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九夜 死霊の迷霧(めいむ)
九夜 死霊の迷霧 19
しおりを挟む「それでも、子供を置いて行くなんて……」
一条は、舜の叫びを聞きながら、辛く言った。
たとえ、どんな事情があろうと、あれほどまでに母親を求める幼子を置いて行くなど、許せることではあり得ない。
黄帝がゆうるりと、頬杖を、ついた。
「それは、私にあの子を預けておいては不安だ、ということなのでしょうか?」
「あ……」
一条は、その黄帝の言葉に、目を瞠った。
その青年の元に子供を残して行くことに、母親が不安になるはずもないのだ。彼の側ほど安全で、安心できる場所は、あり得ない。
その玲瓏な青年は、愛した女性の心も、子供の心も守れるほどの人物、なのだ。
「いえ……。ぼくの考え違いでした」
一条は言った。
「よければ、しばらく、舜くんの話相手になってあげてください。成仏できるまでの間で結構ですから」
「これは……」
あれから丸二日以上経って、やっと救助隊と共に、奇峰の岩場に戻った滝は、目の前にあるものを見て、言葉を失くした。
そこには、一条の姿も、あの幼子の姿もなく、すでに白骨化した、人間の骨だけが残っていたのだ。
もちろん、その骨が誰のものであるのかなど、滝には知りようもないことであった。
そして、救助隊に何を訊かれても、
「判りません」
と、応えることしか出来なかった。
もちろん、救助隊は、この辺り一帯と、奇峰の最高峰まで捜索してくれたが、それでも、一条の姿も、あの幼子の姿も、見つからなかった。
そして、その二日後、滝は、日本の一条の家に電話をかけ、一条が一年前から行方不明になっていることを、聞いたのだ。
何日か経って、その白骨死体が一条のものである、と確認され、滝は、信じられない思いで、目を瞠った。
「一条……おまえは、この死体を、俺に見つけてほしかったのか……?」
もう泣く力もないのか、舜は、ひっくひっくと鼻を啜り、ドアの前に蹲っていた。
誰とも口を利かず、食事さえ取らずに、頑固というか、気が強いというか、まだ三つの子供であるというのに、その姿は、哀しすぎるものであった。そして、ある意味では、微笑ましい……。
一条は、その舜を前に、あれからずっと、話しかけていた。――いや、ただ一方的に、色々な想い出話を、続けていた。
子供の頃の話、空想癖の話、そのせいで母親に怒られてしまった時の話、そして、ずっと口に出すことが出来なかった、秘められた想い……。
多分、それほど自分のことを、他人に話したのは、初めてだった。
舜が三つの子供である、ということも忘れて、言葉を選ぶことも、しなかった。
全ての想いを、その場に語り続けていたのだ。
それを、舜が聞いていたかどうかは、判らない。
一条自身、自分がこれほど他人に話せる想い出を持っているなど、今まで知りもしなかったのだ。
フッ、と自嘲のように、鼻を鳴らし、
「おかしいだろ? 生きている間は、滝に自分の想いを伝えることも出来なかったのに、死んだら、相手を殺してでも手に入れよう、なんて、大胆なことを考えて……。生きている間にその覚悟があれば、後悔なんかすることはなかったはずなんだ」
もちろん、その想いを滝に告げていても、後悔していたかも知れないのだが。
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