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第122話.鷹ト鷹「ルシヤ視点」
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ソコロフ少将は苛立っていた。
思えばこの日本国との戦争は、彼にとっても誤算の連続であった。
あの明而三十八年のルシヤ人街の火災の後、北部雑居地に軍を駐留する事を決定したのはこのソコロフ少将だ。本国の一部の人間からは独断専行だろうという声もあったが、ルシヤ皇帝は彼を支持した。
極東の弱小国家である日本国など、ルシヤが望めば戦争をするまでも無く降伏するだろう。誰もがその程度の認識であった。
それが蓋を開けてみれば、日本は兵隊と武器を掻き集め、ルシヤ軍に戦いを挑んだ。それ自体が誤算であるのに、戦闘では想定以上にルシヤ側にも被害が出たのだ。その結果、将軍はルシヤ本国からの応援を要請せざるを得なくなり、彼は多方面に要らぬ借りを作ってしまった。
本国では大胆な作戦と行動力で高く評価されていたこの将軍であるが、今回の日本国との戦争では、功を焦って空回りしてしまったというのが妥当な見方になるのだろうか。
そして十二分に兵力を整えた上で、この明而四十一年三月の会戦。この戦闘では、ルシヤ軍は日本軍を撃滅する手筈であったのだが、敵は積極的な動きを見せず、正面衝突を回避しながらの後退。挙げ句の果てには本隊が札幌(ほんきょち)まで逃げたというのだから、たまらない。
早々に決着をつけてルシヤ本国と、彼を支持して増援を決めたルシヤ皇帝に勝利の報告をせねば。そう考えていたソコロフ将軍は、焦りと怒りによって心を支配されていた。
その上でルシヤ軍が、背中を見せた日本軍を思うように追撃できていないという報告を受けたものだから、彼はついに爆発した。
将軍は陣中に置かれた簡素な椅子を蹴飛ばし、周りの将兵達へ罵声を浴びせる。
「なぜ我がルシヤ軍はこんなに進軍が遅いのか!潰走する日本兵など踏み潰して進めば良いだろう。なぜ背を向ける猿ごときに手間取っている!」」
壊れて転がった椅子には目もくれず、皆一斉に彼の方へ視線を向ける。中でも彼に近かった男が、恐る恐る言った。
「はっ……それが。道が悪く山がちな地形に車輪(くるま)を取られているようです」
「そんな事はわかっている。それを見ても遅すぎるわ!」
将軍に唾を飛ばされながらもジッと耐えて、もう一度男が言う。
「奴らめ自ら橋を落とし、道を潰しているようで。道も村も、我らの進路上の一切を焼き払った様子です、なので……」
「それはもう打つ手がないと言っておるようなものだ。押せば潰れる。どこで抵抗されているのか、更に兵を送れ!虎の子を出しても良い」
「それが、はっきりと敵がおらんのです」
「敵がおらん?何が言いたい」
「我が軍が進めば逃げ去り、留まれば襲撃してくるのです。何も無いような場所に穴を掘って潜んでおり、まるで幽霊を相手にしているようだと」
ふん。と鼻から息を吐いて将軍は言った。
「幽霊などと馬鹿な事を。幽霊だろうが亡霊だろうが銃を撃てば弾は減る、撃たせるだけ撃たせて敵の銃弾が尽きるまで進め」
彼がこうだと言えば、皆それに従って来た。
そして豪腕で知られるソコロフ将軍は、事実今までそうして成果を上げて来たのである。
「閣下!」
そこに現れたのは、ルフィナ・ソコロワであった。彼女はまだ若い、それに女の身でありながらルシヤ軍の少佐という階級にまで上がった人である。彼女は生まれも良く、更に識者であるという事も大きいが、周りから見ても才があった。その彼女は一度敵の手に落ちたのだが、先日のルシヤ軍と日本軍との会戦の最中、ルシヤの奪還部隊によって救助されていたのだった。
杖をついて出てきたその姿は、以前の活発な彼女を知る者であれば、顔を背けてしまいそうな痛ましさである。
「おお、ルフィナか。傷はどうだ」
「手当は終わっています。それより閣下、無理に押してはいけません、これは恐らく日本のタカの仕業。私たちに罠を仕掛けていると考えて良いでしょう」
気丈に答えるその声は、やはり彼女のものだ。負傷してなお、凛と通る声でしっかりと言った。
「罠だと?」
「はい、私たちの体力を消耗させる事自体が目的であると思われます。敵に付き合う必要はありません」
「では、どうすべきだと」
「海軍へ要請を。艦隊を持って札幌に海上から直接攻撃を仕掛けさせましょう。陸戦だけでこの場を切り抜けるのはリスクが大きすぎます」
将軍は目線を机の上の地図に落とした。そしてしばらくの沈黙の後、言った。
「お前は心配しすぎだ、海軍を動かすまでもない。奴らに何ができるものか、猿(にほんじん)に噛まれたのがよっぽど応えたと見える。しばらく休んでいなさい」
「閣下、ソコロフ将軍閣下!私は冷静です」
「おい、ルフィナを休ませてやれ」
ソコロフ少将がそう言うと、すぐに何名かの士官がルフィナの左右に回り手を取った。外へ連れ出そうというのだろう。
「待って、閣下……お父様!話を聞いて!」
その呼びかけに、将軍は応えない。彼は無言で再び地図を見ている。
「ルフィナ様、こちらへ」
手を引こうとした士官の手を退けて、ルフィナは言った。
「……自分で歩けます!それに階級は貴方の方が上です。様はやめて下さい」
「失礼しましたルフィナ少佐。ではこちらへ」
彼女は司令室を後にした。
思えばこの日本国との戦争は、彼にとっても誤算の連続であった。
あの明而三十八年のルシヤ人街の火災の後、北部雑居地に軍を駐留する事を決定したのはこのソコロフ少将だ。本国の一部の人間からは独断専行だろうという声もあったが、ルシヤ皇帝は彼を支持した。
極東の弱小国家である日本国など、ルシヤが望めば戦争をするまでも無く降伏するだろう。誰もがその程度の認識であった。
それが蓋を開けてみれば、日本は兵隊と武器を掻き集め、ルシヤ軍に戦いを挑んだ。それ自体が誤算であるのに、戦闘では想定以上にルシヤ側にも被害が出たのだ。その結果、将軍はルシヤ本国からの応援を要請せざるを得なくなり、彼は多方面に要らぬ借りを作ってしまった。
本国では大胆な作戦と行動力で高く評価されていたこの将軍であるが、今回の日本国との戦争では、功を焦って空回りしてしまったというのが妥当な見方になるのだろうか。
そして十二分に兵力を整えた上で、この明而四十一年三月の会戦。この戦闘では、ルシヤ軍は日本軍を撃滅する手筈であったのだが、敵は積極的な動きを見せず、正面衝突を回避しながらの後退。挙げ句の果てには本隊が札幌(ほんきょち)まで逃げたというのだから、たまらない。
早々に決着をつけてルシヤ本国と、彼を支持して増援を決めたルシヤ皇帝に勝利の報告をせねば。そう考えていたソコロフ将軍は、焦りと怒りによって心を支配されていた。
その上でルシヤ軍が、背中を見せた日本軍を思うように追撃できていないという報告を受けたものだから、彼はついに爆発した。
将軍は陣中に置かれた簡素な椅子を蹴飛ばし、周りの将兵達へ罵声を浴びせる。
「なぜ我がルシヤ軍はこんなに進軍が遅いのか!潰走する日本兵など踏み潰して進めば良いだろう。なぜ背を向ける猿ごときに手間取っている!」」
壊れて転がった椅子には目もくれず、皆一斉に彼の方へ視線を向ける。中でも彼に近かった男が、恐る恐る言った。
「はっ……それが。道が悪く山がちな地形に車輪(くるま)を取られているようです」
「そんな事はわかっている。それを見ても遅すぎるわ!」
将軍に唾を飛ばされながらもジッと耐えて、もう一度男が言う。
「奴らめ自ら橋を落とし、道を潰しているようで。道も村も、我らの進路上の一切を焼き払った様子です、なので……」
「それはもう打つ手がないと言っておるようなものだ。押せば潰れる。どこで抵抗されているのか、更に兵を送れ!虎の子を出しても良い」
「それが、はっきりと敵がおらんのです」
「敵がおらん?何が言いたい」
「我が軍が進めば逃げ去り、留まれば襲撃してくるのです。何も無いような場所に穴を掘って潜んでおり、まるで幽霊を相手にしているようだと」
ふん。と鼻から息を吐いて将軍は言った。
「幽霊などと馬鹿な事を。幽霊だろうが亡霊だろうが銃を撃てば弾は減る、撃たせるだけ撃たせて敵の銃弾が尽きるまで進め」
彼がこうだと言えば、皆それに従って来た。
そして豪腕で知られるソコロフ将軍は、事実今までそうして成果を上げて来たのである。
「閣下!」
そこに現れたのは、ルフィナ・ソコロワであった。彼女はまだ若い、それに女の身でありながらルシヤ軍の少佐という階級にまで上がった人である。彼女は生まれも良く、更に識者であるという事も大きいが、周りから見ても才があった。その彼女は一度敵の手に落ちたのだが、先日のルシヤ軍と日本軍との会戦の最中、ルシヤの奪還部隊によって救助されていたのだった。
杖をついて出てきたその姿は、以前の活発な彼女を知る者であれば、顔を背けてしまいそうな痛ましさである。
「おお、ルフィナか。傷はどうだ」
「手当は終わっています。それより閣下、無理に押してはいけません、これは恐らく日本のタカの仕業。私たちに罠を仕掛けていると考えて良いでしょう」
気丈に答えるその声は、やはり彼女のものだ。負傷してなお、凛と通る声でしっかりと言った。
「罠だと?」
「はい、私たちの体力を消耗させる事自体が目的であると思われます。敵に付き合う必要はありません」
「では、どうすべきだと」
「海軍へ要請を。艦隊を持って札幌に海上から直接攻撃を仕掛けさせましょう。陸戦だけでこの場を切り抜けるのはリスクが大きすぎます」
将軍は目線を机の上の地図に落とした。そしてしばらくの沈黙の後、言った。
「お前は心配しすぎだ、海軍を動かすまでもない。奴らに何ができるものか、猿(にほんじん)に噛まれたのがよっぽど応えたと見える。しばらく休んでいなさい」
「閣下、ソコロフ将軍閣下!私は冷静です」
「おい、ルフィナを休ませてやれ」
ソコロフ少将がそう言うと、すぐに何名かの士官がルフィナの左右に回り手を取った。外へ連れ出そうというのだろう。
「待って、閣下……お父様!話を聞いて!」
その呼びかけに、将軍は応えない。彼は無言で再び地図を見ている。
「ルフィナ様、こちらへ」
手を引こうとした士官の手を退けて、ルフィナは言った。
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