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十三夜 聖なる叡智(ハギア・ソフィア)
十三夜 聖なる叡智 20
しおりを挟む「チビ!」
炎帝の姿を追う舜の耳に、索冥の声が駆け抜けた。
振り返ると、血を失い、カラカラに乾いて行くデューイの亡き骸が見て取れた。それはまさしく刹那のことで、早送りのVTRを見るように枯れ木のように水分を失くし、ボロボロと崩れて形を失くした。それだけではない。瞬く間に灰のように細かくなり、一族の最後を表わす形になる。
それが、デューイの最後だった。彼の血は、一滴残らず、今は舜の中にある。
舜に言葉を見つけることは出来なかった。
確かに邪険に扱い、デューイの性癖を嫌ってもいたが、厭な人間でないことは判っていたし、あんなにも誰かに優しくされ続けたことは、舜にとっても初めてだった。底抜けにお人好しで、どんな言葉で表現しようとしても、頭に馬鹿がつくようなおめでたい人間だった。黄帝が彼の帰国を持ち出し、もう別に暮らして行くのだ、と判った時も、それほど寂しいとも思わなかった。
もちろん、「あいつのことだから、すぐに戻って来るだろう」と思っていたのかも知れないし、自分は黄帝に殺されてしまうのだから、その先のことは考えまい、としていただけだったのかも知れない。
だが……。
バラバラに剥がれ落ちた舜の体を掻き集めるデューイの腕が触れ、泣きそうになっているその表情を思い浮かべると、確かに胸が熱くなった。どうしてこの青年は、他人のためにそこまで出来るのだろうか、と辛くなった。
「黄帝! ――お父さま!」
舜は、虚空に向けて、呼びかけた。
「あんたになら何とか出来るんだろ? お父さまなら、こいつを――デューイを助けられるんだろ! 謝るから――。デューイを邪魔ものにしたことも、一度もやさしくしなかったことも――。この先、何があっても逆らったりしないから、デューイを元に戻してください……」
ギュ、っと指を握り締め、今まで口にしたことがない言葉を、口にする。虫が良過ぎることは解っていたが、黄帝ならそんな方法も知っているのではないか、とすがるしかなった。
黄帝の言葉は、返らなかった。代わりに、
「灰になった者は、川に流してやるのが一族の決まりだ。――手を貸してやろう」
炎帝が、灰になったデューイの体を吹き飛ばすように、腕を大きく振り上げる。恐らくその腕の一薙ぎで、床に積もるデューイの灰は、跡形もなく消えてしまうに違いない。
「やめろ――っ!」
舜は炎帝の腕が振り下ろされる前に、デューイの灰の上に被さった。デューイが自分にしてくれたのと同じように、床の上に這いつくばり、急いで灰を掻き集める。
飛ばないように凍らせた方がいいのかとも思ったが、まだデューイを助ける術があるのなら、自分の氷気で殺してしまう訳にはいかなかった。
守護するためだけの『気』を高める。
風が鳴り、炎帝の腕が薙ぎ放たれた。
鋭い刃のように吹きつける風が、床を抱く舜の背中を痛めつける。皮膚を切り裂かれ、肉を削がれる痛みを感じたが、飛ばされてしまう訳にはいかなかった。
背から滴る血の雫が、ぽたぽたと床を染めていく。その背中は余すところなく、紅の血に塗りかえられた。
だが、デューイの灰は飛ぶことなく、護られている。今はもう生命の息吹も何も感じられなくなってしまった、無機質で微細な物質――。温もりのある血の流れは、全て舜の中へと注ぎこまれてしまったのだから。
涙が、零れた。
デューイを失ってしまったことが哀しかった、というよりも、きっと自分が情けなくて涙が出たのだ。
ざわ、と灰が浮かび上がった。
ハッとした刹那、炎帝の二度目の風が斬るように吹きつけ、守護に使う舜の『気』を削り取った。
為す術もなく、デューイの灰が霧散する。
床を抱く舜の元には、何一つ残りもしなかった。
「――!」
名前を呼ぶことすら、出来なかった。
灰すら跡形もなく消えてしまった存在に、空虚な心が入り込む。それは、揺るぐことのない怒りとなった。
黒い瞳が血のように赫く濡れ染まり、目の前の炎帝を睨みつける。
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