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第六章 浮遊霊たちは気づいてしまう

67.恋心

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 ベッドに近付いたおかげで胡桃の顔は先ほどよりぐっと近くに見える。もちろんそのつややかで魅力的な淡いピンク色の唇はほんの十数センチ先だ。

 僕は胡桃を起こしてしまわないようそっと呟くような小さな声で話しかけた。

「千代ちゃん、起きてるかい?」

 するとなんということだろうか。千代は寝息を立てて寝ているではないか。

 そんなことがあるのだろうか。僕達には眠気がやってくることは無い。少なくとも幽霊になってから今の今まで眠いと思ったことなど一度もなかった。千代に至っては何十年もの間一度も寝たことなどなかったはずだ。

 それがどうしたことか、ぐっすりと眠っている。まさかそんなことがあるなんて思いもしなかったが、それは千代が胡桃と手を繋いでいるせいなのだろうか。

 僕は自分自身を包んでいるこのもやもやした感情を何とかしようと、千代に話し相手になってもらおうと思っていたのだが、まさか熟睡しているなんて想定外の出来事に驚き頭の中が真っ白になってしまった。おかげで胡桃の寝顔を意識しすぎておかしくなりそうだった僕の気持ちは和らいだのだが、別の事を考える羽目になっている。

 そういえば、胡桃が手に持ったサンドウィッチには鮮やかな色がついて見えた。千代は胡桃と手を繋ぐと暖かさを感じると言っていた。そして今手を繋いで横になっている千代はぐっすりと眠っている。

 僕達幽霊を見ることができて会話ができるくらいだと思っていた胡桃には、まだまだ未知なところがあるようだ。それは本人も自覚していないだろうし、僕にもわからないことだらけだ。

 そんな事を考えているうちに僕はようやく我に返り平常心を取り戻した。そしてベッドの脇から離れた場所へ座り直す。さっきまでの僕はどうかしていた。体の奥底から湧き出るような感情を持ったのは初めてで、どうしていいかわからなくなるなんて我ながら情けない。

 ごくごく一般的に、そう一般論で言えば、僕は胡桃に恋をしたのかもしれない。恋愛とは程遠く、どちらかと言えば孤独な人生を送ってきた僕に人を好きになるなんて経験はなかった。そのため今のこの感情が恋心なのかどうか判断はつかない。しかし決して邪な気持ちを持っているわけでないことは断言できる。

 ただ残念なことに、僕は幽霊で胡桃は生きた人間だ。それに二人が産まれ育った環境や価値観も全く異なる。まさに釣り合わないどころか胡桃が僕を好いてくれる要素なんて何一つなさそうである。

 僕は座ったまま壁にもたれ膝を抱えて考え込んだ。そして今更ながら重子さんと先生の事を思い出していた。重子さんと先生はほぼ同じ年代だったはずだけれど、見た目には二十代と五十代位の差があった。と言うことは重子さんは先生が亡くなるまで三十年かそれ以上、たった一人で待ち続けていたのだろう。

 僕にそんなことができるだろうか。ましてその気持ちを胡桃に届けることができるのだろうか。この想いが一方的な物なのは間違いないし、伝えたところで胡桃に迷惑をかけるだけとなる可能性もある。だいたい今こうやって親しげにしてくれているのは、僕のそばに千代がいるからに違いない。

 第一もしも僕の気持ちが胡桃に悟られてしまったなら今のこの関係が崩れてしまうかもしれない。そう考えると絶対に悟られたくは無い。そのためにはこれからもなるべくさりげなく振る舞うのだ。

 自分のためにも千代のためにも、胡桃とは当たり障りのない関係を続けていくべきだと心に刻んでおこう。果たしてそれが出来るかどうかは、胡桃の頭の回転の良さとの勝負になるだろうと考えていた。

 どう考えても分の悪い勝負だけれど、何としても悟られない様にしなければならない。そう誓いつつも胡桃の寝顔を横目で見てしまい、余計に意識してしまうのだった。

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