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XX Ⅱ 

XX Ⅱ-15

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 それから、毎週末ではないとはいえ、アンドルゥは司の元へ、当たり前のように顔を見せるようになっていた。
 相変わらず、飄々と謎を匂わせながら、底の知れない危険を連れて――。いや、普段はその片鱗さえ見せず、ただの学生然と振舞って。
 あれ以来、セキュリティコードを使って勝手に侵入して来ることはなかったが――もちろんそれは、司が彼を拒めない、と知っているせいでもあっただろう。拒んだところで、彼ならまた容易く侵入してしまうに違いない。
 冬――。
 来月には司も、臨月に入る。
 さすがに、これだけ腹部が目立って来ると、人前へ出ることも出来ず、今は日本にいるのも難しい。
「今月中にカナダに参りましょう。これ以上は、ジェットでの移動も危なくなります」
「ああ……」
 腹部はもう、正視出来ないほどに大きくなり、胎動は金魚から若鮎に、そして今は鮭の暴れるかのごとく、強いものになっている。
 そして……司の心も砕けそうになっていた。
 恐ろしいのだ。これほどまでに変わってしまった自分の体が。そして、これから迎える出産が。
 だが、クリスが望み、産むと誓った自分がいる。何より、今更どうすることも出来ないほどに、胎児は育ってしまっている。
 二人で話し込んでいると、部屋の内線が来客を告げた。
「誰も通すなと言ったはずだ」
 刄が言うと、
「あの……アンドルゥ様が――」
 と、困ったような使用人の声が返って来た。
「……。今、開ける」
 週末でもないのに――と、司と刄は顔を見合わせ、部屋のロックを解除した。
 少しして、アンドルゥが部屋へと姿を見せた。
「そんなにびっくりしないでください。学生には試験休みも冬休みあるのですから」
 と、少しも変わらない礼儀正しい口調で、悪戯っぽく笑う。そして、
「また大きくなりましたね」
 と、司の前に足を進め、レディにそうするように、キスを贈る。
 ゆったりとした大きなセーターと、その下にサスペンダーの付いたウエストに余裕のあるボトム――それでも知っている者が見れば、腹部の膨らみはすぐに解る。
「三日で変わるわけないだろ」
 憮然とした口調で、司はソファに腰を下ろした。その言葉通り、アンドルゥは先週末にも来たばかりなのだ。
「触ってみてもいいですか?」
「ごめんだ」
「じゃあ、男の子ですか? 女の子ですか? もう判っているのでしょう」
「知らない」
 そう応えてから、
「そうだな……。話してやってもいい。君が全てを話すのなら」
 と、司は、アンドルゥの蒼碧い瞳を見据え返した。
「まだ話していないことがありましたか? 僕は十六夜秀隆氏の失踪については知らないし、僕が出入りしている研究施設は《イースター》などという呼び名でもないし、あなた以外の女性を見たこともないし――。あなた以外の誰にも求婚はしていないし……」
 応えながら司の横に腰を下ろし、
「髪を伸ばせばいいのに……。こんなに黒くて、サラサラして、きっとよく似あうのに」
 と、心地良い手触りの髪を、指でく。
「余計な御世話だ」
「なぜ? ますます女の子みたいに見えるからですか? ……そういえば、クリスも伸ばしていたけど、トルソーに見えることはなかったなァ」
「……」
 のらり、くらりと、何を話していても、すぐに煙に巻かれてしまう。彼の方が数段も上であるというのだろうか。
 そういえば、彼が姿を見せるようになってから、グレアムはぱったりと姿を見せなくなってしまった。あれほどに強い敵意を持ち、司を殺しかねない勢いであったというのに――。もしかすると、それも、このアンドルゥのしたことなのだろうか。
 彼は一体、何者なのだろう。ただの伯爵家の三男坊とは思えない。ただ頭がいいだけの学生とは……。
「ドク、少し疲れた……。お客様を部屋に――」
 司が言いかけると、
「ああ、それなら僕が寝室へ」
 と、アンドルゥが司を支えるように肩を抱き、軽々と腕に抱え上げた。
「アンドルゥ様――!」
 刄は足を踏み出したが、
「――いい。好きにさせてやれ。ぼくが子どもを産むまで何もしないさ、彼は」
 司はもう逆らう気もないように、無抵抗に言った。そして、
「……桂をあまり放っておくな」
 と、言わなくてもいいことまで、言ってしまった。多分、それほどに疲れ、苛立っていたのだ。何もかも思い通りに行かない、この現実に……。


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