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十五夜 穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)の因
十五夜 穆王八駿の因 1
しおりを挟む――舜! もうダメだって、食べちゃ!
――それはきっと悪いモノなんだ。
――聞こえないのか? 舜! 舜……っ!
「ん……」
なんだろうか。
まるで、腐肉のような匂いがする。
すぐ側にのたれ死んだ獣が倒れ、蛆が集っているかのような――。
死の匂いとしか思えないような、悪臭……。
「ん……」
重く貼り付いていた瞼を持ち上げ、舜が最初に見たものは、腐り果てた肉などではなく、甘い香りの立ちこめる桃源郷のような世界だった。
甘い芳香はまるで、桃。
輝くようなきらめきは、舞い落ちる花粉。
人々の顔に笑みは絶えず、立派な家屋敷や整えられた景色の奥に、今年の豊饒が見て取れる。
ここが決して貧しい村などではなく、恐らく、発展を遂げた都市部よりも、豊かで充足に満ちた土地であることは、容易に知れた。
そして舜も、目を醒ます前の腐臭のことなど忘れていた。
「えーと、どこかな、ここは……」
忘れてしまったのは、どうやら匂いのことだけではないらしい。
ここが何処なのか。
どうしてこんな処にいるのか。
いや、それ以前に、自分は何故、こんなところで眠っていたのか……。
朝靄がかかるように頭が晴れず、それはすぐに出そうな答えではなかった。
眩しいほどの白い空と、黄金色に輝く大地。
季節の花々が咲き乱れ、美しさを競うように己の姿を誇っている。
幸い舜は、葉が生い茂り、四方に大きく枝を伸ばす大きな木の下にいたことで、輝かしい陽の光を存分に浴びることはなかったのだが。――いや、葉を茂らせているのは、樹木に巻きつくミツバカズラの方で、枝を伸ばす大木の方には、葉は一枚もついてはいなかった。
実を言うと、この少年、陽の光が苦手なのである。光を浴びたくらいで死ぬようなことはないが、陽光は蒼白い皮膚を痛めつけ、酷い時は焼け爛れる。弱い一族の者なら、朝陽を浴びた途端に焼け崩れ、数秒で灰と化してしまうだろう。
夜の一族の負う宿命の一つである。
吸血鬼――そんな陳腐な名で彼らの一族を呼び表わす者たちもいるだろうが、彼らに最も相応しい言葉は、『死に切れない不遇な人々』という言葉である。
そう。血を啜る不死の化け物ではなく、どれほど飢えと渇きに苛まれようと、死に切れない哀しい生き物なのだ。
そして、その憐れな宿命の代わりに与えられたかのような、神秘的な容貌。
サラサラと瞳にかかる漆黒の髪も、鴉の羽のように色のない瞳も、一線の狂いもない面貌に溶け込み、彼を人ならざる者として裏付けている。
見た目は十七、八歳の少年である。
だが、彼がその見た目通りの年でないことは、ここまで読んでいただいている皆さんは、すでに承知のことだろう。
そして、その少年と共にいるのが――おや、今日はもう一人の姿が見えないようだが……。まあ、困ることもないので、放っておこう。
「――で、ここは一体、どこなんだ?」
辺りを見渡し、舜がもう一度呟くと、
「あの……」
と、大きな樹の後ろから、儚げなほどに色の白い娘が姿を見せた。
娘――その若々しい呼び名には不似合いなほどに影が薄く、ただただ静かな印象の娘だった。
だが、娘の言葉はそれ以上は続かず、舜の存在に気付いた他の娘たちが駆け寄ってきて、
「その娘と関わってはダメ!」
と、一人が舜の手を取って、引っ張った。
無論、他の娘たちも同様に、舜を囲んで、影の薄い少女を睨みつける。まるで、汚らわしいものでも見るかのような視線である。
「えーと……。でも、どうして彼女だけ――」
舜が言い終えるのを待つこともせず、
「あの娘は病持ちなのよ。病気が移ったら大変だわ!」
と、五人の内の一人が言った。
他の娘たちも、うんうん、とうなずく。
どうやら、その娘の色の白さと影の薄さは、抱えている病のせいらしい。
舜に群がる娘たちの言葉を聞いて、病持ちの影薄い少女は、樹の後ろへと姿を隠した。まるで、自分が悪いことをしてしまったかのような、逃げ方だった。
「行きましょう。近づくだけでも移るのよ。話をしたら、危ないわ」
「……」
そうなのだろうか。――いや、舜には恐らく移らないだろう。普通の人間のようにヤワな体ではないのだから。
「さあ、早く――」
両側から絡められる腕が、さっさと樹から離れるように誘導する。
「でも、オレ、多分、大丈夫だし――」
「駄目よ! あなたを介して他のみんなに移るわ。――あなた、この辺の人じゃないみたいだし、寝泊まりするところもないんでしょ?」
「――。それは……」
その通りだが、かといって、彼女を一人除け者にしておくのも……。
いや、それ以前に、一体ここは何処なのだろうか。
取り敢えず、それを聞いてから、また夜にでもあの娘のところに行ってみた方がいいかも知れない。
もちろん、他所者の舜が、この土地のことに必要以上に関わる必要もないのだが。何故か、あの娘のことが気になったのだ。自分を恥じて、逃げるように隠れてしまった、孤独で寂しいあの姿が。
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