虹色アゲハ【完結】

よつば猫

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ジャコウアゲハ1

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「いらっしゃいませ、田中専務。
今日は突然、どうされたんですか?」

「いや揚羽ちゃんを驚かそうと思って、サプライズしたんだよ」

「そうなんですかっ?
もぉ、やられました。すっごく嬉しいですっ」

「良かった良かった。
今日は後で若いのも来るから、よろしく頼むね。
あ、僕には負けるけどいい男だから、浮気しちゃ駄目だよ~」

「やだ、私が田中専務の事大好きなの知ってて、そんな事言うんですかぁ?」

「ははは、一本取られたなっ」

 田中専務とは、揚羽の表の仕事である高級ラウンジの指名客で。
後で来る男とはゴルフコンペで知り合ったらしく、それを機に、田中の物産会社で大量注文してくれたそうで……
以来、懇意にしているとの事だった。


「おお来た来た、久保井くん!
先に始めさせてもらってるよ」
そう手を挙げる、田中の視線の先を……

 目にした途端。
揚羽の心臓はドクン!と弾けて、ぶわりと騒めき始める。

「いえもう全然っ、遅くなってすみません」

 その声は……
久保井という名は……

 そしてそのミステリアスな、シャム猫のような風貌は……
あの頃より大人びてはいたものの、当時の面影をありありと残していて。

 そう、それはまさしく。
揚羽を絶望に陥れた、かつての少年だった。


「揚羽ちゃん、言った通り僕の次にいい男だろ?」
その声かけで。
釘付けになってた揚羽は、ハッと我にかえる。

「はい、本当に。
思わず見惚れてしまいました」

「ええっ、浮気しないんじゃなかったのっ?」

「もぉ専務ったら、ヤキモチ妬いて欲しかったんですよ?」

「ははは、また一本取られたなぁ」

 ボタニカルカフェで、この男がいると勘違いしたワンクッションを挟まなければ、動揺を隠せなかっただろうと。
ヒヤリとする揚羽。

 その間、新人ホステスの柑愛かんなが、久保井の水割りを用意して……
乾杯を済ますと。

「久保井くん、彼女が僕のハニーの揚羽ちゃん。
べっぴんさんだろ?」
すぐにそう紹介された。

 この男は私に気付くだろうか?
鼓動を暴走させながら、恐る恐る視線を向けた揚羽は……
目が合った瞬間、不可抗力に心臓が止まる。

 ところが。

「はじめまして、久保井仁希くぼいまさきです。
本当に綺麗な方でびっくりしました」

 何の機微もない様子で、くしゃっと八重歯を覗かせて笑う姿に……
その懐かしくて残酷すぎる笑顔に……

 この男、私に微塵も気付いてない。

 名刺とともに挨拶を返しながら、胸が容赦なく切り裂かれる。

 確かに、あの頃とはだいぶ雰囲気も違うし、化粧も派手に施してる。
でも声は変わらないし。
あんなに何年も過ごして、あそこまで私を追い込んで……
なのに気付きもしないなんて!

 復讐するなら、気付かれていない方が都合いいに決まってた。
だけど揚羽は、ショックで深追いせずにはいられなかった。

 会話が盛り上がってくると、早速。

「久保井さんも、女の子たくさん泣かせてきたんじゃないですかっ?」

「いえそんなっ……
僕なんか田中専務の足下にも及びませんよ」

「おいおい、まいったなぁ」

「モテる男は罪ですね。
2人とも、いったいどんな悪さしてきたんですかぁ?」
危険な男に惹かれる素振りでそう訊くと。

 田中に続いて、待ち構えていた久保井の答えが明かされる。

「僕はよく、待ち合わせすっぽかしたりとか?」

 よく……
その言葉から、同じような手口で何人も騙してきた事がうかがえた。

「ええ~、すっぽかされた女の子たち可哀想。
騙されてるとも知らずに……
冬だったら凍てつく寒さの中で、何日も何日も待ってたかもしれないのに」

 会話に出てもない、騙すという言葉で挑発しながらも……
口にした、不安で心細くて辛かった日々が脳裏をよぎる。

 すると久保井はきょとんと固まって。
「そんな馬鹿な子いるっ?」と吹き出した。

 許せない。

 あの時の自分が笑い者されて、周りが盛り上がる中。
揚羽の胸は激しく抉られる。


 本当は、心のどこかで信じていたのだ。
いつか再会した時、誤解だと事情が明かされるんじゃないかとか。
やっぱり詐欺でも、今は懺悔の念に苦しんでるんじゃないかとか。

 そんな、潜んでた最後の希望が無残にも打ち砕かれる。

 しかも久保井の名は……
義父に付けられた通称だという、あの頃の名前と同じで。
本名にしろ詐欺名にしろ、あまりに無防備で舐めきってると、新たな怒りが込み上げる。

 どうりで私に気付かないワケだ……
この男はそれほど、人を軽んじて罪を軽んじて、大勢騙してきたんだろう。

 揚羽は悔しくて悔しくて、泣き崩れそうなほど悔しくて。
狂いそうなほど憎らしくて……
それらを必死にお酒で誤魔化した。



 仕事が終わると、揚羽は逃げるように倫太郎の家に押しかけた。

「ねぇ今日も泊めてぇ~?」

「酒くさっ……
アンタ酔ってんの?」

「そうヤな客が来てさ~」

「だからって珍しいな……
そんなヤな奴?」

「……そ。
殺したいくらいにね……」

「はっ?」

 ぼそりと吐き出された言葉に耳を疑って、聞き返した直後。
靴を脱ぎ終えた揚羽が、よろけて転けそうになる。

「おい大丈夫かっ?」
すかさず倫太郎が支えた、次の瞬間。

 揚羽はその胸にぎゅっと縋り付き。
倫太郎は心臓が止まる思いで目を見開いた。


 無意識のうちに、倫太郎が拠り所になっていた揚羽は……
遣り切れない感情とアルコールに侵されて、思わず甘えてしまったのだ。

 そして倫太郎は……
抱きしめたくても出来なかった存在が、触れることすらままならない存在が、自分にしがみついてる現実に。
鼓動を高鳴らせながら、ぎゅっと抱き返そうとして……
その手を止めた。

 でも抱きしめたくて。
抱きしめずにはいられなくて。
だけどバディじゃいられなくなりそうで……
ぐっと拳を握って、必死にその衝動を押し殺した。

 途端、バクバクいってる胸の音が今さら恥ずかしくなった倫太郎は……

「飲み過ぎだろっ。
水持ってくるからソファ座ってろよ」
バッと揚羽を引き離して、キッチンに向かった。

 私、なにやってんだろ……
取り残された揚羽は、酔いながらも我に返って。
急に恥ずかしくなったと同時、倫太郎の拒絶にショックを受ける。

「ねぇタクシー呼んで。
店に忘れ物したみたい」
いたたまれなくなって。
だけどこんな気持ちのまま家に1人でいられなくて、そう嘘をついた。

 本当はすぐにでも飛び出して行きたかったが……
そんな事をしたら、心配して追っかけてくるに決まってて。
余計惨めなうえに、GPSを切るのも不自然なため、そんな嘘をつくしかなかったのだ。

「は?
だったら送ってやるよ」

「今さら心配?
やめてよ、誰かに見られたらどうすんの」

 そう、どこで情報が漏れるとも限らない。
赤詐欺を狙う以上、男の影を匂わすわけにはいかないのだ。



 そうして、タクシーを店のビルまで走らせると。
そこから近くにある公園に、ふらふら足を伸ばして……
ベンチに腰を下ろした。

 ふいに。
行き場のない激情が、ぶわっと涙になって溢れ出す。

 久保井の事で酷くダメージを受けてた心に、倫太郎から拒絶されたダメージも重なって……
それをアルコールが助長していた。

 その時。
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