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十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘
十一夜 猩猩の娘 11
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山の中は、香月には庭のようなものだった。
たとえ夜に入り込もうが、迷うことなどなかったし、鳥たちの囀りや、動物たちの足音、息遣い……そんなものを聞いているだけで、安心できた。
木々が鬱蒼と生い茂り、暗い陰が射していようと、怖れることなど何もなかった。
けもの道を外れて、道なき道を進もうと、いつでも渓谷の村の方角は、判っていた。そして、その方角から、耳慣れた足音がついて来ていることも……。
少し木々の開けた場所に来て、香月は休むように足を止めた。
大好きな新夏を殺した自分が、どんな顔をしてその人物を見ればいいのか判らなかったが、山に慣れたその人物が、まだ子供である香月の足に、追いつけなくなることはなさそうだった。
だから、待っていたのだ。
その人物が、香月をどうするために追いかけて来たのか、それを知るために――。
もちろん、行かないでくれ、と引き止めてくれるのではないか、という思いもあった。
香月にとって、その人物はずっと父であり、その人物にとっても、香月はずっと娘であった、と思っていたのだから……。
そう。きっとそうだろう。
彼は、香月を連れ戻しに来たのだ。幼い香月を心配して、一人でこんな遠くにまで来てはいけないと――。
山道を逸れて、木々の合間に迷い込んではいけないと――。
もしかすると、新夏だって本当は死んではいなかったかも知れない。少し気を失っていただけで、あの後すぐに、意識を取り戻したのかも知れない。
きっと、そうだ。そうに違いない。だからこそ彼は、こうして香月を追い駆けて来てくれたのだ。
「行かないでくれ」
「待ってくれ」
「どうか、側にいておくれ。尊い黄帝様の御子姫……」
きっと、そう言うに違いない。
香月は期待に胸を膨らませ、その人物が木々の向こうから姿を現すのを待っていた。
子供だったのだ。
現実からの逃避は、子供なら誰でもしたことだし、悪いことは起こっても、最悪の事態にはならなかった、と目を瞑ることも、香月の歳では当然だった。
何より、香月は、物心つく前からずっと、黄帝の御子として、全ての村の人々に、大切にされて来たのだから……。
ザクッ、と乾いた落ち葉を踏む音がして、その人物が姿を見せた。
朴應欽――。
その表情は、自分を見上げる香月の瞳に、憐れなほどに揺れていた。
だから、こう思ったのだ。
――やっぱり、心配してきてくれたんだ……。
「香月……」
應欽の足が一歩一歩、踏みしめるように香月に近づき、慣れた両手が差し出される。
香月は迷わず、手を伸ばした。
その二つの手がすれ違い、應欽の手が、香月の細い喉を締め上げるなど、夢にも思っていなかったのだから――。
そんな状況になっても、これはまだ何かの間違いで、應欽はすぐに両手を緩め、香月を抱きしめてくれると思っていた。
食い込む指に、息が出来ない苦しさよりも、痛みの方が強かった。
「冗談だよ。新夏は何でもなかった。さあ、戻っておいで」
そんな声を聞いたような気がしたのも、薄れて行く意識の中で、まだ應欽を信じていたから、だろうか。
――よかった、新夏が死んでなくて……。
香月は静かに目を瞑った……。
たとえ夜に入り込もうが、迷うことなどなかったし、鳥たちの囀りや、動物たちの足音、息遣い……そんなものを聞いているだけで、安心できた。
木々が鬱蒼と生い茂り、暗い陰が射していようと、怖れることなど何もなかった。
けもの道を外れて、道なき道を進もうと、いつでも渓谷の村の方角は、判っていた。そして、その方角から、耳慣れた足音がついて来ていることも……。
少し木々の開けた場所に来て、香月は休むように足を止めた。
大好きな新夏を殺した自分が、どんな顔をしてその人物を見ればいいのか判らなかったが、山に慣れたその人物が、まだ子供である香月の足に、追いつけなくなることはなさそうだった。
だから、待っていたのだ。
その人物が、香月をどうするために追いかけて来たのか、それを知るために――。
もちろん、行かないでくれ、と引き止めてくれるのではないか、という思いもあった。
香月にとって、その人物はずっと父であり、その人物にとっても、香月はずっと娘であった、と思っていたのだから……。
そう。きっとそうだろう。
彼は、香月を連れ戻しに来たのだ。幼い香月を心配して、一人でこんな遠くにまで来てはいけないと――。
山道を逸れて、木々の合間に迷い込んではいけないと――。
もしかすると、新夏だって本当は死んではいなかったかも知れない。少し気を失っていただけで、あの後すぐに、意識を取り戻したのかも知れない。
きっと、そうだ。そうに違いない。だからこそ彼は、こうして香月を追い駆けて来てくれたのだ。
「行かないでくれ」
「待ってくれ」
「どうか、側にいておくれ。尊い黄帝様の御子姫……」
きっと、そう言うに違いない。
香月は期待に胸を膨らませ、その人物が木々の向こうから姿を現すのを待っていた。
子供だったのだ。
現実からの逃避は、子供なら誰でもしたことだし、悪いことは起こっても、最悪の事態にはならなかった、と目を瞑ることも、香月の歳では当然だった。
何より、香月は、物心つく前からずっと、黄帝の御子として、全ての村の人々に、大切にされて来たのだから……。
ザクッ、と乾いた落ち葉を踏む音がして、その人物が姿を見せた。
朴應欽――。
その表情は、自分を見上げる香月の瞳に、憐れなほどに揺れていた。
だから、こう思ったのだ。
――やっぱり、心配してきてくれたんだ……。
「香月……」
應欽の足が一歩一歩、踏みしめるように香月に近づき、慣れた両手が差し出される。
香月は迷わず、手を伸ばした。
その二つの手がすれ違い、應欽の手が、香月の細い喉を締め上げるなど、夢にも思っていなかったのだから――。
そんな状況になっても、これはまだ何かの間違いで、應欽はすぐに両手を緩め、香月を抱きしめてくれると思っていた。
食い込む指に、息が出来ない苦しさよりも、痛みの方が強かった。
「冗談だよ。新夏は何でもなかった。さあ、戻っておいで」
そんな声を聞いたような気がしたのも、薄れて行く意識の中で、まだ應欽を信じていたから、だろうか。
――よかった、新夏が死んでなくて……。
香月は静かに目を瞑った……。
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