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XX Ⅰ

XX Ⅰ-28

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《離れ》から本邸に来て、司は柊の部屋を訪れて、いた。
 柊はいつものように、中庭を見渡す大きな窓の側の椅子に、腰掛けている。サングラスを掛ける冷たい面貌も、いつもと何も変わらない。
「あなたがお父さまを殺したんですか、お兄さま?」
 硝子の向こうの庭を見据えて、司は訊いた。曇り空が言わせた言葉だったかも、知れない。
「フッ……。死体でも見つけたか?」
 楽しげに鼻を鳴らしての言葉だった。
「……。ぼくとドクが――ドクター.刄が香港から帰って来た時、お父さまはもう、この屋敷にいなかった。あなたは、お父さまがヨーロッパへ行った、と言った。でも、お父さまはそれ以来ずっと帰って来ず、何の連絡も入らなかった」
「だから、私が殺した、と?」
「……」
「残念だが、私は殺していない。まあ、一年以上音沙汰もなく、どこにも姿を見せないのでは、生きているとも思えないが」
 眉一つ動かすことなく、柊は言った。
「お父さまが合法的な事業だけを扱っていらした訳でないことは、ぼくも知っています。非合法の事業をあなたが任されていることも」
「ああ。将来、十六夜のトップに立つおまえに、それを任せる訳にはいかないからな」
「それが、トンネルの向こうにある、もう一つの《イースター》ですか?」
 くるりと窓から振り返り、司は柊のサングラスの奥の瞳をじっと見据えた。表情の変化を見たかったが、柊の瞳は揺れなかった。
「その通りだ。おまえは表の《イースター》を、私は裏の《イースター》を――。お父様はそう振り分けることで、十六夜のトップに立つことが出来ない私に情けをかけた。だが――。いずれは、その裏の《イースター》をも、おまえに任せる積もりをしていらしただろう」
 十六夜秀隆の心の内を読むように、柊が言った。――と言って、その十六夜秀隆の胸の内に腹を立てている風でもなければ、傷ついている風でもない。むしろ、十六夜秀隆が柊にかけた情けを哀れむような言いようだった。
「ぼくはクリスと――クリストファー・G・グレヴィルと結婚します、お兄さま」
 司は言った。
「ほう。――で、その代わりに、私にトンネルの向こうの《イースター》へ連れて行って欲しいのか?」
 やっと少し表情を変え、柊が頬杖をついて眉を上げる。
「ぼくは《イースター》なんかに興味はない。そこにお父さまがいらっしゃらないのなら行く積もりもない。あなたは、お父さまがこの屋敷を出られた時、側にいらしたはずだ。お父さまを失踪させたのはあなただ、お兄さま」
 厳しい口調で、司は言った。今すぐにでも十六夜秀隆の真意を知りたいというのに――クリスのこともイースターのことも、何もかも問いたいことが山ほどあるというのに、どこにも十六夜秀隆の痕跡がないのだ。もどかしくて、気ばかり急いて、その思いをぶつけずにはいられなかった。
「それくらいにしておくことだ、司。ロード.ウォリックの子息がいる内なら、私が鞭を使わない、と思っているのなら、それはおまえの勘違いだ」
「……」
「私の言うことが信じられないのなら、香港へでも行ってみてはどうだ?」
「香港……?」
「ああ。失踪する前に、お父様は、香港にいたおまえのところに何かメッセージを届けていたかも知れん。私では探せないところに……おまえだけに判る場所に」
 司だけに――。
 司だけに判る場所――。
 父、十六夜秀隆に連れられて巡った、香港のあらゆる場所が脳裏を過った。
 ドアにノックが届いたのは、その時だった。

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