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第三章
15 踏み出した一歩
「マティアス様の申し出、とてもうれしく思います。
ですが、もう王都に戻ることはできません。
エイルは里の神に選ばれて、生を受けることができました。
里の人にも多くの愛をもらって、
この子は里の子としてここで育てていきたいんです。
マティアス様のやさしさ、ここまで来てくださったこと、
エイルが大きくなったら必ず伝えます。
だから、どうか……」
私は握った指に力を込めた。
「王都には、マティアス様を待っている方がたくさんいます。
その方々のためにも、どうか戻ってください……」
――もう涙は流さないと決めた。
指の色が白くなる程力を入れていた。
そっと、冷たくなった指先にぬくもりが添えられた。
大きく、温かい手だった。
「わかった……」
上を向くと、マティアス様は微笑んでいた。
そして、ポンと頭を撫でられた。
「困らせて、すまなかった……」
マティアス様は前を向き、里を見下ろした。
「ここはいい里だね。
とても人が温かい。
ここで育てられたら、エイルも心配いらないね。
そうだ……」
マティアス様のぬくもりが離れて、何かズボンのポケットに手を入れた。
そして何か小さい棒のようなものを取り出した。
それは、紺色の艶のあるもので、金色の何か名前のようなものが記されていた。
マティアス……と。
胸がチクリとした。
そして、その万年筆を私に差し出した。
「えっ……?」
私は瞳を大きく開き、マティアス様を見た。
「これをエイルに……」
私は、万年筆を受け取った。
それは年季の入ったもので、私も一度だけ使ったことのある万年筆。
マティアス様が一番大事にしているもので、大切な人からもらったもの……。
――それをエイルに?
「……これは、私が学院に入学したときに父からもらったものなんだ」
私は力が抜けて、だらしなく口を開けた。
「お父様の……? でも、エステル様の……」
私はハッとして、口を手で押さえた。
マティアス様がじっと私をみて、時が止まった。
そして、ふっと笑って下を向いた。
「エステル嬢から、聞いたんだね。確かに、似たような万年筆もらった。
でも、気持ちは受け取れないと、彼女の兄にそっと返してもらったんだ。
だから、この万年筆は正真正銘、父からの物だ……」
――そんな……。
マティアス様が立ち上がった。
そして、手を差し出した。
「時間をくれてありがとう。
エイルのところに戻ろうか……」
私はその手を眺めて、手を乗せた。
エイルの家まで、彼の背中を眺めて歩いた。
どうしていいか分からず、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
決めたはずなのに……。
ここで育てると……。
どうして、彼を目の前にすると簡単に揺らいでしまうのだろう。
私は唇をかんだ。
家に戻ると、エイルがおなかをすかせて待っていた。
私は慣れた仕草で、我が子に母乳を与えた。
一か月で、シルバーグレーの髪の毛はだいぶ伸びた。
瞳の色もマティアス様と同じ色なのだと分かった。
あの子がもっと大きくなったら、あの万年筆をエイルにあげる。
唯一、父親を感じられる物として……。
◇◇◇
カキーン! カキーン!
早朝に硬いものがぶつかる音が響き、目を覚ました。
そして、男性の声も聞こえた気がした。
近くに寝ているはずの叔母の姿もなかった。
私はガウンを羽織り、おくるみに我が子を包んで外に出た。
朝のさわやかで、ひんやりとした風が頬を冷やした。
我が子に風が当たらないように、ぎゅっと抱いた。
土と石の階段を一段ずつ上がる。
そして、三人の人影が見えた。
私はその姿に、言葉を失った。
叔母の後ろすがたの奥に、剣を交えた二人の男性の姿があった。
一人は白銀の髪で大きな体、そしてもう一人は金色の髪をなびかせていた。
「な……、なんで……」
叔母が振り返った。
「気づいたか……。里は空気が乾燥してるからな……。
リュージンがマティアスに決闘を申し込んだ。
彼も受けた。
だから、私が立会人になった。
どちらかが、『参りました』と言わない限り、終わらない。
または命を落とさないかぎりな……」
「そんな!」
叔母が首を振った。
「二人とも納得の上だ。
私たちは見守ることしかできないよ」
「どうして、こんなこと……」
「ふんぎゃ、ふんぎゃ……」
その時、エイルが目を覚まし、ぐずり始めた。
叔母がため息をついて、目を細めた。
そして、無言で手を広げた。
「オリビアは帰れと言っても聞かないだろうから……。
私が抱っこする。
その代わり、二人の決闘を見届けるんだ」
「見届ける……?」
「そうだ。
その覚悟はあるか……?」
――覚悟……?
私は叔母と後ろの二人とを行ったり来たり目線で追った。
叔母はエイルを抱っこして、私の後方に下がった。
リュージンは高所に慣れていて、息を切らさず、そのひと振りはとても重かった。
マティアス様は息が切れて、とても苦しそうに構えた。
カキーン!と剣同士が交わり、ギリギリと嫌な音をさせた。
マティアス様は文官でも、剣の稽古は欠かさなかった。
それでも、リュージンの剣さばきは素人目から見ても、一段上をいっていた。
私は汗で滑る手を力いっぱい握った。
剣は離れたが、マティアス様はバランスを崩し尻もちを着いた。
そして、リュージンが後方に下がったと思ったら、勢いよく走りだし、高くジャンプした。
マティアス様の肩が上下に揺れ、立ち上がれなかった。
――気が付けば、私は土を蹴り上げていた。
「オリビア! ダメだ!」
叔母の制止の声も、どこか遠くに聞こえ、私は目の前の金色の髪を抱きしめていた。
ですが、もう王都に戻ることはできません。
エイルは里の神に選ばれて、生を受けることができました。
里の人にも多くの愛をもらって、
この子は里の子としてここで育てていきたいんです。
マティアス様のやさしさ、ここまで来てくださったこと、
エイルが大きくなったら必ず伝えます。
だから、どうか……」
私は握った指に力を込めた。
「王都には、マティアス様を待っている方がたくさんいます。
その方々のためにも、どうか戻ってください……」
――もう涙は流さないと決めた。
指の色が白くなる程力を入れていた。
そっと、冷たくなった指先にぬくもりが添えられた。
大きく、温かい手だった。
「わかった……」
上を向くと、マティアス様は微笑んでいた。
そして、ポンと頭を撫でられた。
「困らせて、すまなかった……」
マティアス様は前を向き、里を見下ろした。
「ここはいい里だね。
とても人が温かい。
ここで育てられたら、エイルも心配いらないね。
そうだ……」
マティアス様のぬくもりが離れて、何かズボンのポケットに手を入れた。
そして何か小さい棒のようなものを取り出した。
それは、紺色の艶のあるもので、金色の何か名前のようなものが記されていた。
マティアス……と。
胸がチクリとした。
そして、その万年筆を私に差し出した。
「えっ……?」
私は瞳を大きく開き、マティアス様を見た。
「これをエイルに……」
私は、万年筆を受け取った。
それは年季の入ったもので、私も一度だけ使ったことのある万年筆。
マティアス様が一番大事にしているもので、大切な人からもらったもの……。
――それをエイルに?
「……これは、私が学院に入学したときに父からもらったものなんだ」
私は力が抜けて、だらしなく口を開けた。
「お父様の……? でも、エステル様の……」
私はハッとして、口を手で押さえた。
マティアス様がじっと私をみて、時が止まった。
そして、ふっと笑って下を向いた。
「エステル嬢から、聞いたんだね。確かに、似たような万年筆もらった。
でも、気持ちは受け取れないと、彼女の兄にそっと返してもらったんだ。
だから、この万年筆は正真正銘、父からの物だ……」
――そんな……。
マティアス様が立ち上がった。
そして、手を差し出した。
「時間をくれてありがとう。
エイルのところに戻ろうか……」
私はその手を眺めて、手を乗せた。
エイルの家まで、彼の背中を眺めて歩いた。
どうしていいか分からず、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
決めたはずなのに……。
ここで育てると……。
どうして、彼を目の前にすると簡単に揺らいでしまうのだろう。
私は唇をかんだ。
家に戻ると、エイルがおなかをすかせて待っていた。
私は慣れた仕草で、我が子に母乳を与えた。
一か月で、シルバーグレーの髪の毛はだいぶ伸びた。
瞳の色もマティアス様と同じ色なのだと分かった。
あの子がもっと大きくなったら、あの万年筆をエイルにあげる。
唯一、父親を感じられる物として……。
◇◇◇
カキーン! カキーン!
早朝に硬いものがぶつかる音が響き、目を覚ました。
そして、男性の声も聞こえた気がした。
近くに寝ているはずの叔母の姿もなかった。
私はガウンを羽織り、おくるみに我が子を包んで外に出た。
朝のさわやかで、ひんやりとした風が頬を冷やした。
我が子に風が当たらないように、ぎゅっと抱いた。
土と石の階段を一段ずつ上がる。
そして、三人の人影が見えた。
私はその姿に、言葉を失った。
叔母の後ろすがたの奥に、剣を交えた二人の男性の姿があった。
一人は白銀の髪で大きな体、そしてもう一人は金色の髪をなびかせていた。
「な……、なんで……」
叔母が振り返った。
「気づいたか……。里は空気が乾燥してるからな……。
リュージンがマティアスに決闘を申し込んだ。
彼も受けた。
だから、私が立会人になった。
どちらかが、『参りました』と言わない限り、終わらない。
または命を落とさないかぎりな……」
「そんな!」
叔母が首を振った。
「二人とも納得の上だ。
私たちは見守ることしかできないよ」
「どうして、こんなこと……」
「ふんぎゃ、ふんぎゃ……」
その時、エイルが目を覚まし、ぐずり始めた。
叔母がため息をついて、目を細めた。
そして、無言で手を広げた。
「オリビアは帰れと言っても聞かないだろうから……。
私が抱っこする。
その代わり、二人の決闘を見届けるんだ」
「見届ける……?」
「そうだ。
その覚悟はあるか……?」
――覚悟……?
私は叔母と後ろの二人とを行ったり来たり目線で追った。
叔母はエイルを抱っこして、私の後方に下がった。
リュージンは高所に慣れていて、息を切らさず、そのひと振りはとても重かった。
マティアス様は息が切れて、とても苦しそうに構えた。
カキーン!と剣同士が交わり、ギリギリと嫌な音をさせた。
マティアス様は文官でも、剣の稽古は欠かさなかった。
それでも、リュージンの剣さばきは素人目から見ても、一段上をいっていた。
私は汗で滑る手を力いっぱい握った。
剣は離れたが、マティアス様はバランスを崩し尻もちを着いた。
そして、リュージンが後方に下がったと思ったら、勢いよく走りだし、高くジャンプした。
マティアス様の肩が上下に揺れ、立ち上がれなかった。
――気が付けば、私は土を蹴り上げていた。
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