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Karte.10 天才児の可不可―孤独

天才児の可不可―孤独 15

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 明るい窓と、柔らかい色調の壁紙、パステルカラーの柔らかいソファ、狭すぎず、広すぎずのメンタルケアを行う部屋には、リラックスできる雰囲気があった。
 普通、医者と話をする部屋には、一昔前のスチールの机や、部屋の隅に置かれた箱庭、向かい合わせの椅子――そんな人を黙らせるだけのものばかりが置いてあって……ここがどんなに喋り易く作られた部屋であるかなど、ロージーは知りもしなかったのだが。
「――でね、カイルはぁ、ケヴィンのソロモンのことを気にしていたの。――あ、ソロモンって言うのは、ケヴィンの飼ってる猫なんだけど、最近ずっと、猫のことを考えてたのよ」
 確かにカイルは、よく猫のことを考えていた。――いや、猫をおびき寄せ、殺している人間のことを。
 だからこそロージーも、先手を打つことが出来たのだ。もう少し遅ければ、猫殺しはケヴィンではなく、ロージーがしていることだと確信を持たれていただろう。
 ドクター・ニコルズの話では、暁春には過去に付いた血が視えるらしいが、本人からそんな話は聞いたことがない。多分、他人の気を引くためのデタラメだったに違いない。それでなくとも、レインコートと手袋を身につけて猫を殺していたロージーの手には、血など付いたことは一度もないのだから。
 もっとも、そのせいで――手袋をしていたせいで手が滑って、地面に叩きつけた時に猫に逃げられてしまったことも数度あったが――。その内の一匹が校庭で死んでいた、と知った時は、少々焦った。この学校に猫殺しの犯人がいる、などと騒がれては、いつ自分に疑いが向くかわからないのだから。
 だが、その心配も、無くなった。
 当分、猫を殺すことは出来ないけれども……。
「だから、みんなもカイルが怪しいんじゃないかって言い出して――」
 不思議なことに、春名は相槌を打ったりするだけで、何も訊いたりはしなかった。――いや、訊かれた覚えはロージーにはなかった。ただ、ハッと気付いた時には、何だかとてもたくさんのことを話したような気分になっていた。
「わたし……」
 そんな不思議な感覚に戸惑っていると、
「小指の外側を怪我しているね? 両方――」
 春名の視線が、胸の前で軽く合わせたロージーの手に注がれた。
 ――あの時――暁春の首を絞めた時、両手で紐を握り締め、強く引き続けていたから、痕や擦り傷が付いたのかも知れない。
 慌てて見えないように隠したが、それが却って不自然だった。
「紐の痕かな?」
 話を聞き尽した後の質問のように、無駄のない簡潔な問いかけだった。
「これは――っ!」
「ああ、落ちついて――。これはただの質問だ」
 形のいい唇に当てられた長い指が、刹那ドアに向けられた視線と共に、緊張感を煽る。
 ――何も、慌てて言い逃れをする必要はなかったのだ。
 これではまるで、何かの言い訳をしようとしているようで……。
「君は多分、皆の話を聞いただけでなく、カイルが何処に行ったのかを見ていた。――そうだろう?」
 決して、責め立てるような言い方ではなく、かといって、厭らしい猫撫で声でもなく、ただ自然に耳に届いて来るような、優しく、柔らかい問いかけだった。
「……」
 だが、そんな質問には応えられない。応えれば、クラスでのさっきのやり取りに、辻褄の合わない部分が出て来てしまう。
「猫は何も喋らない。何をされても、恨みごと一つ残せない」
「わたしじゃないわ! 猫を殺していたのは、カイルで――」
「彼は、精神科医を『何も出来ない医者』だと言ったよ」
「ほ、ほら、そんなひどいことをいう子だもの――」
「外科医はどんな手術だってやってのけるが、内科医のようには何も知らない。内科医は何でも知っているが、外科医のようには病巣を切れない。――なら、精神科医は? ――君はどう思う?」
「そんなこと……」
 ――第一、そんなことが今回のこの話と、どんな関係があると言うのだろうか。


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