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番外編 十六夜過去編
十六夜過去編 6
しおりを挟む司がアラスカから、十六夜の屋敷に戻って来たのは、半月ぶりのことだった。十六夜秀隆と出かけたアラスカは、その氷河藍も極光も、この世の神秘と謳われるほどに美しかった。
司は、旅の疲れも窺わせず、すぐに柊の部屋へと足を向けた。
「おにいさまっ!」
窓際の肘掛椅子に体を預ける柊に、
「ただいま戻りました、おにいさま――」
と、勢いをつけてしがみつく。
「司……。楽しそうで、良かった」
柊は、優しい眼差しでそう言うと、指先で司の表情を読み取るように、ゆっくりとその顔に指を這わせた。愛らしい弟の表情は、屈託のない笑顔に溢れている。
「アラスカは寒かっただろう? オーロラはうまく見れたのか?」
「着いた日の夜に――。おにいさまもごらんになったことがあるのですか?」
その司の言葉に、
「……。昔のことだ。もう忘れた」
柊は口を閉ざすように、話を切った。
「おにいさまは……なぜ、目が見えないのですか?」
それは、幼い子供だからこそ、許される問いかけであったのかも、知れない。
だが、柊は無言だった。そして、司の髪を優しく撫でると、
「――この方が何でもよく視える。目に見えるものに惑わされることもなく、その下にある真実だけが」
「……よくわかりません」
「君が素直で優しい子だということも、この目で視れば、すぐに判る。打算で近づいて来るものも、嘘も、本当も……」
柊は言った。
だが、それは――人の心がすぐに解るというのは、とても哀しいことではないのだろうか。相手が自分をどう見ているかだけで判断して、自分から相手を見る機会を失くしてしまうということは……。
「次は、おにいさまもいっしょに――」
司が言いかけると、
「君から話を聞けば充分だ。――疲れてはいないのか? 帰って来たばかりだろう?」
と、膝の上に抱きあげる。
「いいえ、少しも」
そう言いながら、司は、アラスカの話を柊に聞かせ、程経たずして、そのまま膝の上で眠ってしまった。
話をしながら眠れる、と言うのは、やはり、子供だからなのだろう。もちろん、疲れてもいたに違いない。それでも、一番に柊の元に来て、話を聞かせてくれたのだ。
「司……」
誰かを愛しいと思うなど、あの《イースター》で、母と暮らしていた時以来のことだった。母の優しさと美しさを忘れられず、《イースター》に帰りたいばかりに目を潰し、それから……結局、何も変わってはいない。十六夜秀隆は、この地上の美しいものを、柊に見せることは諦めたが、今はこうして司に見せている。それは恐らく、柊を後継者にすることを諦めて、司に継がせることにしたからだろう……。
「君は《イースター》を知らずに育って、良かったんだ……」
もし、柊のようにあそこで生まれ、美しい母のもとで育ったのなら、この地上での生活など、色あせた、まがい物のようにしか映らなかっただろう。
母、というものが存在しない、この地上での生活など……。
『――お母さま、だって? クスっ! 君の片親はトルソーなのか?』
『違う! トルソーなんかじゃ――』
『どっちにしろ、君はぼくと違って、正式な十六夜と秋塚の子じゃないんだろ?』
『……』
『十六夜が治外法権だからって、いつまでも守ってもらえると思うなよ』
――治外法権……。だから、十六夜は腐っていくのだ……。
柊は、遠い日の記憶を握り潰すように、見えない双眸を、きつく瞑った。
司は、相変わらずスヤスヤと眠っている。いくら軽い子供とはいえ、長く膝に抱いていると疲れもするし、眠っていて体温が高いために、汗もかく。
柊は、司を抱いたまま立ち上がり、奥の続き部屋のベッドに、そっと下ろした。
もう、あれから十年が経ったのだ。あの忌まわしい日から、それだけの歳月が……。
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