君のノイズがいつか消えても

安芸咲良

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サビ-3

「あ」
「あ」

 社会資料室の前で鉢合わせたのは、二年の大中小の『中』の先輩だった。
 日直でもないのに世界地図を片付けてくるように言われて、ぶつくさ言いながらやって来たらこの邂逅だ。

「えっと……」
「松永だよ、ジョージ」

 名前が分からないのが顔に出てたらしい。松永先輩は苦笑しながら言った。俺は苦虫を噛み潰したかのような顔をしながら、小さく「すんません」と言った。松永先輩が俺の名前を知ってただけに、より申し訳ない。山都かリュー先輩から聞いてたんかな。
 両手が塞がってる俺に、松永先輩はドアを開けてくれる。

「あざす」
「いやいいよ。日直?」
「じゃないんすけど……」

 押し付けられたのを察したらしい。松永先輩はははっと笑った。

「エシオンでもそんな感じだもんなぁ。美里先輩はあぁだし、山都ちゃんも弾丸みたいだし」

 弾丸。言いえて妙だった。
 俺は地図を片付けながら、そういえば、と切り出した。

「松永先輩はリュー先輩のこと『美里先輩』って呼ぶんすね」
「あぁ。美里先輩には荒れてたときにお世話になってね」

 俺は松永先輩の顔をまじまじと見つめる。
 この人畜無害そうな先輩の荒れ方とは……?
 松永先輩はにっと俺を見た。

「まぁ人にはいろいろあるでしょ」

 思い当たる節がないわけでもない。

「山都ちゃん、まだ耳治んないんだって?」

 質問に俺は言葉を詰まらせる。
 いまだ山都の耳は治らない。なにが原因なのか。医者も本人も分からないのだから手の施しようがない。
 文化祭まであと少しだ。焦りばかりが募る。
 というか松永先輩も山都の耳のことを知ってたのか。

「前もこんな風になったらしいんすけどね」
「中学のときだっけか。長く続くと心配だよなぁ」
「……詳しいんすね」

 ちょっと棘のある言い方になってしまったかもしれない。
 松永先輩の視線を感じるが、俺は無視して除けてた段ボールを元の位置に戻した。

「付き合ってんの?」
「付っ!?」

 言わずもがな、俺と山都がって意味だろう。
 思わず顔を上げた俺の目に映ったのは、楽しそうに笑う松永賀先輩の姿だった。……これはからかわれてるな。

「違いますよ。俺の片想いです」
「ごめんごめん。美里先輩たちがジョージをいじりたくなる気持ち分かるわ」

 分かられてたまるか。ヤラレキャラだってのは自覚している。

「うん、でもいいと思うよ。ジョージといると、山都ちゃんすげー楽しそうだし」
「そう、ですかね」

 確かに山都はいつも楽しそうだ。好きなことしてるからだと思ってたけど、耳のことを知った今ならそれだけじゃないと分かる。
 山都はどんなに困難な状況でも、希望を持っていきたいと思ってるのだ。
 人から見れば、滑稽なことかもしれない。治療に専念すれば、聴力の低下は抑えられるかもしれないと。
 だけど山都には音楽が全てなんだ。
 耳が聞こえなくなってもいいと思ってるわけじゃない。それより音楽のほうが大事なだけだ。
 そんな山都だから、俺も心を動かされたんだ。

「知ってる? 美里先輩が医大目指してる理由」
「いや、聞いてないす」

 医者志望なのは前に聞いたけど、そこまでは聞かなかった。

「それってもしかして……」
「そう、山都ちゃんのためだってさ」

 あの先輩は……。

「ここまでシスコンだと、いっそ清々しいですね」
「ほんとに。まぁ山都ちゃんが音楽が大事なように、美里先輩も山都ちゃんが大事なんでしょ。いいと思うよ、俺は」

 そんなものなのかもしれない。
 大事なものは、人それぞれだ。俺が完璧な音楽を捨て切れなかったように、音楽だったり、妹だったり、一番にして悪くはない。
 それがなんであろうとも。

「ていうか松永先輩、美里兄妹の事情に詳しすぎじゃないですか?」
「それ言うー? 男の嫉妬はみっともないよー?」
「今さらです。ていうか煽ってるでしょう、明らかに」
「あ、ばれた?」

 やっぱり煽ってたのかよ!
 この先輩が卒業するまで、俺はヤラレキャラを脱却できないような予感がした。

     *

 先生の話が聞こえないし、クラスメイトにも気を遣わせたくないからと、山都はその次の日も休んだ。放課後になったら来ているかもしれないが、斜め前の山都の席はがらんと空いていた。
 その日、日直だった俺は、日誌を出しに職員室へと向かった。今日はちゃんと日直だ。押し付けられたわけじゃない。

「おう、松橋。おつかれさん」

 担任は軽い調子で日誌を受け取る。そして引き出しをガタガタと開ける。

「松橋は山都と家が近かったよな?」
「はい、まぁ」

 そう返事をした俺に、担任はプリントを差し出してきた。

「悪いがこれを届けてくれないか? 一応宿題やっとかないといけないから」

 カゼというわけじゃないから、多少なりとも宿題を出しとかないといけないってことか。担任なら当然、山都の耳のことは知ってるか。
 担任は椅子を回して机に頬杖をついた。続いた言葉に俺の思考は止まった。

「山都もなぁ、せめて三学期までいられりゃいいのになぁ」

 なんの話だ? 三学期まで? その言い方じゃあまるで……。
 担任が俺を見上げる。

「あれ、聞いてるだろ? 文化祭が終わったら山都、学校やめるって」

 寝耳に水だった。

     *

 走る、走る。
 俺は放課後の廊下をただひたすら走っていた。
 生活指導の先生に見つかったら怒られるかもしれない。でも今はそれどころじゃない。
 屋上に続く階段を、俺は一つ飛ばしで駆け上がった。
 勢いよくドアを開けると――。

「おぉジョージ、おはよー」

 もう夕方だ。
 ギターのチューニングをしてる山都がそこにはいた。
 俺はずかずかと山都に近づく。渡すはずだったプリントは、ぐしゃぐしゃだ。力いっぱい握りしめてたことに、いま気づいて驚いた。
 息の上がった俺を見て、山都はひるんだようだ。

「どしたの? そんなに慌てて」

 聞こえているのか、いないのか。

「あ、もしかしてあたしに早く会いたかったとか? なんちゃって」

 にしゃっと笑う彼女に、俺はたまらずリュックを乱暴に開いてスマホを取り出した。

『転校ってなに』

 打てた文字はそれだけだった。山都はじっくりと、多分三回はその文章を読み返した。
 彼女の目線が床へと落ちる。

「あー、聞いちゃったんだ……」

 どうして、そんな。

『なんで言ってくれなかったんだよ! 俺そんなに頼りないか!? 山都を全力でサポートしようと思ったのに!』

 いや、聞いてたはずだ。この学校に行くこともいい顔されなかったって。一年間は通うことを許されたって。
 山都の聴力はどんどん落ちていってる。遅かれ早かれ学校をやめることは決まっていたのだろう。
 腕がだらりと落ちた。
 違う、こんな。責めたいわけじゃない。裏切られたとか思っていい立場じゃないんだ。
 山都に救われて、山都を好きになって。
 全部俺の事情だ。彼女を手助けしたいとか、俺の勝手な願いでしかない。山都がそう頼んだわけじゃない。
 山都が言ったのは、ただ「一緒にバンドをしよう」という言葉だけだ。
 ただのバンドメンバーが、こんなことを言うなんて、間違ってる。
 顔を上げることができず、黙り込んでしまった俺の手を、山都は優しく取った。

「ジョージ、聞いて」

 涙を流さなかったのが、せめてもの救いだ。俺は顔を上げて、まっすぐに彼女を見た。

「あたしね、エシオンが好きなの。たぶん、ジョージが思ってるよりもずっと。ほんとはずっと一緒に音楽をしたい。だけどそれは叶わない……あたしのせいで。でもこの半年間、ほんとに楽しかった。ジョージがいたからだよ」

 山都は笑っていた。音を失う悲しみでも、勝手なことを言ったメンバーへの軽蔑でもない。ただ、心の底から幸せなときを過ごしたと言わんばかりの表情だ。
 なんで、そんな風に思えるんだよ。お前はもっと歌っていい人間だ。

「だから、最高のライブで終わらせたかった。ちゃんと言うつもりだったけど、ごめんね」

 ごめんねなんて言わなくていい。
 例えば俺がここで許すとか、世界中を敵に回すとか、そんなんで山都の耳が治るならなんでもする。神様、山都を歌わせてやってくれよ。
 俺は堪らず山都を抱きしめた。

「山都……! 好きだ……! お前が好きなんだよ! お前の歌も、ギターも、できることならずっと聞いていたい……。どうして、叶わないんだよ……!」

 歌うこと。楽器を奏でること。そんな簡単なことも許されないんだろうか。ただ音楽が好きなだけなのに。
 世の中は理不尽だ。
 それでも、生きていかなきゃいけないなんて。

「えと、ありがとう……」

 ん? ありがとう?
 俺は山都の肩を掴んでがばっと身を離した。
 山都の頬は、心なしか少し赤くなっている。まさか……。

「聞こ、えてる……?」
「なんか、聴力戻った」

 二人の間に沈黙が落ちる。

「いつ、から……聞こえ、てた……ンデスカ」

 思わず片言にもなる。場合によってはここからダッシュで逃げることも厭わない。
 山都は視線を泳がせた。

「えと、あたしの歌とギターが好きってとこから、かな?」

 よしオーケー。ひとまずセーフ!
 それにしても恥ずかしいセリフではあるけど。告白よりかはマシだ。

「ふふっ」

 一人で焦りまくっていると、笑い声がした。

「……なに」
「いやね。ジョージがメンバーになるのいやだ、って言ったときのことを思い出してた」

 山都は柵にもたれ掛かる。

「あたしね、自分の歌が好きじゃなかったの」
「は?」

 あんなにすごい歌なのに、どうして。
 山都はくすりと笑って続ける。

「正確に言うと、好きなときもあったり、嫌いなときもあったりしてた。音楽は好きだけど、どんなにがんばっても百万人の心に届くような歌を歌えるわけじゃない。目の前の人は今は楽しんでくれてるけど、通学時間に毎日聞いてくれるわけじゃない。どうがんばっても限界があるのなら、『雑音ノイズ』でいいやって思ってた。でも」

 そこで言葉を切って、山都は俺のほうを向いた。
 その目はどこまでも穏やかだった。普段の騒々しさからは想像もつかない、朝の海のような穏やかさだった。

「ジョージが雑音なんかじゃないって言ってくれて、すごく嬉しかった。いつか歌えなくなる日がきても、『今』あたしが歌ってることは無意味なんかじゃないって思えたの」

 あのとき、山都にそう言ってなかったらどうなってたんだろう。
 山都はきっと、俺の言葉がなくても歌ってた。俺が山都を変えただなんて、大それたことは思えない。
 それでも、少しでも山都の力になれたということが、こんなにも俺の胸を熱くさせる。
 俺は山都の顔に手を伸ばした。

「あだっ!」

 そして思いっきりデコピンすると、山都はそんな色気のない声を出してしゃがみ込む。

「なにすんのよ!」
「バーカ。お前はそんな小難しいこと考えずに、思いっきり歌っときゃいいんだよ。……ちゃんと届くから」

 照れ臭くて山都の反応を見ることはできなかった。
 背を向けて扉へと向かう俺に、山都は駆け寄ってくる。

「ねぇもっかい言って! あたしの歌が好きだって!」
「はぁ!?」
「ねぇおーねーがーいー! じゃないと文化祭で思いっきり歌えない!」
「バカ言ってんなバカ。ほら早く帰るぞ」
「ジョージのいけずー」

 そんなに軽々しく好きとか言えるか!
 ……まだ、ちゃんと気持ちを伝える勇気がない。でも時間はそんなに残されてないんだ。文化祭が終われば山都はこの学校からいなくなってしまう。
 家が向かいだから会えなくなるわけじゃないけど、やっぱり同じ学校じゃないというのは大きい。
 覚悟を決めなければ。

     *

 文化祭前日の夜だった。
 最後の練習を終えて、帰宅して夕飯を食べ終えたところにインターホンが鳴った。

「はーい」

 ドアを開けた先にいたのは――。

「リュー先輩?」

 不機嫌な顔をしたリュー先輩だった。

 リビングのテーブルに着いたリュー先輩は、眉間にしわを寄せたまま口を開こうとしない。俺はとりあえず、その前に麦茶を置く。

「あの……なんかあったんすか……?」

 沈黙に耐え切れず、俺は尋ねた。
 兄貴ー、早く帰ってきてくれー。俺一人じゃこの人対処しきれねぇよー。

「明日」
「はいっ!」
「本番だな」

 なにかと思えばそんなことだ。思わず身構えてしまったけど、その先になにが続くんだろうか……。

「うまくできそうか」
「それは、できる……と思います」

 万全の準備をしていても、なにが起きるが分からないのがライブだ。ライブは生もの。
 俺はリュー先輩の真意が分からなくて、顔色を伺ってしまう。
 リュー先輩はなにを言いに来たんだ? たぶん、聞きたいのはこんなことじゃないはずだ。
 そう考えていたら、リュー先輩が大きなため息をついた。

「リュ、リュー先輩……?」
「お前、由真は好きか」

 思わぬ質問にびくっと体が震える。なんだ! 山都家美里家の人間はエスパーか! 人をびびらせる質問が好きなのか!

「や、えと……」

 なんと答えるのが正解だろうか……。
 好きです? いや殺される……。
 違います? いやいや殺される……。
 友達として好き。これだ!

「いやこの際どっちでもいいんだ。由真と音楽やるのが好きであれば」

 一秒間で目まぐるしく考えたのに、その焦った時間を返してください。
 そんなことを思ったけど、リュー先輩の表情を見たらなにも言えなくなってしまった。

「リュー先輩どうしたんですか? なんか変ですよ?」
「聞いたんだろ? 由真が文化祭終われば学校やめるって」

 どきりとした。
 リュー先輩が一人で俺を訪ねてくるとしたら、いまはその話題しかない。

「……はい」

 リュー先輩はテーブルに頬杖をつく。
 手つかずのグラスに水滴がついていた。リュー先輩はなにを言いたいのだろう。

「父さんたちはいい顔しないっつーか由真が傷つくのを心配してるようだけど、俺は由真は音楽をやめるべきじゃないと思っている。才能あるっていうのもあるけど、由真が一番いい顔をするのが歌ってるときなんだ。学校をやめて、音楽まできっぱりやめるなんてしたら、由真はいったいなにを支えに生きていったらいいんだ」

 本当に、リュー先輩は山都のことを考えている。
 リュー先輩だって親の離婚で戸惑ったこともあっただろうに、妹を最優先させている。まったく、これだからシスコンは……。

「山都が、音楽を続けたいって言うのなら、俺は付き合いますよ」

 俺が静かに言うと、リュー先輩はゆっくりと顔を上げた。

「あ、もちろん山都が望めばですけど。俺、山都とリュー先輩とバンド組めて楽しいんです。エシオンは俺に音楽の楽しさを思い出させてくれた……。文化祭で終わりなのかなって思ったけど、やっぱり他のやつと組むなんて考えられないんですよね」

 音楽を続けたいと思う。だけどそれはエシオンだからそう思えたのだ。たとえ山都がこれで終わりだとしても、やるならたぶん、家で一人ですることになると思う。
 叶うのならば、山都と続けていきたいけど。
 リュー先輩は頬杖をついたまま、じっと俺を見ていた。やがてぽつりと言う。

「エシオンを組んで良かった」

 それは俺にとってなによりの褒め言葉だ。他でもない、リュー先輩に言ってもらえたことを嬉しく思う。
 なんでもさらりとこなしてしまうリュー先輩だけど、やっぱりリュー先輩も不安だったんだろうか。わざわざこんな時間に俺の家を訪ねてきて、こんなことを言いに来るなんて。
 考えてみれば、リュー先輩だって俺と二つしか変わらないんだ。完璧に見えて、迷うこともあるのかもしれない。ならこんなリュー先輩は貴重だな……。
 相変わらず、リュー先輩は頬杖をついて、不機嫌そうだ。いまならそれが地顔だって分かる。不機嫌そうな顔で、優しさとか思いやりとかを秘めてるのかもしれない。
 まぁ山都には、終始デレデレなわけだけど。そんな顔を俺に向けられても、困るだけだけどさ。
 それにしても、リュー先輩は本当に山都のことばっかだ。

「リュー先輩、あんまり山都のことばっかだと逆に山都に心配されますよ? 『いい人見つけて幸せになってー』って」
「あ?」

 リュー先輩の眼光が鋭くなる。
 やばい、地雷だったかも……。

「由真の幸せが俺の幸せだ。いや、でも由真の男は俺が認めたやつじゃないと駄目だ。俺より頭が良くて、由真を守れるくらい鍛えていて、音楽が好きで、由真と同い年かもしくは上でも俺と同い年で……」

 目がまじだ! こえーよ!
 山都に想いを伝える前に、まずはこの人に認めてもらわないといけないんだろうか。
 前途多難な恋に、俺は小さくため息をついた。
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