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第四章 迷える令嬢
14.種火
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クラウディアの嫌な予感は半分当たっていて半分外れていた。まず外れていたのは我が子の存在を明かし王城へ迎え入れしてもらうと言うのは思い違いであった。当たっていたもう半分の嫌な予感は、我が子だけがアーゲンハイム男爵の屋敷でひっそりと暮らすと言う提案だった。
いくら身の危険が迫っているわけでないと言ってもそれはアルベルトの子の存在が知られていないことが前提である。王族関係者はもちろん国王派の貴族や、そこへ取り入ろうとする者全てを敵とみなす必要がある。すなわち子はアーゲンハイム男爵の屋敷、クラウディアは今まで通り監視小屋で暮らすと言うものだ。とは言っても食事や身の回りの世話は男爵の使用人に任せることになるので苦労はないとの話である。
そしてモタラは男爵の屋敷へ連れて行き、子の乳母として働いてもらうと言う。アルベルトを我が子のように思っている彼女ならきっとしっかり面倒を見てくれるとは思うが、クラウディアは、あの醜男(しこお)へ身体を提供するような過剰な奉仕精神を持つモタラへの嫌悪感が拭えていない。万一己の子にも同じような奉仕をするようなことがあったらと思うと気が気ではない。
とは言ってもまだ産まれて間もない赤子であるから、クラウディアが考えるような心配が必要になるまでには十年以上の年月がある。その頃には情勢が変わっていることも考えられるし、アルベルトと違って真っ当な教育を受けて育てば正常な倫理観を持つだろう。
だがこれは到底受け入れがたい話だった。あれほど苦しい思いをして悔しさや悲しさを乗り越えた末、この手に抱いた我が子だ。その子にはアルベルトへ持った恨みを感じておらず、今クラウディアが生きるにあたって最後の原動力とも言える存在なのだ。それを手元から離されてしまっては、ただ憎く醜い男の子供と感じてしまいそうだと考えていた。
「アーゲンハイム男爵、私の気持ちがわかるでしょうか。
思い出したくもありませんが、私は毎日数えきれないほど辱めを受けました。
その結果産まれてきたのがあの子なのです。
産まれ出る前に流れてしまえば良いと何度思ったか……
それでも今我が手に抱いているこの子が愛おしく悔しいのです」
「いや、それは……
軽々しくわかりますとは到底申し上げられませんが……
ですがあの小屋に親子で住むのはリスクが高すぎます。
赤子のうちに死んでしまっては元も子もない」
「どうせ育ったとしても反乱のために担ぎ出すのでしょう?
結局この子にも私にも幸せは来ないのだとわかっているのです。
だったらせめて子供である内は手元に置いておきたく存じます」
「担ぎ出すと言うのは少々聞こえが悪いですな。
いずれ民のために立ち上がっていただくと言うことです。
歴代の宰相たちがしてこなかった、倫理観を持った王としての教育。
それが今こそ叶うかもしれません。
お子様には国を正しく統治し、王として君臨していただきたい」
アーゲンハイム男爵は自分の正しさを当然のように力説し、クラウディアを説得しようとしている。しかしクラウディアには信用しきれないと疑念を持つ。それはそこまでして王を担ぎ上げる必要があるのかということだ。
「あの…… アーゲンハイム男爵?
なぜそこまでして王の血筋にこだわるのでしょうか。
血が絶えるのが確実ならば別の王を立てるなり、王政を無くすことも可能でしょう。
私にはそこが不思議でならないのです」
「それは簡単な話です。
後継者がいないままに王が亡くなりでもしたら内乱となるのは目に見えているからです。
しかし王の血を継ぐ者を立てて反乱を起こせばその限りではない。
むしろ今の王が存命のうちにタクローシュ王子の継承権を剥奪するという手も……」
「そんなことがうまくいくのでしょうか!?
男爵は子の存在を知られたら身に危険があるとおっしゃいましたよね?」
「そこは王への謁見時に様子を見ながら、となります。
まずはお子様の成長が優先ですし、おそらくは数年後になるかと。
それまではきちんとした教育と鍛錬のため全力を尽くす所存です」
押し問答のように続くクラウディアとアーゲンハイムの会話だったが、ついにはクラウディアが折れて決着がついた。なぜなら彼女には子を育てる経験はおろか、その光景を見たことすらなかったのである。クラウディアを赤子の頃から育てたのはダルチエン家に雇われた乳母であったし、幼少期からは従者やメイドが身の回りの世話を全てやっていた。同じことをやろうとするならばアーゲンハイム男爵に頼るしかなかった。
しぶしぶながら提案を受け入れたクラウディアがアーゲンハイム男爵援助の元、監視小屋での生活を再開して数日、彼女には別の心配事があった。それはモタラがなかなか戻ってこないことだ。まさかどこかで捕らえられてしまったのではないだろうか。もし一人で国外へ逃げてしまったのなら今となってはそれでも構わないが、どこかでうかつに情報を漏らすことだけは避けてもらいたい。こちらの状況を知らないまま行方がしれない乳母の存在は心を騒がせるのであった。
いくら身の危険が迫っているわけでないと言ってもそれはアルベルトの子の存在が知られていないことが前提である。王族関係者はもちろん国王派の貴族や、そこへ取り入ろうとする者全てを敵とみなす必要がある。すなわち子はアーゲンハイム男爵の屋敷、クラウディアは今まで通り監視小屋で暮らすと言うものだ。とは言っても食事や身の回りの世話は男爵の使用人に任せることになるので苦労はないとの話である。
そしてモタラは男爵の屋敷へ連れて行き、子の乳母として働いてもらうと言う。アルベルトを我が子のように思っている彼女ならきっとしっかり面倒を見てくれるとは思うが、クラウディアは、あの醜男(しこお)へ身体を提供するような過剰な奉仕精神を持つモタラへの嫌悪感が拭えていない。万一己の子にも同じような奉仕をするようなことがあったらと思うと気が気ではない。
とは言ってもまだ産まれて間もない赤子であるから、クラウディアが考えるような心配が必要になるまでには十年以上の年月がある。その頃には情勢が変わっていることも考えられるし、アルベルトと違って真っ当な教育を受けて育てば正常な倫理観を持つだろう。
だがこれは到底受け入れがたい話だった。あれほど苦しい思いをして悔しさや悲しさを乗り越えた末、この手に抱いた我が子だ。その子にはアルベルトへ持った恨みを感じておらず、今クラウディアが生きるにあたって最後の原動力とも言える存在なのだ。それを手元から離されてしまっては、ただ憎く醜い男の子供と感じてしまいそうだと考えていた。
「アーゲンハイム男爵、私の気持ちがわかるでしょうか。
思い出したくもありませんが、私は毎日数えきれないほど辱めを受けました。
その結果産まれてきたのがあの子なのです。
産まれ出る前に流れてしまえば良いと何度思ったか……
それでも今我が手に抱いているこの子が愛おしく悔しいのです」
「いや、それは……
軽々しくわかりますとは到底申し上げられませんが……
ですがあの小屋に親子で住むのはリスクが高すぎます。
赤子のうちに死んでしまっては元も子もない」
「どうせ育ったとしても反乱のために担ぎ出すのでしょう?
結局この子にも私にも幸せは来ないのだとわかっているのです。
だったらせめて子供である内は手元に置いておきたく存じます」
「担ぎ出すと言うのは少々聞こえが悪いですな。
いずれ民のために立ち上がっていただくと言うことです。
歴代の宰相たちがしてこなかった、倫理観を持った王としての教育。
それが今こそ叶うかもしれません。
お子様には国を正しく統治し、王として君臨していただきたい」
アーゲンハイム男爵は自分の正しさを当然のように力説し、クラウディアを説得しようとしている。しかしクラウディアには信用しきれないと疑念を持つ。それはそこまでして王を担ぎ上げる必要があるのかということだ。
「あの…… アーゲンハイム男爵?
なぜそこまでして王の血筋にこだわるのでしょうか。
血が絶えるのが確実ならば別の王を立てるなり、王政を無くすことも可能でしょう。
私にはそこが不思議でならないのです」
「それは簡単な話です。
後継者がいないままに王が亡くなりでもしたら内乱となるのは目に見えているからです。
しかし王の血を継ぐ者を立てて反乱を起こせばその限りではない。
むしろ今の王が存命のうちにタクローシュ王子の継承権を剥奪するという手も……」
「そんなことがうまくいくのでしょうか!?
男爵は子の存在を知られたら身に危険があるとおっしゃいましたよね?」
「そこは王への謁見時に様子を見ながら、となります。
まずはお子様の成長が優先ですし、おそらくは数年後になるかと。
それまではきちんとした教育と鍛錬のため全力を尽くす所存です」
押し問答のように続くクラウディアとアーゲンハイムの会話だったが、ついにはクラウディアが折れて決着がついた。なぜなら彼女には子を育てる経験はおろか、その光景を見たことすらなかったのである。クラウディアを赤子の頃から育てたのはダルチエン家に雇われた乳母であったし、幼少期からは従者やメイドが身の回りの世話を全てやっていた。同じことをやろうとするならばアーゲンハイム男爵に頼るしかなかった。
しぶしぶながら提案を受け入れたクラウディアがアーゲンハイム男爵援助の元、監視小屋での生活を再開して数日、彼女には別の心配事があった。それはモタラがなかなか戻ってこないことだ。まさかどこかで捕らえられてしまったのではないだろうか。もし一人で国外へ逃げてしまったのなら今となってはそれでも構わないが、どこかでうかつに情報を漏らすことだけは避けてもらいたい。こちらの状況を知らないまま行方がしれない乳母の存在は心を騒がせるのであった。
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