君のノイズがいつか消えても

安芸咲良

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Bメロ-2

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 週が明けて月曜日。
 俺はどんな顔をして山都由真に会ったらいいか分からなくて、いつもより三十分早く家を出た。
 見上げる山都由真の家は、まだカーテンが閉まっている。俺は見つからないうちに、そそくさと学校へと向かった。
 チャイムが鳴るギリギリで、教室に行った。山都由真とは同じクラスなのだ。いつまでも逃げてるわけにはいかない。
 結構身構えて行ったのに、その日、山都由真は休みだった。

「おい」

 放課後。帰ろうとした俺にお声がかかった。女子が黄色い声を上げてるけど、そんなん聞かなくても誰だか分かる。逃げたいけど逃げようがない。

「おいこら逃げんなジョージ、しばくぞ」
 やっぱ無理ですよね、リュー先輩……。
 黙って先を行くリュー先輩の背中を、俺はついていった。リュー先輩はどんどん階段を上っていく。屋上の扉の前、そこにあったものに、俺は目を見開いた。

「リュー先輩、これ……」
「由真のお願いでここに置いた。ちゃんと先生の許可ももらってる」

 そこにあったのは、ドラムとアンプだった。

「許可って……」
「成績いいと、いろいろ使えて便利だな」

 リュー先輩、頭良かったのか。いとこバカだと思ってたけど、それだけじゃないんだな。
 俺はアンプを見下ろした。
 引っ越しのときにちょっと触ったけど、半年以上触っていなかったアンプ。もちろんこれは俺のと違うけど、これを見るだけで心臓がどくんと脈を打つ。

「由真の歌を聞いたんだろ?」

 その言葉に俺は視線を上げた。

「あいつは歌うために生まれてきたような人間だ。俺はそれを邪魔するものが許せない。由真が好きに歌えるなら、なんだってするつもりだ」

 リュー先輩の顔には、覚悟が浮かんでいる。その気持ちは分からなくもない。ワンフレーズ聞いただけでも、山都由真の歌には衝撃を覚えたのだ。ずっと一緒にバンドをやってるリュー先輩なら尚更だろう。

「……確かに、あいつの歌はすごいと思いました。でも、それならベースは俺じゃなくたっていいはずです。もっとうまい人は、いっぱいいます。それに……ノイズってことは、リュー先輩もあのライブを見たんでしょう? 俺はもうバンドをやるつもりはないんです」

 あの日のことを思い出すと、今でも胸が痛い。俺が壊してしまったライブを、まだ受け入れることができずいいた。
 受け入れられる日なんか来るんだろうか。

「他を当たってください。それがあいつのためだ」

 俺よりうまいベーシストは、たくさんいるはずだ。山都由真に見合ったベーシストが。
 背を向ける俺に、リュー先輩はなにも言わなかった。

   *

 俺の所属していたバンド『スコア』は、二つ年上の先輩たちで組んだバンドだった。ベースの人だけもう一つ年上で、受験を機にバンドをやめてしまったからメンバーを探していたそうだ。
 俺がまだ中学生ということで、最初はみんな俺が入ることを渋っていたが、演奏を聞いたら態度を変えた。
 ずっと一人で練習していた。初めて認めてもらえて嬉しかった。

 スコアでは主にseasonsというバンドのコピーをしていた。seasonsは女性ボーカルだけど、スコアのボーカルの声の伸びはよくて、男だけど透明感のある声ってことで評判が良かった。まぁノイズほどじゃなかったけど。
 家と学校とスタジオを往復する日々。一度それで成績が下がってしまって母さんにめちゃくちゃ怒られたから、勉強もがんばった。英語だけは伸びなかったけど。
 チューナーで音程を合わせて、メトロノームに合わせてベースを弾く。家にいる時間は大抵そうして過ごしていた。スコアに入ってからは、それにバンドの演奏を録音したものと合わせて弾く、という練習が加わった。

 最初の頃は、メンバーも褒めてくれた。中学生なのにそれだけベースを弾けるのはすごい、と。
 ムジカは実力のないバンドはステージに立てないライブハウスだ。事前審査がある。俺たちはオリジナル曲も取り入れて、ムジカのステージに立てるようになった。対バンも少しずつできるようになり、オリジナル曲も増えていった。

 なにがきっかけだったのかは分からない。俺が中三に上がる頃には、バンド内の空気があまりよくないものに変わってしまっていた。いや、きっかけは分かっている。俺が頑なだったせいだ。
 元々は同級生同士で楽しくやろうと組んだバンドだ。『スコア』が出てる人気曲をやろう、という意味のバンド名。メンバーを変えながら徐々にそのスタンスが変わっていってしまった。

 もっとステージに立ちたい。もっと正確に弾けるようにならなくては。
 そう思ったのがいけなかったのだ。

『なんでもっとちゃんと弾けないんだよ!』

 それが決定打だった。
 ライブ前の、最後のスタジオ練習の日のことだ。
 ボーカルの音程がすれてるとこがある、ギターソロで毎回音を外すとこがある、ドラムの締めが甘い。
 全体を見れば、ささいなことだ。俺たちはプロじゃない。いくらでもごまかしようがあるものばかりだ。
 だけど、より正確に、確実にと練習してきた俺には、許せなかった。

 思わず叫んでしまった俺を見つめるメンバーの目が、忘れられない。
 お前のベースは気持ち悪いと言われたのは、最後のライブが終わってすぐ、ステージ脇でのことだった。
 それは事実上のクビだった。

   *

 あの日以降、山都由真がうるさくすることはことはなくなった。
 一日休んだ次の日は普通に登校してきたが、どことなく沈んだようにも見えた。きっとリュー先輩から俺がもうバンドをやらない理由を聞いたのだろう。
 俺も俺で気まずくて、山都由真に話しかけられずにいた。

「うわぁひどい」

 その声に俺は勢いよく振り返った。後ろの席から身を乗り出して、山都由真が俺の小テストを覗き込んでいる。

「ゴールデンウィーク明けに中間テストだよ? 大丈夫?」
「おまえ……!」

 こんな点数なのは英語だけだ。つーか覗き込むなよ!

「リューって学年一位なんだよねー」

 まじか。頭いいとは聞いてたけどそこまでとは。あんなに人相悪いのに……。
 いや美人だけど、山都由真が絡んでるせいか、俺に対して当たりが強いっていうか。

「しかも全国十位以内!」
「まじで!?」

 相当じゃないか。
 思わず大声を上げた俺に、山都由真はにやっと笑った。

「勉強合宿、しましょうか」

 嫌な予感しかしない。

「で、こうなるのかよ……」

 ゴールデンウィーク初日、ご丁寧にも山都はうちまで迎えに来た。つーかまだ八時なんだけど。せっかくの休みが……。

「若者よ! 時間は有限なのだ! ダラダラするでない!」
「いや若者って、おまえも同い年だろ」

 こういう時の山都由真には、なにを言っても無駄だ。俺は大人しく準備して、山都由真についていった。
 山都由真のアパートに着いて、俺は気がついた。

「あれ? 山都とリュー先輩の家って隣同士なの?」

 通りすぎたドアの表札には、『美里』とあった。山都由真は、鍵を開けながら答える。

「そだよー。言ってなかったっけ?」
「朝いつも一緒だなーとは思ってたけど。いとこで隣同士って、よっぽどだな」

 なんていうか、珍しい気がする。山都由真がちらりとこっちを見た。

「まぁ、いろいろあるんだよー」

 山都由真が開けたドアを、俺はくぐる。

「遅い」

 山都家のリビング、そこにはすでにリュー先輩が待っていた。HRが始まる時間よりも早いんですけど……。と思いつつも、今日からは教わる立場なので言わないでおく。

「おはようございます、リュー先輩。今日からよろしくお願いします」

 山都由真に勝手に組まれた勉強合宿だけど、全国トップレベルの人に教えてもらえるのはありがたい。性格の難には、目をつぶらなければ。
 実際、リュー先輩の教え方はわかりやすかった。

「リュー先輩、頭いいだけじゃなくて教え方もうまいってすごいっすね。教師でも目指してるんですか?」

 ひと段落して、山都由真が煎れてくれた麦茶を片手に聞いてみた。リュー先輩はちらりとこっちを見て、すぐに目を反らす。

「いや、俺がなりたいのは医者だ」

 あ、なんか納得。白衣姿がすげー目に浮かぶ。
 リュー先輩は、この話は終わりだといわんばかりに立ち上がった。

「切りがいいし、そろそろ昼にするか」
「わーい! お腹すいたー!」

 飛び跳ねるように、山都由真はリュー先輩の後を追う。なにか手伝ったがいいんだろうか。
 でも、リュー先輩がなにも言わないから、俺は大人しく座って待つことにした。

「あ、しまった。黒胡椒ないから、ちょっと取ってくる」

 作り始めてしばらく経ったころ、リュー先輩は言った。

「ほーい。なにしとけばいい?」
「とりあえずパスタ混ぜといて。タイマーが鳴ったらザルに上げて、お湯は捨てるなよ。ジョージは由真に手出すなよ?」
「出しませんて!」

 まったく、リュー先輩はどんだけいとこバカなんだ。
 リビングの棚を見やると、卒業アルバムが置いてあった。山都由真のものだろうか。ちょっと見てみるか。

「なに作ってんの?」
「カルボナーラ! リューのパスタ料理はおいしいんだよー? ジョージ、食べれてラッキーだね!」

 山都由真はカウンター向こうのキッチンから答える。
 たしかに、いつも山都由真の弁当はうまそうだと思ってた。今日食べれるなんて、ラッキーだ。勉強まで教えてもらってるし。
 敵視されてるようだけど、リュー先輩って、案外面倒見がいいのかも?
 俺はアルバムをめくる。山都由真の小学校の卒業アルバムだった。幼い顔が並んでいる。山都由真は何組かなっと。

「リュー先輩、美人で勉強もできて料理上手ってすごいよなぁ。家でも作ってんの? って家、隣か」

 夜はそれぞれの家で過ごすのかもしれない。

「いやー、お母さんとお父さんが揃ってたら、一緒に食べることはあんまないけど、結構三人で食べたりするよー」

 俺はその言葉を聞きながらページをめくる。そしてふと気がついた。今の言葉、なんか変だったような。
 でも、それを聞き返すことはできなかった。俺の目は、アルバムから離すことができなくなっていたからだ。
 六年三組のページ。そこにあったのは――。

『美里由真』

 今より幼い山都の写真の下には、そう記されていた。

「そういやジョージって、お兄さんと二人暮らしなんだ、っけ……」

 山都がひょこっと顔を覗かせる。その声が不自然に途切れた。

「あー……。しまっとくの忘れてた」
「お前……これ……」

 山都は俺のところまで来て座った。ローテーブルに肘をつき、アルバムを引き寄せる。ページをなぞる山都は、表情を読むことができなかった。

「小学校までは『美里由真』だったの。親の離婚でね。山都はお母さんの苗字。リューとあたしは、実の兄妹だよ」

 俺はなにも言うことができなかった。いとこバカとは思ってたけど、確かに度が過ぎる部分はあった。実の兄妹なら納得だ。

「でも……いとこって」
「元々お母さんとお父さんって、いとこ同士なの。だから正確に言えば、あたしたちは、はとこ。説明がめんどうだから、いとこで通してるの」

 まぁ小学校から一緒の子たちは知ってるけどね、と山都は続ける。

「お母さんとお父さんって小さい頃から仲良かったんだって。同い年だし趣味も合うし、よく一緒に遊んでたって言ってた。付き合うようになったのも自然の流れだったって。……でも、家族になるっていうと、話は違った。近すぎたんだね。あたしが小学生の頃はいつもケンカばかりしてた。離婚して、今の形でようやく落ち着いたんだよ」

 思いもよらない事実に、俺は俯いた。
 親が離婚するなんて、相当なできごとじゃないか?
 でも山都は、いつも笑っていた。三年経ってるとはいえ、山都はどんな思いで乗り越えてきたんだろうか……。
 困ったような笑顔を山都は俺に向ける。

「そんな顔しないでよー。すぐ隣に住んでるから、淋しいと思ったことはないし。ギターもあるから楽しいよ」

 リビングの片隅には、山都のテレキャスがスタンドに立てかけられている。
 山都はギターと歌が好きだと言っていた。それは単なる趣味ではなかったのだろう。それこそ、心の支えといってもいいような……。

「おまえ、ほんとに音楽が好きなんだな」

 結局言えたのは、そんな大したことのない言葉だった。もっと他になにかなかったのか。
 それでも山都は一瞬きょとんとして、それからにっと笑った。

「当然」

 それからすぐにリュー先輩が戻ってきて、山都になにかしてないかどつかれた。してないと言えばしてないけど、したと言えばした。リュー先輩に反論することができない。
 それでも、リュー先輩の作ってくれたカルボナーラはおいしかった。
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