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電話
しおりを挟むその電話が来た時、俺は昼飯を終えてちょうど事務所に戻り、雑居ビルのエレベータのボタンを押そうとしていたところだった。スマートフォンが鳴っていつものように取り出し、着信の名前を見て、思わず眉を寄せる。
あぁ、もう一年か。
面倒は忘れた頃にやってくるもんだ。
先ほど食べた中辛カレーが気道を塞いだ気がして、思わず胸を叩いた。
「山崎さん?」
エレベータの扉を手で押さえて南野が怪訝そうにこちらを見る。奴が腕に抱えた書類が落ちそうになって、俺は手を伸ばして支えてやり、スマートフォンを示した。
「先に行け。ちょっと野暮用」
「えぇ……」
不審そうな南野に手を振って、探偵事務所が入っているビルから出た。今日は薄曇り。今の気分に相応しい空を睨み上げて、いまだに鳴っているスマートフォンを開いた。
「はい」
『あぁ山崎さん? お久しぶりです、かみ――』
「まだ一年経ってねぇよ、神谷橋」
調子のいい声を遮って思い切り不機嫌に告げる。空いている手で懐の煙草を探り、一本、引き抜いた。
「一年は連絡を寄越さねぇって約束しただろうが」
『えぇ? でも、一年経って――』
「あと四時間はあるだろう。それくらい待てねぇのかよ」
電話の向こうは一瞬、沈黙した。くわえた煙草に火を付ける。真っ昼間のオフィス街。周囲の人々が向けてきた迷惑そうな視線に気づき、近くの地下駐車場に向かってぶらぶらと歩き出した。
電話の向こうでかすかな笑い声。
『怖いなぁ山崎さん。やっぱりあなた、単なる探偵じゃないでしょ? あなたはちゃんとした探偵だってみんな言うけど、どうしても信じられないんですよ』
「勝手に思ってろよ。俺にはどうでもいい」
かなり剣呑な顔をしているんだろう。
昼休みを終えたと思しきOLが逃げるようにして脇をすり抜けていった。
「単なる探偵じゃなきゃ何だってんだ? 俺のこと調べてあるんだろ? 前科でもあったかよ」
『その物言い、懐かしいなぁ。自暴自棄になった時、山崎さんの言葉遣いが懐かしくなるんですよ。なんか目茶苦茶に詰ってくれそうじゃないですか? あ、前科はないんですね。ただ何人かの刑事はあなたのことを快く思ってなかったようですけど?』
「刑事が探偵を良く思ったらお終いだろうが」
『あ、まぁ、そうっすねー』
相変わらず調子のいいヤツだ。薄暗い地下駐車場に入って、人目のないところを探す。変なところに行くと電波が入らなくなるな。
「なぁ、神谷橋」
くわえていた煙草を下ろし、壁により掛かった。
少々、かび臭い。
『なんですか? とうとう話してくれる気になりました?』
「一度、ふたりで会わねぇか?」
『え? 俺と山崎さんのふたりで、ってことですか? あー、それは怖いなぁ。山崎さん、けっこう手、早いでしょ。殴られそうで怖いなぁ。殴られてあげるから黙ってるかわりにインタビューってのは駄目ですか? もちろん、独占で』
軽い調子が癪に障る。
「!」
思わずかっとして口を開いたが、激情を飲み込み、震える手を壁に押しつける。
ざらつくコンクリートの壁。
冷たい壁に爪を立て、いつもの声を装った。
「そんな冷たいこと言うなよ。今から直接、お前の所へ行ってやっても良いんだぜ? ネタの持ち込み先を変えたって言うじゃないか、神谷橋。お前のことなら何でも調べてあるんだよ。住所、家族関係、交友関係、恋人、嗜好、趣味。なんだったら恋人の名前、全部上げてやろうか?」
煙草をくわえ、手のひらの汗をシャツで拭い、懐から取り出した手帳を開く。
電話の向こうはずいぶんと長く沈黙した。
やがて聞こえてきた声は低く脅しつけるような声だった。
『……山崎さん、あんた、自分の立場、まったくわかってないね』
「わかってるさ神谷橋。てめぇだって叩いたら埃が出ることくらい、わかってんだよ。この会話、録音してるんだろ? お前のやったこと、全部上げてやろうか? 俺が探偵だって事、忘れてるわけじゃねぇよな」
『――――』
「神谷橋、もう二度と俺に連絡をしてくるな。南野にも近付くな。もちろん、あいつの家族にも、だ。お前が今までやってきた悪行を暴かれたくなけりゃ大人しく芸能人のスキャンダルでも追ってるんだな」
『……山崎、てめぇ』
「本性が出たな。あぁ、それでこそフリーのジャーナリストだよ、神谷橋。いいか、忘れるな。俺はてめぇのことを調べ尽くしてる、お前の生活のそれこそ全て、だ」
言いながら覗き込んだ手帳には、この二ヶ月で気に入った店の名前が並んでいる。
神谷橋の名など一つもない。
それ以前に、俺はこいつの名前さえ、知らなかった。
……はったりも使えなきゃ一人前の探偵とは言えないって、そういやぁ、所長に言われたっけな。三年くらい前に。
手帳を閉じた。
『……覚えてろよ』
意外と底が浅いヤツだ。具体的なことを一つも並べていないのにありきたりな言葉を吐き捨てて、神谷橋は電話を切った。俺はため息を零しながらスマートフォンを閉じる。
年に二三回、こういった手合いから電話が来る。
いわゆるフリージャーナリスト。
売れる記事を書くためには手段をいとわない奴ら。
南野に知られずに処理するのは面倒だが、なぜか奴らは南野じゃなく、俺に連絡を寄越すからやりやすいと言えばやりやすいが。
どうして奴らは放っておいてくれないんだろう? 人殺しは一生、更生しないとでも思ってるんだろうか? 人を殺したことを一時も忘れずに生きていけっていうのか? 幸せになることを許さないとでも……?
そりゃ逃げて罪を償っていなければ問題だろうが、南野はきちんと罪を償って、ここに居る。逃げも隠れもする必要はない。だが奴らは執拗に南野を追いかけ回し、ヤツの被害者でもある俺にもちょっかいを出してくる。
煙草を壁に押しつけて消した。
奴が出所した晩、縋るように強い力で掴んできた腕がわずかに疼く。その腕――左の二の腕を自分で掴んで、俺は冷たい壁に頭を押しつけた。
やりきれなかった。
理由はわからない、ただやりきれなくて苛立たしくて、ざらついた壁に強く拳を押しつけた。壁が手を傷つけたことがわかったが、痛む箇所をさらに押しつけ、刺すような痛みを奥歯できつく強く噛みしめた。
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