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一夜 聚首歓宴(しゅうしゅかんえん)の盃

一夜 聚首歓宴の盃 15

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「本当だぜ。とんでもない力を持った奴なんだ。きっと、体も冷蔵庫みたいにどっしりとしてて、麻雀牌みたいな丈夫な前歯と、肉切り包丁みたいな鋭い牙を持ってて、爪はパワー・ショベルみたいに何でも掻き出せて、目は自転車のサーチライトみたいにピカピカしてて、足は百科事典よりも重くて丈夫で、その爪の先はスリッパを貫くくらいに尖ってて、肌は大根おろしを作るおろし金みたいにギザギザしてて、髪は天から伸びる稲妻みたいに逆立ってて――」
「あ、あの、舜くん、落ち着いて……」
「オレは落ち着いてる」
 胸を張って、舜は言った。
 この辺り、この少年を見直してもいいかも知れない。――いや、やはり呆れるべきであろうか。
「まぁ……君の想像力の豊かさには感心しますし、私が教えた街にあるもののこともよく覚えていると思いますが……。ちょっと誤解があるような、ないような……。そういうものが、君にとっての怖いものなのですか」
 今回ばかりは、黄帝に同情したい気分である。こういう少年が後継者だというのだから、先が不安だ。
「そいつのことも知ってるのか?」
 舜は訊いた。
「姿はともかく……炎帝イエンディでしょうね」
「炎帝?」
 何故だか、厭な予感のする名前であった。
 炎帝といえば、黄帝と共に、漢民族の祖とされる古代伝説中の帝王の名前である。
「どうやら、君には荷が重すぎる相手のようですね。今回は諦めなさい。本来なら、腕を斬り落とされて泣き帰ってくるなど、親子の縁を切るところですが、私が許しますよ」
「ムッ。誰が泣いて帰って来たんだよっ! オレは、あんたが盗んだ盃を取りに拠っただけなんだ。腕を取られたまま黙ってられるかよ!」
「舜くん。君は自分のことを『ぼく』と呼んだ方が可愛いですし、私も『あんた』と呼ばれるよりは、『お父様』と呼ばれた方が気分がいいものです。それに、あと数千年すれば、君の力でも腕を取り戻せるようになっているかも知れませんよ」
 どうやら、舜の代わりに腕を取り戻しに行ってくれる気は、さらさらないらしい。――いや、それは最初から判っていたことである。ここで、『私が代わりに取り返して来てあげましょう』と言われた日には、天と地が引っ繰り返るくらいのことでは、済まない。
「……希望の持てる助言をありがとーございますっ、お父様!」
「いいえ。親なら子供を勇気づけてあげるのは当然のことですよ」
 完全に弄ばれている。
 だが、舜としては、あと数千年も、右腕なしで過ごすことなど出来ない。その間に、あの腕が狼の餌に変わっていたり、物置の奥で干からびたりしていたら、目も当てられない。
「ものは相談ですが、お父様」
「お願いは聞きませんが、相談にならいつでも乗りますよ」
 いきなり見透かされているところが、辛い。死んでもお願いなんかしてやるものか、という気分になる。
 コホン、と咳払いをし、
「ぼくの翼が、あの時以来使えないままなのですが、あなたに頼まなくても使えるようになる方法はありますかっ」
「おや、翼をどうかしたのですか?」
 ここで、この青年を殴らなかったのが、不思議なくらいである。
「惚けるなよっ! あんたが封印をかけて使えなくしたんじゃないかっ」
 舜は身を乗り出して、訴えた。
「三言で言葉が汚くなるのですから、鶏と同じですね、君は。――ホラ、三歩歩いたら忘れている、というあれです」
「誰が汚くさせてるんだよ……」
 もう怒鳴り返す気力も、ない。
「翼のことなら、君が私の封印を解けるほどの力を身につければ、いつでも使えるようになりますよ。確か、あれは君が川に落ちた時に、罰として使えなくしたのでしたね。期限は二〇〇年でしたか?」
「一〇〇年だよ。勝手に増やすなよ。オレ、翼が使えなきゃ、バスとか車に乗って移動しなきゃならないんだぜ。ここにいる分にはいいけど、街に出たら不便じゃないか」
「それが街での暮らし方ですよ。私の血筋の者でも、私と同じように翼を持っているのは君だけですが、君はそれをいいことに、勝手に飛び回って、川に落ちたんです。流れる水の中に落ちて、自分から抜け出すことなど出来ないでしょう? あの時の君も、今の君も――。本来なら、翼どころか、死んでいても不思議ではない不注意ですよ」
「……」
「学びなさい、舜くん。私が君を自由にしないのは、自由というものがとても重く、辛いものだからです。確かに自由は、あらゆるものを自分の意志で選択できますが、その結果も全て、己の身に降りかかって来るものなのです。善かれ悪しかれ、あらゆる責任が、否も応もなく、全て君の元に――。そして、それから逃げることも許されない。今の君には、とてもその責任の全てを自分一人で負うことなど出来ないでしょう? ――それに、君の翼は、確かに羽ばたくことは出来ませんが、上から下に飛び降りるくらいのことなら、背中から出すだけで、パラシュート代わりに君の動きを助けてくれるはずです。ですから、君は、ここから飛び降りようと、怪我もしていない。私は、君が本当に困るほどの自由は奪っていないはずですよ。もうそれくらいのことは理解できる年のはずですが」
「……翼は要りません」
 結局、舜は一度としてこの青年に勝てたことなどないのである、その正しさでも、力でも……。




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