心をなくした私と、あやかし荘の住人たち

ホロロン

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第13話 春宵、恋ゆらぐ

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春の宵、あやかし荘の中庭には、ほのかな提灯の灯がゆれていた。

「花灯祭(はなあかりまつり)だと?」

ツヅラが眉をひそめる。

「人の里でいうところの春祭りのようなものさ。もともとは、山のあやかしたちが春の芽吹きを祝っていた風習だよ」

白澤が静かに言った。

住人たちは思い思いに身なりを整え、髪や袖に花を飾っている。
彼女も、アサギと一緒に選んだ浴衣に袖を通していた。

「わあ……着たことないけど、ちょっと照れるな……」

淡い藤色に桜の文様が浮かぶその浴衣は、鏡の中の自分を、少しだけ知らない誰かのように見せた。

「……似合ってるな」

不意に背後から声がして振り向けば、そこには白澤。いつもの装いに、ほんのり春の意匠が添えられている。

「……白澤さんも、なんだか柔らかい雰囲気ですね」

「季節の魔法ってやつだな」

彼女が照れて目を逸らしたそのとき……

「……うっわ。誰だお前」

ツヅラが目を見張っていた。

「え? あの、私……」

「いや、顔は分かってるけどよ。雰囲気が……全然ちげえ……」

一瞬、彼はなにか言いかけて、飲み込んだ。

「……綺麗だ」

その一言に、彼女の胸がどくんと鳴った。

「っ……ありがとう」

普段は強気なツヅラが、そっぽを向いて頬をかくような仕草を見せた。それがまた、少しだけ胸をくすぐった。

***

夜が深まるにつれ、住人たちは笑い、語らい、踊った。
提灯の灯が揺れ、虫の声と春の匂いが重なる。

ふと彼女が立ち止まり、灯りを見上げていたとき――

「一緒に歩くか?」

白澤が手を差し出していた。戸惑いながらも、その手を取る。

ふたりきりで庭を歩くのは、初めてだったかもしれない。

「……こうしてると、ほんとに夢みたい」

ぽつりとつぶやくと、白澤は少しだけ顔を寄せた。

「夢なら、覚めないでほしいか?」

「……うん」

彼の手が、そっと彼女の指先に触れる。

「だったら、俺はずっとここにいるよ。お前が、俺を見てくれるかぎり」

胸の奥が、じんわりと熱くなった……そのとき。

「おい、そっちばっかずるいぞ」

割り込むように、ツヅラが反対側に並んだ。

「俺も連れてけ。祭りってのは賑やかな方が楽しいだろ」

白澤がほんの少しだけ眉を上げる。

「……邪魔をするな」

「嫉妬か?」

「まさか」

「じゃあ問題ねえな。お前が言葉を選んでる間に、俺は本気出す」

ツヅラが彼女の肩にそっと手を添えた。

「なあ。今日だけでいい。俺と一緒に、最後の提灯まで見てくれねえか?」

「……ツヅラさん」

彼の目は、いつになく真っ直ぐで。白澤の視線も、決して揺らがない。

彼女は……どちらの手も、まだ離すことができなかった。

心の奥に芽吹いたばかりの、名前のない想いが、そっと春の宵に揺れていた。

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