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別れ道

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 椅子ごとひっくり返りそうだったというのは決して大げさではない。本当に倒れなくてホッとしているというのが今の正直な感想だ。

 だってだって! ナギサが! 彼の子供を産むとかトンデモないことを言い出したんだもの!

「ちょっと! ナギサ? ちょっと待って?
 私の理解が追い付いていないみたいなんだけど、さっきまでの話と繋がってるのよね?
 つまり…… その…… 男性同士の、あの…… そういうのじゃなかったの?」

「ああそうか、ちょっと端折ってしまっていたから驚かせてしまったね。
 実は、僕は元々オンナなんだ。
 色々と苦労もあって、今は戸籍上も男性だけどね」

 今まで十四年生きて来て一番の衝撃を受けたといっても大げさじゃない。なんといっても、ナギサが元女性だというんだから!

「そりゃ驚いただろうね。
 最近では珍しくないことと思っていても、実際に目にすることは少ないだろうし」

「う、うん……
 それもだけど、好きでもない人と子供を作るなんて…… そういう……」

「ああ、そうか、そうだよね。
 でもね、僕は彼のことは一人の人間として好きだったよ。
 ただそれが恋愛感情なのかがわからなかった、いや、知らなかったというのが正しいかもしれない」

 そうか、ナギサは愛されたことがなく愛したこともない、愛を知らずに生きてきたと言っていた。だから他人を好きということと、愛というものがイコールにならないだけなのだろう。

「彼と出会ったころは、ごく当たり前の女性の姿だったし、女性として生活していたんだ。
 でも精神と身体のバランスが取れていなかったから、とてもつらい毎日だったんだよ。
 専門の病院へは通っていたけど、それが親にとっては端だったんだろう。
 顔を合わせるたびに罵られ、罵倒され、時には暴力を受けることもあった」

「ひどい……
 あ、でもそれは家を出てから解消されたってことよね」

「そういうこと。
 実質、親との縁を切った僕は、身も心も解放されて癒されていった。
 けれど、そのままの状態で大学へ入学すると、大勢の男女がいる中で生活することになる。
 そのことが不安で、また精神的に不安定になっていったんだ」

 まったくもって想像もしなかった世界の話を聞いてしまった。でも、認知度が上がっていても未だ抱えたままの人たち、もしかしたらクラスメートの中にもそういう子がいるのかもしれない。

「それで、話は少し戻るけど、彼が僕の望みをかなえる手伝いをしてくれることに繋がるわけさ。
 具体的に言うとちょっと生々しいかもしれないけど、性別適合手術や社会復帰までの生活援助、つまり衣食住ふくめた金銭援助、それに戸籍変更手続きもずいぶん助けてもらったよ。
 大学へ行くのはさらに二年延ばすことになったけど、晴れて男性として新生活を踏み出すことが出来たんだ」

「あの…… それと子供を産むことの関連がわかりません。
 いや、無理に話してくれなくても構いませんけど……」

「ごめん、話が前後してしまってわかりにくくなってしまったね。」
 結局僕のわがままだったんだけども、彼が愛してくれていることは言葉で理解できたし、だからこそ見返りを求めずに最大限の助力をしてくれていることも理解でき感謝していたんだ。
 それでもやはり僕には愛というものがわからなかった。
 なんでそこまで出来るのか、何のためにしてくれるのかと毎日悩んでも答えは出ない。
 考え抜いた結果、最終的に僕が出した答えは『愛する対象を得ること』だったんだ」

「それが自分の、ナギサの子供……」

「うん、まったくひどい話だと、今になってようやくわかってきたところさ。
 両親は違ったけど、僕はどうだろう、彼はどうだろうと気になって解答を求めてしまった。
 自分の子供になら愛という感情が持てるんじゃないかってね」

 ナギサの顔が曇ったのがわかる。きっとその決断に公開しているところもあるのだろう。
 
「しばらくして僕は妊娠し、出産した。
 無事に産まれて来てくれた子供をこの手に抱いた時には涙が止まらなかったよ。
 嬉しさ、そして愛おしさとはこういう感情なのかと、初めて感じる愛するという感情。
 でもそれと同時に、自分の身勝手で命をもて遊んだという罪悪感も抱えることになった」
 
「そんな…… 罪悪感なんて……
 だってナギサはその子のこと愛することが出来たんでしょ?
 それなら望まれて、恵まれて産まれてきたんだと思う!」

「そうだったらいいんだけどね。
 子供を産んでから僕は選択を迫られることになった。
 この手に抱いた愛するものと共に女性として生きるか、自身の性認識に従って男性になるか。
 彼はどちらでも構わない、どちらを選んでもどこまでも面倒を見ると言ってくれた。
 そして僕は決めたんだ」

「それが今のナギサ…… なのね」

「うん、今僕がこうして男性として生活しているということはそういうことさ。
 彼に子供を押し付けて、その相手の助力で自分の我がままを通した。
 何から何まで世話になったのに何一つ恩を返すことなく、苦労だけを押し付けてね。
 だからこんな最低な僕は、人に助言するなんて、まして恋の話なんてできないんだよ」

 私は言葉が出なかった。なんと言えばいいのか、どんな言葉をかけるのが正しいのか。いや、そもそも自分が何を話したいのかさえわからない。ナギサの過去を知ってどうしたかったのか。なにか、今までと違うなにかが得られるとでも思っていたのか。

 あんな涙を見せられた後、追い打ちをかけるようなひどい言葉をぶつけたのはこの私なのに!

「大分驚かせてしまったね、本当にごめんよ。
 でももしかしたらもう一人では抱えきれなくなっていて、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
 その相手があさみで嬉しいよ。
 もうだいぶ遅くなってしまったね。
 それじゃ話はここまで、早くお帰り」

「うん…… 話してくれてありがとう。
 今感じた想い、ずっと大切にするね」

「うん、ありがとう」

 こうして私の長い長い時間は終わりを告げた。ハッキリ言って消化するのにかなり時間がかかりそうだし、まっすぐ家まで帰ることを考えるだけで精いっぱいだ。

 私はナギサに駅まで送ってもらってから改札を通る。カフェを出てから二人とも無言だったけど、そこまで来て初めてナギサが声をかけてくれた。

「これを今日のお礼に。
 大したものじゃないけど受け取ってほしいんだ」

「これは……?」

 差し出されたのはごく普通の封筒だった。手紙でも入っているのだろうか。

「家に帰ってから開けてみて。
 本当に大したものじゃないからあまり期待はしないでね」

 私はゆっくり頷くと、振り返って雑踏に紛れるようホームへ向かった。ナギサともう一度顔を合わせると、自分が何をするかわからなくて何だか怖かったのだ。
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