロープ)は?
わかるのは、耳元でがなりたてるゴゴゴゴォーッという神様のいびきだけだ。
視界が墨色に暗転したかと思うと、四つの手足が締め付けられて、千切れたような感覚。
そしてぎゅうっと暗闇に押しつぶされた。
身体の内側から、ミシミシという音が聞こえる。咄嗟に口の周りを手のひらで囲むようにして、亀のように縮こまった。
それは一瞬だったのか、それとも長い時間に渡って起こったのか。洗濯機で回される洗濯物はこんな気分なのだろうか。
ああ、くそ。こんなところで……!
……
ほのかなオレンジの光。
私を守るように、胸に、手のひらに暖かさが広がる。
「しんいち」
声がする。上からだ。
「しんいち」
上を向く。
太陽の光と重なって、長い黒い髪が輝く。ああ、彼女は。そうか。
「おかあちゃん」
母親の腕の中に潜る。これは記憶か?
それとも夢か。母親の顔など覚えていないというのに。なぜかそれがわかった。
「あまえただね。うちには男はお前しか居ないんだから、しっかりしてもらわないと」
太陽の匂いがする。大きな手のひらで頭を撫でられた。
「進一、お前はどうしたい」
「ぼくは、……私は」
腕の中から出て、立ち上がる。
二歳ほどの身体が、急に青年にまで成長した。見上げるほどだった母親の頭のつむじが見えた。
「まだ生きたい。この明而を」
お母ちゃんが笑った。
「そうかい、なら今は行っておいで。お母ちゃんにはいつでも逢えるんだから」
「はい、行ってきます」
そう言った瞬間、目の前に光が弾けた。
……
はっと気がついた。
私は雪面上に上半身を出して、気を失っていたらしい。下半身は雪に埋もれてしまっている。
もぞもぞと動き、何とか雪の中から脱出した。全身が引き裂かれたような痛みを訴えているし、雪が服の中にまで入ってしまっている。
背嚢も失った、手袋も右手の分がどこかに行ってしまったようだ。
しかし手も足も動く。一つ言えるのは幸運であったと、それだけだ。
雪崩に呑まれて自力で出て来られたのだから。雪は積み重なれば、その重みでコンクリートのように硬くなる。もし全身が埋もれてしまっていれば、自力で脱出するのは極めて難しかっただろう。
悲鳴をあげる全身を、なんとか動かして付近を捜索する。すぐに半身を雪面に出した高尾教諭を見つけて、急いで掘り起こした。
まだ息がある。
「高尾教諭!大丈夫ですか!?」
「……」
返事が無い。最悪の展開が頭によぎる。
「教諭!」
「聞こえている。少し休んでいただけだ」
ほっと一つ息を吐く。
「もう一度、登り直します。しっかり掴まっていて下さい」
「……頼む」
再び高尾教諭を背負って立ち上がった。
指と膝に痛みがあるが、身体の各部分からの悲鳴は全て無視する。
「私は絶対、生きて帰ります」
「……ああ」
「教諭も約束して下さい。必ず生きて帰ると」
「……ああ。約束しよう」
スゴロクでいうとスタートに戻るかな。
いや、それより酷いな。スタートより随分後ろまで戻された。遥か彼方に見える、先程登っていた斜面を目指して、一歩づつ歩き始めた。
岩場の急斜面、両手両足をフルに使って登る。自然の岩肌は、容赦なく私の指先を切り裂いた。唇を真一文字に結んで、先を目指す。
背中の高尾教諭は、いつの間にか静かになっていた。縄で身体を結んで背負っているので落とす事は無いが、容態が心配だ。時折思い出したように返事は返すのだが、意識もはっきりしているとは言い難い。
「教諭、もうすぐですよ……っ!」
返事の無い彼に向かって声をかける。
カラカラカラッ……!
その時、石が降った。咄嗟に岩肌にぴたりと身体をくっつける。私達の三十センチ横を、拳大の石が音を立てて転げて消えた。
カラガラカラガラ……ッ!
二つ、三つと岩とも石とも言えるような大きな塊が遥か下の空間に消えていく。
しばらくして落石が止み、安心して顔を上げた時それは起こった。考えうる最悪の展開。
ぴしりと音が聞こえた気がする。
直後頭上の雪庇に大きくヒビが入り、大きな雪のブロックが、ひとかたまりになって滑り落ちて来た!
雪崩だ。
アッ!と思うがもう遅い。踏み止まろうと岩にしがみつくが、白い奔流は大地と一体となり、私の身体を背負った高尾教諭ごと一瞬で呑み込んだ。
最初に感じたのは「ずどん!」という衝撃。トラックにでも轢かれたのかと思った。真っ黒な空中をぐるぐると回転する。
上も下も分からない。
目は開けられているのか、空を飛んでいるのか、雪の中に埋まっているのか。五感が、正しい情報を送る事ができなくなった。
背嚢は?高尾教諭は?綱(ロープ)は?
わかるのは、耳元でがなりたてるゴゴゴゴォーッという神様のいびきだけだ。
視界が墨色に暗転したかと思うと、四つの手足が締め付けられて、千切れたような感覚。
そしてぎゅうっと暗闇に押しつぶされた。
身体の内側から、ミシミシという音が聞こえる。咄嗟に口の周りを手のひらで囲むようにして、亀のように縮こまった。
それは一瞬だったのか、それとも長い時間に渡って起こったのか。洗濯機で回される洗濯物はこんな気分なのだろうか。
ああ、くそ。こんなところで……!
……
ほのかなオレンジの光。
私を守るように、胸に、手のひらに暖かさが広がる。
「しんいち」
声がする。上からだ。
「しんいち」
上を向く。
太陽の光と重なって、長い黒い髪が輝く。ああ、彼女は。そうか。
「おかあちゃん」
母親の腕の中に潜る。これは記憶か?
それとも夢か。母親の顔など覚えていないというのに。なぜかそれがわかった。
「あまえただね。うちには男はお前しか居ないんだから、しっかりしてもらわないと」
太陽の匂いがする。大きな手のひらで頭を撫でられた。
「進一、お前はどうしたい」
「ぼくは、……私は」
腕の中から出て、立ち上がる。
二歳ほどの身体が、急に青年にまで成長した。見上げるほどだった母親の頭のつむじが見えた。
「まだ生きたい。この明而を」
お母ちゃんが笑った。
「そうかい、なら今は行っておいで。お母ちゃんにはいつでも逢えるんだから」
「はい、行ってきます」
そう言った瞬間、目の前に光が弾けた。
……
はっと気がついた。
私は雪面上に上半身を出して、気を失っていたらしい。下半身は雪に埋もれてしまっている。
もぞもぞと動き、何とか雪の中から脱出した。全身が引き裂かれたような痛みを訴えているし、雪が服の中にまで入ってしまっている。
背嚢も失った、手袋も右手の分がどこかに行ってしまったようだ。
しかし手も足も動く。一つ言えるのは幸運であったと、それだけだ。
雪崩に呑まれて自力で出て来られたのだから。雪は積み重なれば、その重みでコンクリートのように硬くなる。もし全身が埋もれてしまっていれば、自力で脱出するのは極めて難しかっただろう。
悲鳴をあげる全身を、なんとか動かして付近を捜索する。すぐに半身を雪面に出した高尾教諭を見つけて、急いで掘り起こした。
まだ息がある。
「高尾教諭!大丈夫ですか!?」
「……」
返事が無い。最悪の展開が頭によぎる。
「教諭!」
「聞こえている。少し休んでいただけだ」
ほっと一つ息を吐く。
「もう一度、登り直します。しっかり掴まっていて下さい」
「……頼む」
再び高尾教諭を背負って立ち上がった。
指と膝に痛みがあるが、身体の各部分からの悲鳴は全て無視する。
「私は絶対、生きて帰ります」
「……ああ」
「教諭も約束して下さい。必ず生きて帰ると」
「……ああ。約束しよう」
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いや、それより酷いな。スタートより随分後ろまで戻された。遥か彼方に見える、先程登っていた斜面を目指して、一歩づつ歩き始めた。
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