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Cメロ-2
お盆の時期三日間は、学校も閉まってしまう。その期間は練習もお休みにしよう、と俺は短い夏休みを与えられた。いや、ずっと夏休みではあるんだけど。
リュー先輩のスパルタっぷりが、すごかったのだ……。あの人ドラムなのに、なんであんな的確にベースの指導をできるんだ……? さすが超人。山都とリュー先輩で、まさにアメとムチだった。
でも、いつもお菓子を用意してくれるんだよな。調理室でよく冷やしていたゼリーは、おいしかった。リュー先輩、お菓子屋さんでも開けるんじゃねぇの?
それを言ったらきっと「だから医者だっつってんだろ」ってデコピンされるんだろうけど。
短い夏休み、俺と兄貴は実家へ帰省していた。
あのアパートから電車で三十分の距離だ。でも一学期の間、一度も帰っていなかった。帰ってしまったら、昔のバンド仲間に会ってしまうかもしれない。それが怖くて、帰るなんてできなかった。
「お、母さん駅まで迎えに来てくれるって」
隣に座る兄貴は、スマホをいじりながら言う。俺はぼんやりと窓の外を見ていた。
「どういう心境の変化?」
「え?」
隣に目を向けると、物言いたげな兄貴と目が合った。心配してるというより、楽しんでる顔だ。
俺はふいっと顔を背けて、頬杖をついた。
「別に」
「あの子のおかげかな?」
分かってんなら聞くなよ。
黙り込んだ俺は、座席の背にずるずるともたれかかった。
自覚がないわけではない。山都と出会って、自分でも驚くほどの変わりっぷりだ。あんなに二度とベースは弾かないと思ってたのに。どうやったら万全の状態で山都が歌えるか考えてる自分がいる。
俺は、隣に座る兄貴をちらりと見た。母さんに返事を打ってるのか、その視線はスマホに注がれていて、俺が見てることに気がついていない。
「兄貴ってさ、スタジオで働いてるんだよな?」
「んー? うん。そうだけど、なに?」
「あのさ、例えばなんだけど……。耳が聞こえにくい人と音楽をやりたい場合、兄貴ならなんに気をつける?」
俺は床を見つめていた。
独学では限界がある。ピッチやテンポは俺が気づくことができる。
だけど聞こえないのは、俺じゃない。いつも笑顔の山都が、心の中で本当はどう思ってるか、分かる方法がほしい。
左頬に兄貴の視線を感じた。「例えば」なんて言ったけど、察しのいい兄貴のことだ。誰のことかなんてすぐに分かってしまっただろう。
「そうだなぁ。あのさ、俺、大学時代に聴覚障害のやつがいたんだよ。聴覚障害者ってさ、一見分かんないじゃん? 俺も最初補聴器をイヤホンだと思ったくらいだし。そいつが言うんだよ。『自分は特別なんかじゃない』って。そいつにとって、聞こえないことは当たり前のことなんだ。構えないでほしいって」
そう、なのか?
山都の障害は後天性のものだ。だんだん聴覚が失われていく恐怖は、並大抵のものじゃないんじゃないだろうか。
ふと、あの屋上でのことを思い出した。
山都はもう泣かないと言っていた。覚悟はできている、と。
「でもなぁ、頼られたいよな。好きな女には」
「好きなんて言ってない!」
思わず叫んでしまって、はっと周りを見回した。ローカル線の車内は客もまばらで、でもそんな青臭いことを叫んだ俺には生温かい視線が注がれている。俺は小さくなって、俯くしかなかった。
「あはは、まぁいい傾向だと思うよ。譲二、明るくなった」
明るく? 俺が?
いまいち自分じゃピンとこない。だけど兄貴が言うならそうなんだろう。
いい傾向だというなら、山都にも心から音楽を楽しませられるようになりたいと思う。
普段が楽しんでないってわけじゃないけど、気が張ってる部分もあるんじゃないだろうか。あの決意はそういうことだ。
「さ、着いたぞ」
電車は地元の駅に滑り込んでいた。
ベースは持ってきている。俺は休みを無駄にしないと心に決めて、座席から立ち上がった。
*
その日の晩、俺と兄貴と母さんの三人で食卓を囲んでいた。父さんは会社の人たちと飲みに行っている。久し振りに息子たちに会えるのに、と嘆いていたそうだが、そんなの気にする歳でもねぇだろ。それに三日もいるんだし。
「二人とも、ちゃんと食べてるの? ちょっと痩せたんじゃない?」
「なんだよ、俺が悪いみたいにー。ちゃんと飯は作ってやってるよ。譲二、またバンド始めたからそれで痩せたんじゃない?」
俺はうぐっと飯が喉に詰まった。それ言わなくてもいいだろ……。
「バンド……」
ほら、母さんがびっくりしている。
バンド活動こそなにも言ってこなかった母さんだけど、俺がスコアをやめたときは、心配を掛けてしまった。学校以外は外に出ようとせず、あんなに毎日弾いてたベースを押し入れの奥にしまい込んだ。
聞こえなくなってしまったベースの音に、戸惑わせてしまっただろう。
「そう、また始めたの」
それでも母さんは深くは聞いてこようとせず、それだけで察してくれた。
「そうそう。しかも超可愛い子と組んでるんだよ?」
「あら、どんな子なの?」
だー! 余計なことを言うのはこの兄か!
俺は急いで飯をかき込んで、「ごちそうさま!」と席を立った。
茶碗を流しに浸けに行く俺の背中に、兄貴が声を掛ける。
「照れるなよ譲二~。減るもんじゃなし」
「減る! 確実に減る! 兄貴にからかわれたら!」
兄貴も母さんもおかしそうに笑っている。くそ、他人事だと思って……。
俺はそのまま居間を出ようとする。
「譲二、ごはんはもういいの?」
ちょっとからかいすぎたと思ったのか、母さんが問い掛けてきた。
俺はドアノブに手を掛けて、母さんの方を見ないまま答える。
「ベース、部屋で練習するから」
ちゃんとバンドのことを話すべきかもしれない。心配掛けたんだ。
でもそのときの俺は、照れ臭さの方が勝って、居間を去ることしかできなかった。
俺のいなくなった居間で、兄貴と母さんが嬉しそうに顔を見合わせたことを、部屋に戻ってしまった俺は知らない。
*
実家を出て初めて母親のありがたさが分かる。とはよく聞くけれど、確かにそうだ。飯こそ兄貴が作ってくれてるけど、掃除洗濯は俺の仕事だ。
だけどここでは母さんが全部してくれる。ビバ実家。
とはいかなかった。
「譲二、手開いてるなら胡椒買ってきてくれない?」
「えー? 俺、いまベース弾いてんだけど」
「夕飯食べないの?」
「……行ってきマス」
帰ってきた日こそ喜んだ母さんだったが、二日目ともなるとこの有り様だ。
はいはい、働かざるもの食うべからずデスネ。
日が傾いてきたとはいえ、真夏の夕暮れだ。まだ射すような日差しは健在で、俺はなるべく日陰を選んで歩いた。
スーパーの冷房に程よく冷やされた体は、外に出るのを拒んでいる。だけど帰らないわけにはいかない。俺は意を決してスーパーを出た。
「ジョージ?」
そう声をかけられたのは、家まであと五分のところだった。
声で分かってしまって、ぎくりとする。『あのこと』は、俺の中ではまだ過去のできごとじゃないのだ。
「真吾さん……」
振り返るとそこにいたのは、かつてのバンド仲間の真吾さんだった。
真吾さんはスコアのドラマーで、リーダーでもあった。
約一年振りに見る姿は、あの頃と少しも変わっていない。背が高くて、ダボっとした服を好んで着て、穏やかそうな目。他のメンバーと衝突するとき、いつも宥めてくれたのは真吾さんだった。
「久し振りだなぁ。元気にしてたか? 市内の高校に行ったって聞いてたけど」
話しぶりもあのときのまま。穏やかで相手のことを第一に考えている。
その表情に、苦笑が浮かぶ。
「どの面下げて、って感じだよな」
「え……?」
「怒ってるだろ? 俺らのこと。最後のライブ、あんなことになっちゃったから」
「そんなこと……」
まさか真吾さんから謝られるなんて、思わなかった。
あれは俺が全部悪かったんだ。メンバーの実力を顧みず、自分の理想ばかりを押しつけていた。
そんなやつ、見限られて当然だ。
「自分が悪いって思ってないか?」
ぎくりとする。今まさに思ってたことを言い当てられて、俺は顔を上げた。
「こんなこと言ったらまたお前は気にするかもしれないけど、俺らはもっと努力できたんじゃないかって思うんだ。ジョージの言うことはいつも、もう一歩踏み込めばより良くなるってものばかりだった……。年上だとか、音楽歴とかつまんない意地張ってないで、もっとお前の言うこと聞いときゃ良かったよ。そしたらきっと、もっと楽しく演奏できたのに」
途切れ途切れに話す真吾さんは、辛そうだった。
なんで真吾さんがそんな顔するんだよ……。
スコアが解散することになったのは、ずっと自分のせいだと思っていた。俺があそこまで完璧さに固執しなければ、今でもみんなで楽しく演奏できてたんじゃないかって。
でも。
真吾さんは、そうじゃないって言ってくれるんだろうか。
「バンド」
ぽつりと真吾さんは言った。
「ベース、弾いてる?」
「……最近、また。弾き始めました」
「そっか」
ジワジワとセミの鳴き声が聞こえた。日はもう半分沈んでいる。セミたちはいつまで鳴き続けるんだろうか。
「俺らもな、大学でも音楽続けようって言ってるんだ。今は叩けてないから鈍っちゃってるかもしれないけど……また、ステージに立てるように」
そう言って笑う真吾さんは、夕日よりも眩しく見えた。
あのことを引きずっていたのは、俺だけじゃなかった。向こうも同じように傷ついていた。
そしてそれでもまた、音楽を続けようとしている。それだけでもう充分じゃないか。たとえ一緒に弾くことはなくても。
じゃあなと言って、真吾さんは俺に背を向ける。まだ、伝えてないことがある。
「真吾さん!」
俺は彼の背に叫んでいた。真吾さんは驚いた様子で振り返る。
伝えなきゃ。俺が思ってること。
「文化祭……よかったら来てください。ライブ、やるんです」
伝えたかったのはそんなことじゃない。ありがとうとか、すみませんとか、言いたかったことはいっぱいある。
だけど真吾さんは察してくれたようだ。
「あっ、でも受験勉強で忙しいとかだったら全然いいんで! たぶん録画しとくだろうから、それ見てもらうだけでも……。DVD送るんで!」
くすりと笑ったその顔が、それを物語っている。
あぁ、受験生を気軽に誘うんじゃなかった。真吾さんは優しいから気にしてしまうだろ……。
「いや、行くよ」
案の定、帰ってきた返事はそんなものだった。
「みんな、お前がどうしてるか気になってたんだ。俺らはジョージのベース、好きだったんだしな。今のお前がどんな音を鳴らすのか、見てみたい」
伝わった、と思った。
ごめんもありがとうもなくても、俺がスコアを好きだったことはきっと伝わった。
「……ありがとうございます」
俺は涙を堪えるのに必死で、そんな言葉しか出てこなかった。真吾さんはそれさえも分かっているようで、もう一度「じゃあな」と言うと、今度こそ去っていった。
覚悟は決まった。やることは一つだ。
*
盆休みを終えて戻ってきた俺は、バンドの練習に明け暮れた。
「ジョージどうしちゃったのー? なんかあった?」
英語科棟での練習の合い間、山都にそんなことを言われる始末だ。
でも口にしてやんない。わざわざ言うのなんて恥ずかしいだろうが。お前に最高のステージをやるため、全力を尽くすなんて。
「別に。本気出そうと思っただけだよ」
「ふーん、そっか」
そんな相槌を打ちながらも、山都はどこか嬉しそうだった。
だけど、物事はそんな順調にもいかなかった。
リュー先輩のスパルタっぷりが、すごかったのだ……。あの人ドラムなのに、なんであんな的確にベースの指導をできるんだ……? さすが超人。山都とリュー先輩で、まさにアメとムチだった。
でも、いつもお菓子を用意してくれるんだよな。調理室でよく冷やしていたゼリーは、おいしかった。リュー先輩、お菓子屋さんでも開けるんじゃねぇの?
それを言ったらきっと「だから医者だっつってんだろ」ってデコピンされるんだろうけど。
短い夏休み、俺と兄貴は実家へ帰省していた。
あのアパートから電車で三十分の距離だ。でも一学期の間、一度も帰っていなかった。帰ってしまったら、昔のバンド仲間に会ってしまうかもしれない。それが怖くて、帰るなんてできなかった。
「お、母さん駅まで迎えに来てくれるって」
隣に座る兄貴は、スマホをいじりながら言う。俺はぼんやりと窓の外を見ていた。
「どういう心境の変化?」
「え?」
隣に目を向けると、物言いたげな兄貴と目が合った。心配してるというより、楽しんでる顔だ。
俺はふいっと顔を背けて、頬杖をついた。
「別に」
「あの子のおかげかな?」
分かってんなら聞くなよ。
黙り込んだ俺は、座席の背にずるずるともたれかかった。
自覚がないわけではない。山都と出会って、自分でも驚くほどの変わりっぷりだ。あんなに二度とベースは弾かないと思ってたのに。どうやったら万全の状態で山都が歌えるか考えてる自分がいる。
俺は、隣に座る兄貴をちらりと見た。母さんに返事を打ってるのか、その視線はスマホに注がれていて、俺が見てることに気がついていない。
「兄貴ってさ、スタジオで働いてるんだよな?」
「んー? うん。そうだけど、なに?」
「あのさ、例えばなんだけど……。耳が聞こえにくい人と音楽をやりたい場合、兄貴ならなんに気をつける?」
俺は床を見つめていた。
独学では限界がある。ピッチやテンポは俺が気づくことができる。
だけど聞こえないのは、俺じゃない。いつも笑顔の山都が、心の中で本当はどう思ってるか、分かる方法がほしい。
左頬に兄貴の視線を感じた。「例えば」なんて言ったけど、察しのいい兄貴のことだ。誰のことかなんてすぐに分かってしまっただろう。
「そうだなぁ。あのさ、俺、大学時代に聴覚障害のやつがいたんだよ。聴覚障害者ってさ、一見分かんないじゃん? 俺も最初補聴器をイヤホンだと思ったくらいだし。そいつが言うんだよ。『自分は特別なんかじゃない』って。そいつにとって、聞こえないことは当たり前のことなんだ。構えないでほしいって」
そう、なのか?
山都の障害は後天性のものだ。だんだん聴覚が失われていく恐怖は、並大抵のものじゃないんじゃないだろうか。
ふと、あの屋上でのことを思い出した。
山都はもう泣かないと言っていた。覚悟はできている、と。
「でもなぁ、頼られたいよな。好きな女には」
「好きなんて言ってない!」
思わず叫んでしまって、はっと周りを見回した。ローカル線の車内は客もまばらで、でもそんな青臭いことを叫んだ俺には生温かい視線が注がれている。俺は小さくなって、俯くしかなかった。
「あはは、まぁいい傾向だと思うよ。譲二、明るくなった」
明るく? 俺が?
いまいち自分じゃピンとこない。だけど兄貴が言うならそうなんだろう。
いい傾向だというなら、山都にも心から音楽を楽しませられるようになりたいと思う。
普段が楽しんでないってわけじゃないけど、気が張ってる部分もあるんじゃないだろうか。あの決意はそういうことだ。
「さ、着いたぞ」
電車は地元の駅に滑り込んでいた。
ベースは持ってきている。俺は休みを無駄にしないと心に決めて、座席から立ち上がった。
*
その日の晩、俺と兄貴と母さんの三人で食卓を囲んでいた。父さんは会社の人たちと飲みに行っている。久し振りに息子たちに会えるのに、と嘆いていたそうだが、そんなの気にする歳でもねぇだろ。それに三日もいるんだし。
「二人とも、ちゃんと食べてるの? ちょっと痩せたんじゃない?」
「なんだよ、俺が悪いみたいにー。ちゃんと飯は作ってやってるよ。譲二、またバンド始めたからそれで痩せたんじゃない?」
俺はうぐっと飯が喉に詰まった。それ言わなくてもいいだろ……。
「バンド……」
ほら、母さんがびっくりしている。
バンド活動こそなにも言ってこなかった母さんだけど、俺がスコアをやめたときは、心配を掛けてしまった。学校以外は外に出ようとせず、あんなに毎日弾いてたベースを押し入れの奥にしまい込んだ。
聞こえなくなってしまったベースの音に、戸惑わせてしまっただろう。
「そう、また始めたの」
それでも母さんは深くは聞いてこようとせず、それだけで察してくれた。
「そうそう。しかも超可愛い子と組んでるんだよ?」
「あら、どんな子なの?」
だー! 余計なことを言うのはこの兄か!
俺は急いで飯をかき込んで、「ごちそうさま!」と席を立った。
茶碗を流しに浸けに行く俺の背中に、兄貴が声を掛ける。
「照れるなよ譲二~。減るもんじゃなし」
「減る! 確実に減る! 兄貴にからかわれたら!」
兄貴も母さんもおかしそうに笑っている。くそ、他人事だと思って……。
俺はそのまま居間を出ようとする。
「譲二、ごはんはもういいの?」
ちょっとからかいすぎたと思ったのか、母さんが問い掛けてきた。
俺はドアノブに手を掛けて、母さんの方を見ないまま答える。
「ベース、部屋で練習するから」
ちゃんとバンドのことを話すべきかもしれない。心配掛けたんだ。
でもそのときの俺は、照れ臭さの方が勝って、居間を去ることしかできなかった。
俺のいなくなった居間で、兄貴と母さんが嬉しそうに顔を見合わせたことを、部屋に戻ってしまった俺は知らない。
*
実家を出て初めて母親のありがたさが分かる。とはよく聞くけれど、確かにそうだ。飯こそ兄貴が作ってくれてるけど、掃除洗濯は俺の仕事だ。
だけどここでは母さんが全部してくれる。ビバ実家。
とはいかなかった。
「譲二、手開いてるなら胡椒買ってきてくれない?」
「えー? 俺、いまベース弾いてんだけど」
「夕飯食べないの?」
「……行ってきマス」
帰ってきた日こそ喜んだ母さんだったが、二日目ともなるとこの有り様だ。
はいはい、働かざるもの食うべからずデスネ。
日が傾いてきたとはいえ、真夏の夕暮れだ。まだ射すような日差しは健在で、俺はなるべく日陰を選んで歩いた。
スーパーの冷房に程よく冷やされた体は、外に出るのを拒んでいる。だけど帰らないわけにはいかない。俺は意を決してスーパーを出た。
「ジョージ?」
そう声をかけられたのは、家まであと五分のところだった。
声で分かってしまって、ぎくりとする。『あのこと』は、俺の中ではまだ過去のできごとじゃないのだ。
「真吾さん……」
振り返るとそこにいたのは、かつてのバンド仲間の真吾さんだった。
真吾さんはスコアのドラマーで、リーダーでもあった。
約一年振りに見る姿は、あの頃と少しも変わっていない。背が高くて、ダボっとした服を好んで着て、穏やかそうな目。他のメンバーと衝突するとき、いつも宥めてくれたのは真吾さんだった。
「久し振りだなぁ。元気にしてたか? 市内の高校に行ったって聞いてたけど」
話しぶりもあのときのまま。穏やかで相手のことを第一に考えている。
その表情に、苦笑が浮かぶ。
「どの面下げて、って感じだよな」
「え……?」
「怒ってるだろ? 俺らのこと。最後のライブ、あんなことになっちゃったから」
「そんなこと……」
まさか真吾さんから謝られるなんて、思わなかった。
あれは俺が全部悪かったんだ。メンバーの実力を顧みず、自分の理想ばかりを押しつけていた。
そんなやつ、見限られて当然だ。
「自分が悪いって思ってないか?」
ぎくりとする。今まさに思ってたことを言い当てられて、俺は顔を上げた。
「こんなこと言ったらまたお前は気にするかもしれないけど、俺らはもっと努力できたんじゃないかって思うんだ。ジョージの言うことはいつも、もう一歩踏み込めばより良くなるってものばかりだった……。年上だとか、音楽歴とかつまんない意地張ってないで、もっとお前の言うこと聞いときゃ良かったよ。そしたらきっと、もっと楽しく演奏できたのに」
途切れ途切れに話す真吾さんは、辛そうだった。
なんで真吾さんがそんな顔するんだよ……。
スコアが解散することになったのは、ずっと自分のせいだと思っていた。俺があそこまで完璧さに固執しなければ、今でもみんなで楽しく演奏できてたんじゃないかって。
でも。
真吾さんは、そうじゃないって言ってくれるんだろうか。
「バンド」
ぽつりと真吾さんは言った。
「ベース、弾いてる?」
「……最近、また。弾き始めました」
「そっか」
ジワジワとセミの鳴き声が聞こえた。日はもう半分沈んでいる。セミたちはいつまで鳴き続けるんだろうか。
「俺らもな、大学でも音楽続けようって言ってるんだ。今は叩けてないから鈍っちゃってるかもしれないけど……また、ステージに立てるように」
そう言って笑う真吾さんは、夕日よりも眩しく見えた。
あのことを引きずっていたのは、俺だけじゃなかった。向こうも同じように傷ついていた。
そしてそれでもまた、音楽を続けようとしている。それだけでもう充分じゃないか。たとえ一緒に弾くことはなくても。
じゃあなと言って、真吾さんは俺に背を向ける。まだ、伝えてないことがある。
「真吾さん!」
俺は彼の背に叫んでいた。真吾さんは驚いた様子で振り返る。
伝えなきゃ。俺が思ってること。
「文化祭……よかったら来てください。ライブ、やるんです」
伝えたかったのはそんなことじゃない。ありがとうとか、すみませんとか、言いたかったことはいっぱいある。
だけど真吾さんは察してくれたようだ。
「あっ、でも受験勉強で忙しいとかだったら全然いいんで! たぶん録画しとくだろうから、それ見てもらうだけでも……。DVD送るんで!」
くすりと笑ったその顔が、それを物語っている。
あぁ、受験生を気軽に誘うんじゃなかった。真吾さんは優しいから気にしてしまうだろ……。
「いや、行くよ」
案の定、帰ってきた返事はそんなものだった。
「みんな、お前がどうしてるか気になってたんだ。俺らはジョージのベース、好きだったんだしな。今のお前がどんな音を鳴らすのか、見てみたい」
伝わった、と思った。
ごめんもありがとうもなくても、俺がスコアを好きだったことはきっと伝わった。
「……ありがとうございます」
俺は涙を堪えるのに必死で、そんな言葉しか出てこなかった。真吾さんはそれさえも分かっているようで、もう一度「じゃあな」と言うと、今度こそ去っていった。
覚悟は決まった。やることは一つだ。
*
盆休みを終えて戻ってきた俺は、バンドの練習に明け暮れた。
「ジョージどうしちゃったのー? なんかあった?」
英語科棟での練習の合い間、山都にそんなことを言われる始末だ。
でも口にしてやんない。わざわざ言うのなんて恥ずかしいだろうが。お前に最高のステージをやるため、全力を尽くすなんて。
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