上 下
510 / 533
二十夜 眠れる大地(シブ・イル)の淘汰

二十夜 眠れる大地の淘汰 8

しおりを挟む


 目の前には、湖のように広がり、果てしない流域面積であることを知らしめる、自然のままの河があった。冬になるとこの河は凍り、道のようになるという。
 だが、今はまだ澄んだ水が流れていて……。
 夜なので、魚たちも眠っているのかも知れない。水面近くに気配はなかった。
「これしかないだろ」
 舜は川面に向かって、片手を翳した。
「こんな大きな河……」
「取り敢えず今日は、範囲限定だ」
 真っ直ぐ翳した手のひらから、全ての物を凍りつかせる魔氷の気功が放たれる。
 半径五〇メートルほど――。
 凄まじい冷気と、眩しいほどの白い氷気に、川面が少し明るくなったように感じられた。
 一族の中で、これほどの氷気を操れるのは舜だけだが、本来、相性が悪い《流れる水》に使うとなると体力も使う――。
「絶対、氷のフチは割るなよ!」
 凍った川面に立つ前に、こんな念押しもしておかなくてはならないのである。
 川岸から半円形に凍った河に近づき、気功を放って氷を砕く。今度は普通の気功である。
 眠っていた魚たちが、砕けた氷と共に河の底から跳ね上がった。見たこともないような巨大魚である。
「やった! これを皆で繰り返せば、冬越しのための干物も燻製もたくさん出来る!」
 もちろん、永久凍土ツンドラがあるのだから、長期間の保存も利くだろう。
 二人は、試しに凍らせた河の部分から獲れた魚を岸に上げ、全ての氷を砕いて、元通りの河に戻した。
 そして、今日の収穫たる大漁の魚を、あの人口増加の村に持ち帰ったのだった。




「これは、またなんとも……」
 ナウム、という二人に色々な話を聞かせてくれた老人が、持ち帰った魚たちを見て目を丸くした。
 この辺りの河に棲んでいるのは、遊泳能力の高い魚食性の動物食魚で、小魚や水生ネズミを捕食し、それだけではなく共食いもする、という獰猛かつ攻撃性の強いオークニーや、水鳥のヒナは元より、水辺に近づく小型の哺乳類さえも襲うシューカで、村人たちの間では、かなり恐れられているものらしい。猛烈な突進速度と瞬発力は、強力な捕食者の証しである。
 また、繁殖能力も高く、群れで泳ぐために、同じ場所で何匹も釣りあげることが出来る。この辺りでは貴重な食用魚であるが、そうそう釣りあげることが出来ないのも現実なのだ。身は淡白な白身で旨いのだが。
「明日、人手を貸してくれれば、もっと獲って来れる」
 自信満々に、舜は言った。
 取り敢えず、この魚たちで長い冬を乗り切ることが出来れば、来年の春には、新しい土地を探すことも出来る。
「ありがとうございます。何とお礼を言ってよいやら……」
 老人ナウムは、二人を前に頭を下げた。
「この村の人は魚を獲らないのか?」
 舜が訊くと、
「あの化け物のような魚をですか? とんでもない! 河に近づいただけで襲われた村人がどれほどたくさんいることか! 河は猫頭鷹サヴァーと同様、恐ろしい化け物の棲む場所なのです」
 老人は即座に首を振った。そして、自分の言葉に思い出したのか、
「そういえば、猫頭鷹サヴァーに襲われた村人を助けてくださったとか。重ね重ね何とお礼を申し上げてよいやら――」
 と、今にも拝み出しそうに手を擦る。
 なんだかまた気が重くなった。
 この魚たちも、猫頭鷹サヴァーに捕食されかかった村人と同様、ただ自分たちの住処で平和に暮らしていただけだったのだ。
「――舜、魚を運ぶのを手伝った方が」
 巨大な魚を四苦八苦して運ぶ村人たちの姿を目に留めて、デューイがいつも通りの気配りを見せる。
 ――どこまで人がいいんだか……。


しおりを挟む

処理中です...