小さなカフェには優しい風が吹く

ホロロン

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第4章 揺れる心に秋の光を

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木々の葉がゆっくりと色を変え始める頃。
「Cafe 縁」の店先には、小さな木製の看板と秋限定の「かぼちゃプリン」の文字が風に揺れていた。

その扉を、おそるおそる押したのは小柄な女性だった。
少し乱れた髪、くたびれたトレーナー、そして右腕にしがみつく小さな手……

「……あの、入ってもいいですか?」

「どうぞ。お子さんとご一緒ですね。」

店主・有村は、やわらかな声で迎えた。
女性はわずかにうなずくと空いていた二人掛けのテーブルに腰を下ろした。子どもは三歳くらいだろうか。母親の膝に乗ったまま、きょろきょろと店内を見渡していた。

「……メニューって、どこに……」

「こちらにございます。よければ、セットもございます。」

女性は一瞬だけ迷って控えめな声で注文した。

「……かぼちゃのプリンと、ホットミルクを……」

「かしこまりました。」

有村がカウンターへ戻ると、女性はふうっと長い息を吐いた。
目の下にはうっすらと隈があり無意識のうちに首元をさすっている姿が痛々しかった。その手が震えているのに自分では気づいていないのかもしれない。

やがて、ふんわりと甘い香りが漂ってきた。
運ばれてきたプリンの上には、淡い色のクリームと、ほろ苦い焦がしカラメル。

「どうぞ、ごゆっくり。」

有村が静かにテーブルに置くと、子どもが「いいにおいー!」と声をあげた。
その声に、思わず笑みがこぼれる……はずだった。

けれど、女性の目にふと翳りが差した。

「……わたし、子どもを産む資格なんて、ないと思ってました。」

ぽつりと漏れたその言葉に、有村はただ黙って耳を傾けた。

「親からずっと怒鳴られて、叩かれて育ちました。
愛された記憶なんて、ひとつもないんです。だから、この子をどうやって愛せばいいのかもわからなくて……。ちゃんと笑ってあげられない日もあるし、怒りたくないのに声を荒げてしまうこともあって……」

言葉はしだいに早くなり最後は震えていた。彼女は必死に涙をこらえていたが、それを隠そうとはしなかった。

「それでも、あなたは今日、この子を連れてここに来た。」

「え……?」

「お子さんと、あたたかいミルクとプリンを食べに来た。それが、すべてです。」

有村の声は、あくまでも静かで揺るぎなかった。

「ここまで来るだけで、きっといろんな気持ちと戦ったでしょう?それでも、あなたは今日、ここに来た。それだけで、あなたは立派なお母さんです。」

女性の目が大きく見開かれたまま動かなかった。有村は棚の奥から小さな木箱を取り出した。

「よければ、一枚。うちの言葉カードです。」

女性は少し迷ったが、そっと一枚を引いた。

そこに書かれていたのは、たったひとこと。

「あなたの愛し方は、あなたが選んでいい」

指先が微かに震えていた。
女性はその文字を、まるで宝物のように指でなぞりながら何度も読み返していた。

「……こんな言葉、かけられたこと、なかった……。」

その言葉に有村はゆっくりとうなずいた。

「だからこそ、今ここで出会えたのかもしれません。」

女性は小さく笑った。
それは涙をこらえながらも見せた、優しくて確かな微笑みだった。

「……変ですね。こんなところで泣きそうになるなんて。」

「変じゃありません。泣いても、大丈夫ですよ。」

窓の外、風が金木犀を揺らしていた。香りと一緒に秋の光がそっと降り注ぐ。

母と子の影は、その光にやわらかく包まれていた。


【第4章:完】
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