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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 42

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 こんなに突然、何一つ伝える時間もないままに、全てが消えてしまうなんて……。
 花乃は、有雪はもちろん、白烏さえ消えてしまった家の中で、立つことも出来ずに茫然としていた。
 角端も、花乃に見切りをつけて消えてしまったし、結局、ここに残ったのは、まだ気を失ったまま倒れている新堂猛だけで……。
 こんなことになるのなら、角端に渡された黄玉芝を、有雪に渡したりしなかったのに――。
 いや、またいつもの悪い癖で、自分のことばかり考えてしまう。教祖の娘として、自分中心に過ごして来た日々から、変わりたいと思っていたはずなのに。
 有雪が元の時代に戻れたのなら、誰よりも歓んであげるのが当然なのに。
 それでも、お礼一つ言う時間がなかったことが、辛すぎて――。いや、本当は、そんなことを言いたかったわけではない。もちろん、感謝の気持ちは山ほどあったが、本当に言いたかったのは……。
 伝えたかったのは……。
 ――わかっている。
 違う時代の人間なのだから、結ばれることなどあり得ない。
 それでも……ただ気持ちを伝えたかった。
「馬鹿ね」
 もし、あの時、そんな時間があったとしたら――、言わなくてもいい気持ちを伝えて、有雪を困らせることになっていたかも知れない。
 そんな一方的な花乃の気持ちを伝えられたら――。
 戻らないで、と泣きつかれたら――。
 有雪はきっと帰る機会を失くしただろう。
 だから、これで良かったのだ。
 この別れだけは、全てを仕組んだ誰かに感謝をしてもいいはずだ。
 そんなことを考えていると、
「あ、ここじゃないか? 角端のエラソーな匂いも残ってるし」
『エラソーな匂いなんかしないよ……』
 玄関ドアの向こうから、何やら少年のものらしい声と、聞こえるはずのない誰かの溜息まじりの声が聞こえた。そして――。
 ――角端。
 花乃は、耳に届いたその名前に、急いで立ち上がってドアを開けた。ちなみに、気絶したままの猛の体は跳び越えた。
「……あなたは?」
 目の前に立つ少年に問いかける。
 神秘的な容貌の少年だった。着ているものは普通だったが、漆黒の髪は鴉の濡れ羽のようで、透き通るような肌に嵌めこまれた瞳は、黒曜石のよう――。まるで、夜の精霊のような美しさだった。
「オレは、舜。――おまえだろ、女帝って」
 舜と名乗った少年が言うと、そのすぐ後に、真っ白な髪の、これもまた美しい少年が現れて、
「くそっ! やっぱり勝手に来てたな! おまえが関わるとロクなことにならないんだから、来るなと言っただろ!」
 と、二人して喧嘩を始めてしまう。
 ロクなことにならないとか――すでにもうとんでもない目に遭った後なのだが。
「あの、どういうことなの? 女帝とか、あの角端って言う子供とか……」
 花乃は、未だに解らないままになっている疑問を、喧嘩中の二人に問いかけた。
「なんだ。あいつ、何にも言ってないのか。――よし、ちょうど索冥もいることだし、オレが話してやる。――入ってもいいか?」
 何が『ちょうど』なんだか――いや、説明の細かい部分は索冥に丸投げするつもりで言っているのかも知れない。
『だ、大丈夫かな、舜で……』
 そんなデューイの不安に応えるように、
「……。俺が話す」
 索冥が言った。
「俺と角端は麒麟だ」
「……麒麟?」
「それから、こいつは、おまえと同じ……」
 突然現れた少年たちの説明は、それからしばらく続くことになった。
 そして、仲が良いのか悪いのか、お互いにツッコミ合いながら話をする二人の様子を見て、花乃は帝王について考え始めていた。
 望んでなりたいと思ったわけではないが、花乃に帝王となる機会を与えるために、わざわざ千年余の過去から有雪を呼び、生かしてくれた誰かがいる。
 それなら、少しは前向きに考えてみようか、という気持ちにもなっていた。
「――で、角端が黄玉芝を持ち出したから、絶対、あんたに渡すつもりだと思ったんだ」
 舜、という、こちらも帝王として選ばれずにいる少年が、言った。
「黄玉芝……って、あの不思議な形の茸のこと?」
「なんだ、何も知らずに受け取ったのか?」
 受け取ったどころか、そのまま有雪に渡してしまった。
「あれはなぁ――」
 この後、まだまだこの二人の話は続くことになるのだが、それはまた、いつか機会があれば書くことにして――。
「絶対、今回のことも、黄帝が裏で糸を引いてるに決まってるんだ! 白髪頭の変態男が現れても、迂闊に気を許すんじゃないぞ!」
 帝王未満のよしみとして、舜が教えてくれた情報に少し偏見を感じながら、花乃は自分が早くも立ち直りかけていることを知ったのである。
 ――もしかしたら……有雪さんが、あの黄玉芝を口にしていたら、またこの時代で会うこともあるのかしら。
「いや、知らない奴は、あんな奇妙な茸、食べないだろ」
 そんな舜のツッコミには、笑うことさえ出来ていた……。
 何しろあれは、角端の情け――。「情けは与えてやろう」というその言葉の通り、有雪がこの時代で死んでしまわぬよう、白烏の手に渡るように持たせてやったに違いないものなのだから。
 それは、仁の霊獣である麒麟には、最も相応しい情けであったかも知れない。


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