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Karte.4 児童精神医学の可不可-他人

児童精神医学の可不可-他人 16

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 春名は、ICUのベッドに眠る仁の傍で、片時も離れず、付き添っていた。
 白い包帯だらけの痛々しい姿に映るものは、怒りと後悔、そして、心配の三つ、だけである。
 心電図の波形と血圧、脈拍、呼吸数……。それらと共に、長い時間、仁の眠りを見守っていた。その肩に、ポン、と誰かの手が乗った。
「春名先生、彼はもう大丈夫ですよ」
 と、白衣姿の医師が言葉を向ける。
「大丈夫……だと?」
 春名はその言葉を聞いて、振り返った。今まで抑えて来た憤りが、その言葉で一気に爆発してしまったのかも、知れない。
「どこが大丈夫だと言うんだっ! 仁くんが――彼がどんな目に遭ったか――。彼がどれほど傷ついたか! この子は誰よりも繊細で傷つきやすい子なんだ! 俺が見つけた時は言葉すら混乱して、放心状態で――。それのどこが大丈夫だと言うんだっ! 言え! 言ってみろっ!」
「はっ、春名先生……っ!」
 つかみ掛かられた医師が、目を瞠って後ずさる。普段の春名からは想像もつかない取り乱しようだったこともあるし、彼がそんな風に我を失ってしまうなど、想像もしていなかったのだろう。
 もちろん、春名自身も……。
「あ……。すみません、三原先生。私の方が混乱している……」
 と、医師の襟にかけた指を解き、心を制して、頭を下げる。
 他人に八つ当たりをしたところで、どうしようもないことくらい、解っているというのに――。
「――む、無理もありませんよ。私の専門は身体の傷だけですからね。言葉の配慮が欠けていました」
 三原医師が、襟を正しながら、恐る恐る口を開く。
「もう大丈夫です……」
「ICUを出た後はどうしますか?」
 仁を垣間見ての問いかけであった。
 ICUを出た後……。
「私の病棟へ……」
「手配しますよ」
 そう言って、三原医師は、ICUから姿を消した。
 その背中を見送ると、仁が細かく瞼を震わせた。春名の大声に、目を醒ましたのかも知れない。
「仁くん……。もう大丈夫だ。心配は要らない」
 穏やかな眼差しで、言葉を向けると、
「セン……セ……」
 仁が薄く唇を開いた。
「まだ喋れる状態じゃない。何も言わなくてもいいんだ」
「来た……」
「仁くん。喋らなくてもいい。落ち着いたら話を聞く。三原先生の話では、身体に障害は残らないそうだ。安心して休むといい」
 春名は不安を解くように、言葉を続けた。
 だが、仁はそれを聞かず、まだ何か言いたげに、口を開く。
「来た……。彼……ブライ……」
「仁くん、まだ無理だと――」
「聞いて……。センセ……」
 すがるような瞳が、持ち上がった。
 多分、それを口にするまで納得しない、のだろう。
 その懸命さに、春名は考えるように呼吸を置いた。
「……。ゆっくりでいい。無理をしないように話してくれ」
 やっと、自分の言葉を伝えられる安堵からか、仁が緩やかに一度、瞬きをする。


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