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5.ビールとホットドッグとデーゲーム
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真夏にはまだ早い初夏のデーゲーム。球場の空にはまばらな雲が流れ、どこまでも青かった。スタンドからはどちらのチームへも絶え間ない応援の声が響いていて、それに負けじとビールの売り子たちが大声を張り上げながら軽快に階段を駆け上がっていく。
「変わってねえなあ、この球場。スコアボードも試合の展開もってのが笑えねえけどさ。お前もそう思うだろ?」
オレは手にした紙コップに話しかけながらビールを傾けた。のど越しは冷たくて今日みたいな夏日には最高だ。だが口当たりは苦く、まさに思い出の味だった。
隣の席はまだ空いているし、なんなら周囲も空席ばかりだ。そんな中、彼女は来るだろうかと時計を見るのはもう何度目だ? まさか自分がこんなに未練がましいとは思っていなかったから今回の行動には我ながら驚きである。
昨シーズンの今頃、振り返ってみればきっかけは些細なことだった。些細なことも積もっていくとそれなりのボリュームになっていく。最終的に二人で話し合い別れることに決め、それからオレは一度もこの球場を訪れていなかった。
なのになんでオレはこんなバカな真似をしてしまったのだろう。もちろん偶然知ってしまっただけだ。別に下心があって別れた彼女の行動を盗み見るような真似をしたわけじゃないし、ストーカー気質なわけでもない。
だいたいコンビニで並んでる最中にペラペラしゃべってるのがいけないんだ。おかげでいまだに彼氏がいないことと、野球観戦にもあまり行かなくなっていることを知ってしまったのだから。
オレはコンビニの端末へと向き合ってチケットを二枚取った。外野の応援指定席はよほどのことがない限り当日券ですら余っている。だがオレにも心の準備ってもんが必要だ。
悩んだ末に当日ではなく、明日の土曜日に行われるデーゲームからよさそうな席を選ぶ。あとはこれをどうやって渡せばいいのかだが――
さすがに同じ会社に勤めてるとはいえ別部署へ押しかけるのは気まずい。まるで初めてのデートに誘う高校生のように、メッセージでチケットの予約番号とパスワードを一方的に送信してしまった。
改めて考えると年甲斐もなく赤面しそうな行動だったが、それがかえってオレを新鮮な気持ちへ変えてくれたような気がしている。きっと今なら素直になれる予感がしているのだ。
ガシャリとシートが沈む音がして、隣の席に人の気配がした。
「――そういう風の吹きまわしなの? まさかアナタが誘ってくるなんて思わなかったわよ。アタシに彼氏がいないと決めつけてるのが気に食わないけど……」
横目で確認すると、そこには以前と変わらない応援姿の彼女がいた。ホームのキャップにレプリカユニフォーム、そして見慣れていたはずの笑顔が懐かしく感じる。
「ほら、ホットドッグ買っといたからよ。さすがにぬるくなっちゃうからビールはまだだけどな」
「ありがとう、気が利くようになった? それに以前より顔つきがやさしくなったわね」
彼女は肩をすくめながら紙トレイに載せたホットドックを見せつけてきた。苦笑を返すオレにトレイを押し付けると、ビールの売り子へと声をかける。
「再会を祝して乾杯、ってとこか? ただな? オレはお前に彼氏がいないことを知ったから誘ってやったんだぜ? 球場にもほとんど来てなかったらしいじゃないか」
「なんだ知ってたのね。もしかしてストーカー? 未練がましい男は嫌われるわよ? それとも誰かから聞いた? まあそのほうが現実的ね」
「昨日コンビニのレジに並んでる時にでかい声で話してたじゃんか。なんでうちの女子社員達はああ声がでかいのかねえ」
「そうは言うけど、こっちは毎日大声張り上げてドライバーを誘導してるんだから仕方ないでしょ? だいたいアナタは仕事サボってコンビニにいたわけ? 外回りのくせに会社で昼食なんて結構なご身分ね」
「昨日は報告会議の日だぞ? って言っても部署が違うからわからねえよな。とにかく営業だって昼間会社にいることはあるのさ」
「じゃあアナタも人に向かって声が大きいなんて言わないことね。って、この会話去年もした気がするわ。せっかくの再会だって言うのにアタシたちったらダメね……」
「ダメってこともないさ。オレは以前と変わらないこの再会はうれしいぜ? ホッとすると言うほうがピッタリくるかもしれないかな」
「でも変わらないならまた同じようになってしまうわよ? そんな再会なのに喜べるわけ?」
その時、少し離れた席にいるおっさんがこっちを向いて声を荒げた。
「お前さんたちよお、もう試合は始まってんだ! さいかいさいかいってやる気をそぐようなことばかり言ってるんならどっか行ってくれや。こちとら見に来たゲームが七連敗中でイライラしてるんだぜ?」
「あ、すいません、久しぶりに友人と再会したもんでちょっと話し込んでしまいまして…… きっと今日は勝ちますって。さ、オレたちも応援しようぜ」
「友人、ねえ。こういった場合ってなんていえばいいのかしら。元なんとかってのもいい表現ではないわよね」
「なんか今日はやけにからむなあ。それは後にして今は応援しようぜ? ホットドッグ冷めちまうぞ? ビールもう一杯飲むか? 今日はオレのおごりでいいからさ」
「おごりなんて当たり前よ! アナタが誘ってきたんじゃないの。なんでこんなにイライラするのかしら。ホントのこと言うとメッセージが来たときはうれしかったのよ? 一人で球場に来ても楽しくなかったから……」
「そっちかよ…… でも以前と変わらないってことは―― 同じような関係に戻れるってことかもしれねえだろ?」
「なにそれ、アタシのこと口説いてるつもり? まあでも悪い気はしないわね。アナタが本当に独り身なら、だけどさ。アタシ知ってるんだから。毎朝髪の長い女の子と一緒に通勤してるってこと」
「いや、それはだな――――」
「いいわよ隠さなくたって。アタシが言いたいのは二股かけるつもりかとかそんなことじゃないわ。向こうがうまくいきそうにないから今度はこっちってつもりならそんな甘い話はないって言いたいの。でもいくらなんでも新入社員に目をつけるなんて考えもしなかったわ。確かに若くてピチピチしてるかもしれないけど――」
「――となんだ。誤解なんだよ」
「えっ? 今なんて言ったの?」
「アイツは妹なんだ。しかも新卒社員じゃなくてアルバイトだぜ? 前の会社が超ブラックでさ。やってられねえからって辞めちまって、来年また大学だが院だかへ行くつもりらしい」
「あ、ああ、そういう…… なら一緒に通勤してても仕方ないわね。てゆうかアナタって実家住まいじゃなかったでしょ? あのぼろアパートから実家へ戻ったわけ?」
「ぼろアパートってなあ…… あのアパートがオレの実家だよ。もちろん母屋は隣にある別の建物だけどさ」
「ちょっとウソでしょ!? じゃあ同じ敷地内にご両親がいるのに一度も挨拶してないし、紹介もされてないってことじゃないの。それだけじゃないわ。あのアパートで―― いや待って、なんでもない。はい、この話はここまで! さあ応援応援」
オレたちが話に夢中になっている間に回はすいすいと進んでおり、今は五回の裏まで来ていた。その間におっさんには何度も咳払いをされるし、ビール代を次々に支払わされるしで、久しぶりの球場ビールはなおさら苦い。
試合はいつもより活発な打線が得点を重ねるも、同じくらい打たれ失点を重ねており六対六の同点で最終回を迎えた。いつもならここで点を入れられずに延長に入ることも多かった。
だが今年は粘り強さが出ているような気がする。球場へは来ていなかったが、なんだかんだ言って結果は気になるからスポーツニュースはチェックしている。それは彼女も同じことらしく、今はかなり興奮気味だ。
「だから言ったでしょう? 今年は一味違うのよね。粘りがあるっていうの? 簡単には終わらない気迫を感じるわ!」
「そうだな、やる気なく三振って場面は減ってると思うよ。こりゃもしかするともしかするぜ?」
なんと言っても九回裏にワンナウトながら一・三塁となって一打サヨナラ、外野フライでもオッケーな好機。もちろん応援するほうも手に力が入る。空席は目立つもののガラガラと言うほどではないスタンドからは大声援が鳴り響いている。
こんな雰囲気を味わうのも久しぶりだったオレたちは、その場の空気に中てられたのか、いつの間にか手を握り合っていた。そう言えば以前はこうして手を繋ぎながら応援して絶叫したもんだ。
だがそんなスタンドの大声援は、直後一気にしぼんでしまった。ここでベンチはスクイズを選択したのだが、完全に読まれて三本間で挟まれてしまったのだ。当然サヨナラのホームを踏むはずだったサードランナーはタッチアウトになりこれでツーアウトになってしまった。
「もう! せっかくのサヨナラチャンスだったのに! でもまだランナーいるんだしあきらめないわよ! ほら、ちゃんと応援してっ!」
「もちろんさ、あきらめてないからここにいるわけだしな!」
久しぶりに訪れた球場でこんな熱い展開にめぐり合えるとは考えてもみなかった。しかも何かの縁なのか、一人じゃないこともあってオレはめちゃくちゃ楽しくて興奮していた。
昔はスクイズ失敗したバッターに罵声が飛び交っていたらしいが現代ではそんなファンは皆無である。失敗してしまったプレイはもう取り返せないのだから、次に期待するのが本当のファンと言うものだ。
つまり取り返せない失敗でも次の機会で取り返せばいい。オレはそんなことを考えながらも、それがなんだか自分のことを指しているような気がしていた。そうだ、ここでサヨナラ勝ちになったら過去に決別し、新たな一歩を踏み出そう。
自分の意気地のなさを他人の行動にゆだねるのは少々情けないとも思えるが、一般人なんてそんなもの。だからこそこうして特別な能力を持つ人たちがプレーしている姿に心打たれるのではないだろうか。
自分の中で言い訳じみた決着をつけてから改めて声を張り上げる。もちろん隣でも、そして離れた席のおっさんも目いっぱいでかい声で叫んでいた。
その応援の甲斐もあってか次のバッターはフォアボールを選び、これで再び一・三塁となった。ただしアウトカウントが増えているため外野フライでタッチアップできないし、もちろんスクイズもできない。
そして次のバッターは何球か粘った末に痛烈なファーストゴロを放った。これなら一塁線を抜けるかと思いきや、一塁にランナーが出たことで一塁手はベース近くに守っている。
だがあまりにも真正面過ぎたからなのか、一塁手がうまく取れずにファンブルしたではないか。もちろん急いでボールを握り直しベースカバーへとトスをするが微妙なタイミングだ。
その瞬間、バッターがファーストベースを駆け抜ける。もちろんサードランナーはホームベースを踏みつけて一塁塁審へと向き直って仁王立ちしている。
かなり微妙なタイミングに球場内はかたずをのんで見守り、その時間がやけに長く感じてしまう。隣から伸びている手がますますオレの手を強く握り締めていることから、コイツも同じように緊張と興奮を隠せない様子なのがわかった。
そして判定は――
『セーフ!!』
球場は割れんばかりの歓声に包まれていった。こんな劇的な試合、オレが見に来た中では初めてじゃないだろうか。
「ねえ見たでしょ!? サヨナラよ! 見に来てサヨナラなんてアタシ初めて!」
「だよな! オレも初めてだからめっちゃ感動してる、サイコーだああ!」
そのままの勢いでオレは先ほどの決意を言葉に表した。
「なあ、オレたちやっぱ気が合うと思うんだよ。だから、その―― また一緒にこうやって一緒の時間を過ごさないか?」
「なにそのどさくさ感? サヨナラに立ち会った劇的な今なら過去のサヨナラを無しにできるとか考えたんでしょ? アナタってホントロマンチストっていうか少女趣味って言うの? まあでもサヨナラしたのも勢いみたいなのあったし、なしにするのも悪くはないかな……」
「おっし、少女趣味ってのが引っかかるし、いまどきそんなこと言うとうるさいこと言われかねないから社内では気をつけろよ? そんじゃパーッと飲み直しにでも行くか!」
こうして今オレたちは以前と同じようにぼろアパートで肩を寄せ合いながら、一杯やるどころか揃って呑んだくれていた。球場を出てからの彼女はとてもどこかの店へ入って仲良く杯を交わすなんてことができそうになかったこともあって、なんとなくここへ足が向いてしまったのだ。
「だいたいなんなのあれってさ。アタシあのリクエストって大っ嫌い! 一回決めたならもうひっくり返さないでもらいたいわよ。アンタもそう思うでしょ!?」
「だなあ、しかもサヨナラだぜ? まったく空気読めってんだよ」
「それもこれもアンタが悪いんだからね! サヨナラをなしにするとか言い出すからこんなことになったんだから責任取りなさいよ!」
「そんな無茶なこと言うなよ。自分だって同じこと言ってたじゃないか。それにまんざらでもなさそうな顔してたぞ? じゃあサヨナラをなしにするのをなしにすればいいのか?」
「リクエストのリクエストはありませーん。残念でしたっ! でも――」
「でも?」
「アタシからのリクエストは絶対通してよね。ほら、ひあい、るいくえしゅと……」
「まったく荒れすぎだろ。なんなら明日も行っちゃうか? デーゲームのチケットまだまだ余ってるだろうからな」
「ここからならちかいもんええ。れもそのまえに―― りくえしゅとおおー」
やれやれと肩をすくめたオレはチケット予約を中断し、愛おしくてカワイイ彼女のうるさい口をふさいだ。
「変わってねえなあ、この球場。スコアボードも試合の展開もってのが笑えねえけどさ。お前もそう思うだろ?」
オレは手にした紙コップに話しかけながらビールを傾けた。のど越しは冷たくて今日みたいな夏日には最高だ。だが口当たりは苦く、まさに思い出の味だった。
隣の席はまだ空いているし、なんなら周囲も空席ばかりだ。そんな中、彼女は来るだろうかと時計を見るのはもう何度目だ? まさか自分がこんなに未練がましいとは思っていなかったから今回の行動には我ながら驚きである。
昨シーズンの今頃、振り返ってみればきっかけは些細なことだった。些細なことも積もっていくとそれなりのボリュームになっていく。最終的に二人で話し合い別れることに決め、それからオレは一度もこの球場を訪れていなかった。
なのになんでオレはこんなバカな真似をしてしまったのだろう。もちろん偶然知ってしまっただけだ。別に下心があって別れた彼女の行動を盗み見るような真似をしたわけじゃないし、ストーカー気質なわけでもない。
だいたいコンビニで並んでる最中にペラペラしゃべってるのがいけないんだ。おかげでいまだに彼氏がいないことと、野球観戦にもあまり行かなくなっていることを知ってしまったのだから。
オレはコンビニの端末へと向き合ってチケットを二枚取った。外野の応援指定席はよほどのことがない限り当日券ですら余っている。だがオレにも心の準備ってもんが必要だ。
悩んだ末に当日ではなく、明日の土曜日に行われるデーゲームからよさそうな席を選ぶ。あとはこれをどうやって渡せばいいのかだが――
さすがに同じ会社に勤めてるとはいえ別部署へ押しかけるのは気まずい。まるで初めてのデートに誘う高校生のように、メッセージでチケットの予約番号とパスワードを一方的に送信してしまった。
改めて考えると年甲斐もなく赤面しそうな行動だったが、それがかえってオレを新鮮な気持ちへ変えてくれたような気がしている。きっと今なら素直になれる予感がしているのだ。
ガシャリとシートが沈む音がして、隣の席に人の気配がした。
「――そういう風の吹きまわしなの? まさかアナタが誘ってくるなんて思わなかったわよ。アタシに彼氏がいないと決めつけてるのが気に食わないけど……」
横目で確認すると、そこには以前と変わらない応援姿の彼女がいた。ホームのキャップにレプリカユニフォーム、そして見慣れていたはずの笑顔が懐かしく感じる。
「ほら、ホットドッグ買っといたからよ。さすがにぬるくなっちゃうからビールはまだだけどな」
「ありがとう、気が利くようになった? それに以前より顔つきがやさしくなったわね」
彼女は肩をすくめながら紙トレイに載せたホットドックを見せつけてきた。苦笑を返すオレにトレイを押し付けると、ビールの売り子へと声をかける。
「再会を祝して乾杯、ってとこか? ただな? オレはお前に彼氏がいないことを知ったから誘ってやったんだぜ? 球場にもほとんど来てなかったらしいじゃないか」
「なんだ知ってたのね。もしかしてストーカー? 未練がましい男は嫌われるわよ? それとも誰かから聞いた? まあそのほうが現実的ね」
「昨日コンビニのレジに並んでる時にでかい声で話してたじゃんか。なんでうちの女子社員達はああ声がでかいのかねえ」
「そうは言うけど、こっちは毎日大声張り上げてドライバーを誘導してるんだから仕方ないでしょ? だいたいアナタは仕事サボってコンビニにいたわけ? 外回りのくせに会社で昼食なんて結構なご身分ね」
「昨日は報告会議の日だぞ? って言っても部署が違うからわからねえよな。とにかく営業だって昼間会社にいることはあるのさ」
「じゃあアナタも人に向かって声が大きいなんて言わないことね。って、この会話去年もした気がするわ。せっかくの再会だって言うのにアタシたちったらダメね……」
「ダメってこともないさ。オレは以前と変わらないこの再会はうれしいぜ? ホッとすると言うほうがピッタリくるかもしれないかな」
「でも変わらないならまた同じようになってしまうわよ? そんな再会なのに喜べるわけ?」
その時、少し離れた席にいるおっさんがこっちを向いて声を荒げた。
「お前さんたちよお、もう試合は始まってんだ! さいかいさいかいってやる気をそぐようなことばかり言ってるんならどっか行ってくれや。こちとら見に来たゲームが七連敗中でイライラしてるんだぜ?」
「あ、すいません、久しぶりに友人と再会したもんでちょっと話し込んでしまいまして…… きっと今日は勝ちますって。さ、オレたちも応援しようぜ」
「友人、ねえ。こういった場合ってなんていえばいいのかしら。元なんとかってのもいい表現ではないわよね」
「なんか今日はやけにからむなあ。それは後にして今は応援しようぜ? ホットドッグ冷めちまうぞ? ビールもう一杯飲むか? 今日はオレのおごりでいいからさ」
「おごりなんて当たり前よ! アナタが誘ってきたんじゃないの。なんでこんなにイライラするのかしら。ホントのこと言うとメッセージが来たときはうれしかったのよ? 一人で球場に来ても楽しくなかったから……」
「そっちかよ…… でも以前と変わらないってことは―― 同じような関係に戻れるってことかもしれねえだろ?」
「なにそれ、アタシのこと口説いてるつもり? まあでも悪い気はしないわね。アナタが本当に独り身なら、だけどさ。アタシ知ってるんだから。毎朝髪の長い女の子と一緒に通勤してるってこと」
「いや、それはだな――――」
「いいわよ隠さなくたって。アタシが言いたいのは二股かけるつもりかとかそんなことじゃないわ。向こうがうまくいきそうにないから今度はこっちってつもりならそんな甘い話はないって言いたいの。でもいくらなんでも新入社員に目をつけるなんて考えもしなかったわ。確かに若くてピチピチしてるかもしれないけど――」
「――となんだ。誤解なんだよ」
「えっ? 今なんて言ったの?」
「アイツは妹なんだ。しかも新卒社員じゃなくてアルバイトだぜ? 前の会社が超ブラックでさ。やってられねえからって辞めちまって、来年また大学だが院だかへ行くつもりらしい」
「あ、ああ、そういう…… なら一緒に通勤してても仕方ないわね。てゆうかアナタって実家住まいじゃなかったでしょ? あのぼろアパートから実家へ戻ったわけ?」
「ぼろアパートってなあ…… あのアパートがオレの実家だよ。もちろん母屋は隣にある別の建物だけどさ」
「ちょっとウソでしょ!? じゃあ同じ敷地内にご両親がいるのに一度も挨拶してないし、紹介もされてないってことじゃないの。それだけじゃないわ。あのアパートで―― いや待って、なんでもない。はい、この話はここまで! さあ応援応援」
オレたちが話に夢中になっている間に回はすいすいと進んでおり、今は五回の裏まで来ていた。その間におっさんには何度も咳払いをされるし、ビール代を次々に支払わされるしで、久しぶりの球場ビールはなおさら苦い。
試合はいつもより活発な打線が得点を重ねるも、同じくらい打たれ失点を重ねており六対六の同点で最終回を迎えた。いつもならここで点を入れられずに延長に入ることも多かった。
だが今年は粘り強さが出ているような気がする。球場へは来ていなかったが、なんだかんだ言って結果は気になるからスポーツニュースはチェックしている。それは彼女も同じことらしく、今はかなり興奮気味だ。
「だから言ったでしょう? 今年は一味違うのよね。粘りがあるっていうの? 簡単には終わらない気迫を感じるわ!」
「そうだな、やる気なく三振って場面は減ってると思うよ。こりゃもしかするともしかするぜ?」
なんと言っても九回裏にワンナウトながら一・三塁となって一打サヨナラ、外野フライでもオッケーな好機。もちろん応援するほうも手に力が入る。空席は目立つもののガラガラと言うほどではないスタンドからは大声援が鳴り響いている。
こんな雰囲気を味わうのも久しぶりだったオレたちは、その場の空気に中てられたのか、いつの間にか手を握り合っていた。そう言えば以前はこうして手を繋ぎながら応援して絶叫したもんだ。
だがそんなスタンドの大声援は、直後一気にしぼんでしまった。ここでベンチはスクイズを選択したのだが、完全に読まれて三本間で挟まれてしまったのだ。当然サヨナラのホームを踏むはずだったサードランナーはタッチアウトになりこれでツーアウトになってしまった。
「もう! せっかくのサヨナラチャンスだったのに! でもまだランナーいるんだしあきらめないわよ! ほら、ちゃんと応援してっ!」
「もちろんさ、あきらめてないからここにいるわけだしな!」
久しぶりに訪れた球場でこんな熱い展開にめぐり合えるとは考えてもみなかった。しかも何かの縁なのか、一人じゃないこともあってオレはめちゃくちゃ楽しくて興奮していた。
昔はスクイズ失敗したバッターに罵声が飛び交っていたらしいが現代ではそんなファンは皆無である。失敗してしまったプレイはもう取り返せないのだから、次に期待するのが本当のファンと言うものだ。
つまり取り返せない失敗でも次の機会で取り返せばいい。オレはそんなことを考えながらも、それがなんだか自分のことを指しているような気がしていた。そうだ、ここでサヨナラ勝ちになったら過去に決別し、新たな一歩を踏み出そう。
自分の意気地のなさを他人の行動にゆだねるのは少々情けないとも思えるが、一般人なんてそんなもの。だからこそこうして特別な能力を持つ人たちがプレーしている姿に心打たれるのではないだろうか。
自分の中で言い訳じみた決着をつけてから改めて声を張り上げる。もちろん隣でも、そして離れた席のおっさんも目いっぱいでかい声で叫んでいた。
その応援の甲斐もあってか次のバッターはフォアボールを選び、これで再び一・三塁となった。ただしアウトカウントが増えているため外野フライでタッチアップできないし、もちろんスクイズもできない。
そして次のバッターは何球か粘った末に痛烈なファーストゴロを放った。これなら一塁線を抜けるかと思いきや、一塁にランナーが出たことで一塁手はベース近くに守っている。
だがあまりにも真正面過ぎたからなのか、一塁手がうまく取れずにファンブルしたではないか。もちろん急いでボールを握り直しベースカバーへとトスをするが微妙なタイミングだ。
その瞬間、バッターがファーストベースを駆け抜ける。もちろんサードランナーはホームベースを踏みつけて一塁塁審へと向き直って仁王立ちしている。
かなり微妙なタイミングに球場内はかたずをのんで見守り、その時間がやけに長く感じてしまう。隣から伸びている手がますますオレの手を強く握り締めていることから、コイツも同じように緊張と興奮を隠せない様子なのがわかった。
そして判定は――
『セーフ!!』
球場は割れんばかりの歓声に包まれていった。こんな劇的な試合、オレが見に来た中では初めてじゃないだろうか。
「ねえ見たでしょ!? サヨナラよ! 見に来てサヨナラなんてアタシ初めて!」
「だよな! オレも初めてだからめっちゃ感動してる、サイコーだああ!」
そのままの勢いでオレは先ほどの決意を言葉に表した。
「なあ、オレたちやっぱ気が合うと思うんだよ。だから、その―― また一緒にこうやって一緒の時間を過ごさないか?」
「なにそのどさくさ感? サヨナラに立ち会った劇的な今なら過去のサヨナラを無しにできるとか考えたんでしょ? アナタってホントロマンチストっていうか少女趣味って言うの? まあでもサヨナラしたのも勢いみたいなのあったし、なしにするのも悪くはないかな……」
「おっし、少女趣味ってのが引っかかるし、いまどきそんなこと言うとうるさいこと言われかねないから社内では気をつけろよ? そんじゃパーッと飲み直しにでも行くか!」
こうして今オレたちは以前と同じようにぼろアパートで肩を寄せ合いながら、一杯やるどころか揃って呑んだくれていた。球場を出てからの彼女はとてもどこかの店へ入って仲良く杯を交わすなんてことができそうになかったこともあって、なんとなくここへ足が向いてしまったのだ。
「だいたいなんなのあれってさ。アタシあのリクエストって大っ嫌い! 一回決めたならもうひっくり返さないでもらいたいわよ。アンタもそう思うでしょ!?」
「だなあ、しかもサヨナラだぜ? まったく空気読めってんだよ」
「それもこれもアンタが悪いんだからね! サヨナラをなしにするとか言い出すからこんなことになったんだから責任取りなさいよ!」
「そんな無茶なこと言うなよ。自分だって同じこと言ってたじゃないか。それにまんざらでもなさそうな顔してたぞ? じゃあサヨナラをなしにするのをなしにすればいいのか?」
「リクエストのリクエストはありませーん。残念でしたっ! でも――」
「でも?」
「アタシからのリクエストは絶対通してよね。ほら、ひあい、るいくえしゅと……」
「まったく荒れすぎだろ。なんなら明日も行っちゃうか? デーゲームのチケットまだまだ余ってるだろうからな」
「ここからならちかいもんええ。れもそのまえに―― りくえしゅとおおー」
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