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十夜 和氏(かし)の璧(へき)

十夜 和氏の璧 10

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「日が暮れた方が動き易いんだ、こっちは」
「は?」
「い、いやっ、何でもないよ! 服はもう乾いたかな――」
 今も昔も、夜に出歩く者は怪しまれる。
 取り繕うようなデューイの言葉は、『魔物』という言葉も忘れさせてしまうほどに、どこか人間じみていた。――いや、彼の場合、少し前まで確かに人間だったのだが。
 とにかく、服はまだ少し湿った感じがするものの、陽が暮れた室内ではこれ以上のことは期待できず、二人は着なれた自分たちの服に、再び着替えた。
「もう行かれるのですか?」
 若飛が訊くと、
「ああ。執念深そうな奴が這い出して来てるからな」
「は?」
 不思議なことばかりを言う人外の少年である。
 そして、青年の方は、と言えば、
「これ、ちょっと預かっておいてくれるかな」
 と、乳白色のきれいな『璧』を、若飛の手のひらに握らせた。
 ぎょくたぐいなど、そう近くで何度も見たことがある訳ではないが、握らされた『璧』は、美しさもさることながら、何も知らない若飛にも、その価値が見て取れるほど、絶世の光沢に包まれていた。恐らく、国宝級の――城だって買えるほどの代物ではないだろうか。
「だっ、駄目です、こんな高価なもの! 傷つけたりしたら――」
「これを傷つけようとする者は近づけないよ、きっと」
「は……?」
 近づけない――。その言葉に、さっき、ぬめりを帯びた澱のような壁に阻まれ、この部屋に近づけなかった時のことを、何を考えるでもなく、思い出していた。
 ――あれは、もしかして勘違いなどではなく、この二人のしていたことだったのだろうか。
 いや、この『璧』の……。
「……いつまで、お預かりすれば良いのですか?」
 落さないように両の手のひらに包み、若飛は訊いた。
「んー……。朝までには戻るけど、起きて待っている必要はないから」
「いえ、それでは――」
「ぼくからのお願いだ」
「……」
 神の如き人外の青年から、お願いだと言われては、従わない訳にはいかない。
「解りました……」
「さっさとしろよ、デューイ! おいて行くぞ」




 ちょっと前までなら、完璧に置いて行かれていたであろうが、あれやこれやあって、この少年も少しは大人になって来ているのである。
 相変わらず、デューイに対して偉そうなところは変わらないが、それでも、以前のように置いて行ったり、面倒をみるのを嫌がったりはしない。――心の中でどう思っていようと。
「こんなことになるんじゃないかと思ったんだ」
 陽はすでに門の向こうに堕ちていて、部屋から出て歩き始めた二人の周囲は、黄昏の柔らかさに包まれていた。
「でも、彼は普通の人間みたいだけど……」
 若飛のことである。
「どうかな。執念深そうなのがも取り憑いてるんじゃ、あいつもどーだか」
「でも、『和氏の璧』は彼を拒まないし」
「本性が目覚めたら判るもんか」
「そうかなァ……。え? あの、舜、二匹って、あの蛇の他にも、まだいるのか?」
 かなり遅れ、舜のその言葉に気付いたデューイが訊くと、背後から、
「失礼ね。その二匹の内の一匹って、私のことじゃないでしょうね? ――魔物のクセに」
 色の白い、少し生意気そうな少女が口を挟んだ。
 さっきまで若飛と一緒にいた少女、素貞である。
 素貞は言うと、舜とデューイの前に回り込み、
「ふーん、あなたたちにも“あれ”の気配が判るんだ。――魔物同士だから?」
「あれはオレたちとは違って、怨霊だ」
「へェ、自分が魔物なのは認めるんだ」
「人間以外の者が魔物なら、オレもこいつもそうだ」
 ちなみに黄帝は化け物だけど――と、舜は心の中で付け足した。
 この辺りは成長していないらしい。
「私も蛇じゃないわよ。魔物でもないけど――。だから、蛇は一匹」
「どーだか。――蛇でも魔物でもない、か」
 ふふ、と、素貞の口元が、楽しそうに持ち上がった。


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