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沙希伶(シャシイリン) ――XX外伝――

沙希伶 ――XX外伝―― 9

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「待ちくたびれて、お腹が空いただろう? ――シャンパンは?」
 濡れた髪にバスローブを羽織る希伶と同じ姿で、菁がシャンパンを持ち上げた。
「いい。――そんなことより、さっさとしないか? ぼくは十五分のショートしかしないんだ」
 幸せそうなシャンパンから目を逸らし、希伶は、自分には似合わないものたちに背中を向けた。
「何だ? 何を怒っているんだ?」
「――。怒ってなんか……っ!」
 まるで、こうして、この豪華な部屋で、同じように豪華な食事を取る彼の相手に、嫉妬をしているような――。
「やりたくないのなら、無理に買わなくても――っ」
 何故、こんな言葉を口走っているのだろうか。
 彼に否定して欲しい、とでも言うように――。そんなことを期待しているのだろうか。
「……無理をしているのは、そっちだろ」
 静かな眼差しで、菁が言った。
「え……?」
「自分は十五分のショートしかしない。部屋に連れ込まれるのはごめんだ。――でも、金も底をついて、この男に買われて言う通りにするしかない。――ガディスで、君の顔にはそう書いてあった」
「それは……」
 全部解っていて、今まで黙っていたというのだろうか。
 だが、今は――。
「違う……」
 今は、そんなことで、素っ気ない口を利いているのではない。
 もっと馬鹿馬鹿しい、嫉妬にも似た感情で――。
「違う?」
 菁の声で繰り返されるその言葉に、希伶は自分の感情を恥じるように、頬を染めた。
 もう、その顔をまともに見上げることすら、出来はしない。
 こんな顔をして、うつむいているだけの自分の姿は、さぞ滑稽に映ることだろう。
 そう考えて、唇を歪めた時――不意に、逞しい腕が、震える体を包み込んだ。
 暖かく、力強い、それだけで安心できる、心地良い腕だ。
 胸の中へと抱き寄せられ、苦しいほどに締め付けられる。
 ――この人は、いつもこんな風に、強い力で抱きしめるのだろうか。
 拒んでも振り解けないほどのその力は、離しはしない、と言われているようで、今までのどんな抱擁よりも、心地良かった。
 唇が重なり、呼吸が出来ないほどに、苦しくなる。気が遠くなるような、キスだった。
 ずっとこうして――意識がなくなるまで、こうしていたかった。
 その希伶の心を知るように、長く続く痺れるキスは、充分な時間をかけて、心を解かした。
 腕が緩み、滑る舌に、バスローブが、落ちる。
 肌に愛撫を受けるのは初めてで、首筋に、肩に、胸に、背中に……受ける口づけに、体が震える。
 考えてみれば、十五分の性急な行為しか、知らないのだ。
 こんな風に愛撫され、撫でまわされるなど、嫌悪だけしか湧き上がらず、我慢できないと思っていた。
 それなのに……。
「や……。あ……っ!」
 堪えていても、声が零れる。
 まだ、官能の中心には触れられてもいないのに、今にも限界を迎えそうなほどに張りつめている。
 やっと指が触れ、
「……十五分経った。――ショートしかしないんだったか?」
 意地の悪い言葉は、さっきの雰囲気を打ち消すもののようで、からかうような視線も混じっていた。
「最低……!」


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