心をなくした私と、あやかし荘の住人たち

ホロロン

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第2話:この家の住人たち

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「ごはん、食べる?」

オオヤがぽんぽんとちゃぶ台を叩くと、襖の奥からひょい、と小さな顔が覗いた。

「お腹すいたー!でも誰?この人間」

現れたのは、五歳くらいの子ども。……に見えるけれど、目が妙に澄んでいて、言葉遣いも達者だ。
髪は短くて、少し大きな着物の裾を踏みながら走ってきて、ぴたりと止まった。

「ふーん。泣いてたの?」

「……えっ」

「だいじょーぶ。ここでは誰も怒んないよ。誰もいなくなった部屋に、ちゃんと人が来てくれて嬉しいもん」

にこっと笑ったその子は、まるでずっとこの家にいて、誰かを待っていたようだった。

「この子はカナエっていうんだ。えっと……座敷童の……部類、かな」

オオヤが苦笑するように言う。

「カナエはこの家の守り神みたいなものでね、ここに住む人が元気になると、カナエも元気になる。逆に落ち込んでると、家がきしむんだ」

「きしむ……?」

「うん、音とか、風とか、不思議と分かるの。この家、ちょっと生きてるから」

オオヤの言葉は冗談のようで、本気のようだった。

案内された部屋は、畳の匂いが心地よい六畳間だった。本当に……住んでいいのかな……。
家具はほとんどないけれど、障子の向こうには小さな庭が見えて、風が優しく通り抜けていく。
まるで、ずっとここで誰かを待っていたかのような部屋だった。

「何もないけど、よかったらここで一晩過ごして。合わなければ出て行ってもいいから」

オオヤの言葉には、押しつけがましさがなかった。
誰にも、無理に期待されないって……こんなに、静かなんだ。

ふと、背中の力が抜けて、肩の重さに気づいた。
彼女はその夜、布団の上で初めて、深く深く眠った。夢の中で、子どもの声がした気がした。

「ここにいていいんだよ。ちゃんと、見てるから」

***

目が覚めたのは、鳥の声だった。遠くで風に揺れる木の葉の音が、寝ぼけた耳にやさしく響いた。
見上げた天井は古びた木の梁(はり)。畳の匂いが鼻をくすぐって、ようやく自分が知らない場所にいることを思い出した。

……そうだ、私は逃げてきたんだ。

昨日、あの家にたどり着いて、「空いてますよ」と言われて、言われるままに部屋に通されて、お茶とごはんも出してくれて、それなのに名前も何も聞かれず……部屋に案内されて、そのまま眠った。

どこか夢のようで、でもこれは現実だ。私は今、知らない街の外れにある、傾いた大きな古い家にいる。
角の生えたオオヤさんとが住む、不思議な場所に……。でも、こんなに静かな朝、いつぶりだろうか……

ふと、家の中を歩いてみたくなった。
廊下をそっと歩いていくと、少し奥まったところに、使われていないらしい部屋があった。
襖にはうっすらと埃が積もっている。けれど、なぜか気になって手をかけた。

ぎ……と、乾いた音を立てて襖が開くと、中には静かな空気とともに、古い物たちが並んでいた。

割れた茶碗、色褪せた人形、背の曲がった箒、かすれた筆、破れた団扇……。
使い古され、けれど丁寧に置かれている。まるで、誰かがここで、彼らを見守っているようだった。

彼女はそっと足を踏み入れた。

そのとき……

「ようこそ。忘れられたものたちの部屋へ」

静かに、しかし確かに、声が響いた。
振り返ると、部屋の隅にひとりの青年が立っていた。
黒髪は墨のように深く、目は冷たい灰色。白と藍の和装に身を包み、背筋を伸ばして立つその姿は、どこか儚く、けれど美しかった。

「……誰、ですか?」

彼女の問いに、青年は小さく微笑んだ。

「アサギ。僕はすずり付喪神つくもがみ。……ずいぶん長く使ってもらって、百年近く経って、ようやく人の形になれたんだ」

「付喪神……」

聞き慣れない言葉を、彼女は繰り返す。

「物もね、大切にされていると、心が宿るんだ。でも……忘れられると寂しい。使われないまま、壊れたままで置いておかれると、心もすこしずつ、削れていく」

アサギはそっと、色褪せた人形に手を添えた。

「でもこの家では、壊れたものも、捨てられない。壊れているからこそ、大切にしたいって言うやつがいるからね。……あの角の大家さんとか」

その言葉に、彼女は小さく息を呑んだ。
壊れても、大切にしたい。それは、まるで……自分のことを言われているようだった。

「君も……誰かに必要とされないって、つらかったんじゃない?」

アサギの灰色の瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
その一言に、胸の奥がきゅっと痛んだ。……どうして、この人たちは、こんなに優しいんだろう。
彼女は黙ってうなずいた。何も言えなかったけれど、その瞬間、目の奥が少しだけ熱くなった。

アサギは、ただ静かに言った。

「ここは、忘れられたものたちの場所。でも、忘れられたままでいる必要はない。もし君がよければ、ここに時々来て、話しかけてくれないかい?……物たちも、きっと喜ぶから」

彼女は少し迷ってから、小さく「はい」と答えた。
まるで、自分もこの部屋の一部に迎え入れられたような、そんな気がした。

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