あなたが遺した花の名は

きまま

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馬車は私の焦りとは裏腹に、ゆっくりと進んでいた。その中でただ、私は揺れに身を任せている。
この速さはいつも通りであるはずだ。でも、今日だけはその速さはもどかしく、そして、また、私に心の整理の時間を作っているようにも思えた。
外でゆったりと流れる景色を眺めながら、思い返す。
母は声を震わせながら告げた。

『グレイブ殿下が体調を崩されたみたいなの』と。

それが言葉以上に深刻であることは分かっている。けれど、彼と別れ、手紙を貰うまでそれに気づかなかった自分がいた、という事実を認めたくはなかった。

どうして、気づかなかったんだろう、と独り悔やみ、手紙を持つ手が震えた。
思えば、彼と過ごした思い出を思い返せば、彼はいつもベッドの上にいた。それは多分、体調のせいで、それに、彼はいつも沈黙を選んでいた。それは多分、私に嫌われるためで。

考えれば、すぐに分かることだ。それなのに、ただ私は一方通行に話しかけて、それに気づかないままに嫌いになったら楽になるだろうかとか、変なことを考えるばかりだった。

話さなくては、彼とちゃんと。そして、伝えなくては、この想いを。

揺れる馬車で、生まれかけの決意が胸に根を張る。逃げるわけでも、曖昧にするわけでもなく、あの日から宙ぶらりんになっていた言葉を今度こそ自分の声で彼に届けたい。

たとえ、もう手遅れだと分かっていても。
たとえ、その先に痛みしか残らなくても。

それでも、終わらせるために。
そして、ほんの少しでも前へ進むために。

私は彼に会いに行く。
その事実だけが、いま確かに私の中で光っていた。



馬車はその焦れったいペースを保ったまま、やがて、グレイブの邸宅へと着いた。

降り立った瞬間、胸の奥がきゅっと細く縮む。
通い慣れたはずの門は前より大きく見え、足元の石畳は昔と変わらず滑らかで、庭に咲き誇る白い花は恐る恐るに花弁を散らしていた。

執事に案内されて屋敷へ入ると、ふっと懐かしい香りがする。
磨かれた木の匂い、廊下を渡る風の淡い温度、
そして、微かに混じる花の香り。
——全部、彼と過ごした日々の名残だった。

その思い出に後ろ髪を引かれながら、屋敷の中を歩いていれば、すぐそこに重厚なドアが見えた。
それは何度も開けた彼の部屋の入口だ。
ドアノブに手をかける。過去の自分なら軽々しく開けていたというのに、今日はそれに鍵がかかったように重く感じられた。

——このドアの向こう側に彼がいる。
怖い。
けれど、それ以上に会いたい。

指に力を込め、深く深呼吸をする。
逃げないように。
この執着に嘘をつかないように。
そして、私はそっと目を閉じた。
ゆっくりとドアノブが、回る。
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