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番外編 オックスフォード編

オックスフォード 2

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 今から一八〇年程前、Y染色体を持たない女だけが新種の皮膚癌に侵され、地球上から絶滅した。学者たちは、慌ててその癌の原因を探り、それが有害宇宙線と、人間の作り出した突然変異誘発物質によって引き起こされたDNA障害であることが判った。そして、女たちを有害宇宙線の届かない安全な場所に隔離したが、その新種の癌は恐ろしい速さで転移し、遺伝子治療も追いつかないまま、女は地球上から絶滅した。一度浴びた有害宇宙線は、地下や屋内に潜ってからも、その進行スピードを落とさず、女の体を破壊したのだ。まだ一度も外へ出たことのない赤ん坊さえ、母親から受け継いだ異常遺伝子のために、癌を発症して、呆気なく死んだ。
 そして、この世は、染色体〈XY〉の男だけの世界となり、染色体〈XX〉の女は存在しなくなった。
 もちろん、女の姿形をした者は、いる。それは、女が絶滅したから、といって現れた特種な者ではなく、女がいた頃から存在していた性転換した男たちであった。彼らはトルソーと呼ばれ、上流階級では、未だ受け入れられてはいないが、中流階級以下では、そう珍しくもなく受け入れられている。――いや、問題はある。彼らは男としての生殖機能を捨ててしまうため、子供を造ることが出来ないのだ。
 だから、女ではなく、トルソー――胴体だけのマネキン人形――という名で呼ばれている。
 その中で、階はこの地球上に存在する、唯一の〈XX〉であった。
 グレート・ホールに足を入れると、何人かの見知った顔が目についた。いずれも、イートンからオックスフォードに来た学生である。
「やあ、フェリックス。今日は一人なのか?」
 と、階を見ると声をかけ、隣の席の椅子を引いた。
「後から、アールが来る」
 階が、引かれた椅子に腰を下ろすと、
「ほんと、ずっと仲良いよな、おまえたちは――。てっきり、デキてるのかと思ってたのに、アールが他の奴と婚約するなんて、な」
「え……?」
 何の前触れもなく聞かされた言葉に、階は意味が解らず、戸惑った。
「おい、言いふらすなよ。俺だって、耳に挟んだだけなんだから」
「だけど、おまえの家、ランドール上院議員と繋がりがあるんだろ? そこから聞いた話なら、まず間違いないじゃないか」
「だけど、アールは何も言ってないんだから、これ以上広めるなって――。本人の前で、俺から聞いた、って、絶対、言うなよ」
「解ってるよ」
「……」
 ――アールが、婚約……。
 階に何も言わず、本当に婚約をしたというのだろうか。好きだと――階を好きだと言って、十六夜で階を支えるために、父親に逆らってまで医学部に入ったというのに……。階がはっきりとしない態度だから――いつまで経っても返事をしないから、もう諦めてしまったのだろうか。
 胸の奥が冷たく固まる感触に、階は食事をすることすら、忘れていた。
 勝手な言い草だということは、解っている。誰も選ばない自分の迷いを棚に上げて、こんな時だけ――アールの婚約を喜べないなど……。
 しばらくすると、アールがグレート・ホールへ姿を見せた。もう話題は他のことに変わっていたが、その場の誰もが視線を交わした。
 言うなよ、という念押しだ。
「ごめん、フェリー。待ってなくても、先に食べていればよかったのに」
 まだ手を付けていない昼食を見て、アールが言った。
「あ、うん」
 まさか、食べるのを忘れていた、とも言えない。
「さっき、君が殴った奴、ロンドンの大病院の院長の息子だよ」
 いい気味だ、とでも言うように、アールが言った。
「また殴ったのか、フェリー?」
「一時、大人しくしてたのにな」
 と、からかうような言葉があとに続く。
 そんな雰囲気の中、気がかりを含めて、ランチ・タイムは過ぎて行った……。


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