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番外31.眠り姫は王子様の魔法にかけられる3
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これは、一体誰だろう?
終業後の女子トイレという未知なるゾーンに、鎌田と伊藤にひっぱって連れ込まれた冬夜は、鏡に映る見知らぬ女性の姿に目を見張る。
もしかしなくても、これって俺?という疑問を顔に浮かべ、冬夜を支えるように両脇に立っている鎌田と伊藤と鏡越しに視線を合わせれば、彼女たちは満足げな微笑みを浮かべて、うんうんと頷いていた。
メイクとウィッグの威力は絶大だ。
鏡に映る自分はどこからどう見ても女性にしか見えない。
それでも体形だけはどうにもならないだろうと思っていたのに、上半身にふんわりまとわりつくアイボリーのニットが、華奢ではあるけれども骨格は男のものである冬夜の体のラインを、見事に女性に見せていた。
胸に多少……いやかなりの量の詰め物ははいってはいるけれども。
「お綺麗ですよ!瀬川主任!」
「これなら藤堂さんも惚れ直すこと、間違いなしですぅ」
伊藤さん、それ目的が違うから!と鋭くツッコミを入れながら、それでも冬夜は鏡に映る女性の姿にまんざらでもない思いを抱く。
これならバレない。絶対に。
初対面の女性のふりをして藤堂をからかい、ネタばらしした時の驚く顔を想像するだけで、にまにまとだらしなく表情が崩れてしまう。
締まりのない顔をしている自信があったのに、鏡の中の自分は、頬をピンクに染め、つやつや輝く唇の端をきゅっと持ち上げてかわいらしく微笑んでいた。
鎌田のメイクの腕前は、神レベルですごい。
付け焼刃ではあるが、ヒールのある靴の歩き方や女性らしいしぐさのレクチャーを受けたので、動きもばっちりOKのはずだ。
鏡を覗き込みながら顔にかかる髪をかきあげる自分は、どこからどうみても女性にしか見えなかった。
その後、人けのない金曜定時後の社内で鎌田と伊藤と記念撮影をし、二人に見送られて、本日の仕掛け人仲間の西島と二人でタクシーに乗り込んだ。
藤堂は今日は、N商事の若手商社マンたちとの親睦会に出るため、外出後直帰でダイニングバーにいるという。
遅れて参加予定の西島が、偶然再会した高校時代の元カノ(という設定の冬夜)を連れてダイニングバーに顔を出し、藤堂らと挨拶を交わすというドッキリ企画らしかった。
N商事の商社マンたちにも今回仕掛けるドッキリのことは事前に伝えてあるので、「冬夜の乱入及びネタ晴らしの大騒ぎ」になっても大丈夫そうだ。
どうしよう、わくわくしてきた!とこみ上げる笑いを必死に押さえつけて肩を震わせていると、西島がその様子を見て、「瀬川主任、トイレですか?」と心配そうな顔をこちらに向けた。
怪しい冬夜の様子に不信感を抱いたのか、タクシー運転手とルームミラーごしに目が合う。
冬夜は、いけないいけないと姿勢を正し、背筋をのばして座りなおした。
「あ、足開いてた。パンツ見えちゃう!」と慌てて足を閉じたのはご愛敬だ。
ちなみに、上はブラジャーを着用しているが、下は普通に男物のボクサーパンツだ。
女性ものの下着が用意されていたのだが、それだけはさすがにお断りさせてもらった。ストッキングは問答無用で履かされてしまったが……。
冬夜は鎌田に教えられた通りに膝をくっつけ、足を横に流すようにして女性らしく座りなおした。
西島にエスコートされて入ったダイニングバーは、いかにも若手の商社マンが好みそうな雰囲気で、店内は洒落たBGMと客たちの楽しそうな笑い声で満ちていた。
あの女の子たちが口にしている、カラフルな飲み物は一体なんだろう?
店の奥に案内される途中、通りすがりに女子が囲むテーブルのレインボーカラーのグラスに注目していると、「瀬川さん、こっちです」と西島に軽く腕をひっぱられ、たたらを踏む。
完全おのぼりさん状態なのはわかっていたが、年齢を重ねれば重ねる程こういった店に足を踏み入れることが難しくなるのだから、この珍しい光景をもうちょっと堪能させて欲しい。
せかす西島に、唇を尖らせて恨みがましい視線を送ると、「うっ」と怯む。
「そんなかわいい顔しておねだりしてもダメです!」と、西島が顔を背けて赤い顔で唸った。
鎌田のメイクの威力はすごい。
じっくり見ていたいところだがあまり時間はなさそうなので、あとであのカラフルな飲み物を注文することを決意し、冬夜は西島の後についていった。
店員に「こちらです」と手で示され、衝立で仕切られている奥の席に案内される。
アジアンチックなあの衝立の向こうに藤堂が!と思うと、冬夜の心臓は今にも飛び出しそうなぐらいドキドキと、激しく鼓動を打ち始めた。
ドッキリのネタばらしをしたら、藤堂は一体どんな顔をするだろう。
冬夜はその瞬間を想像しながら、髪は乱れていないだろうか、あきらかに男と露見するようなミスをおかしていないだろうか、とあちこち入念にチェックを入れる。
さあ、いよいよ戦いの火蓋が切って落とされるぞ!と意気込んで足を進めようとしたと同時に、後ろから声をかけられた。
「どうしたんだ西島、こんな所に突っ立って」
藤堂の声だ、と思った瞬間、胸がドキンと跳ね上がる。
突然のことに動揺しすぎて振り向くこともできず、西島が、その場で固まってしまった冬夜を「なにやってるんですか」と言いたげにこっそり肘でつついた。
我に返ると、冬夜は表情筋を駆使してなんとか微笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
「遅れてすみません、藤堂さん。出がけに客先から電話がかかってきちゃって」
自然な様子でさらりと嘘をつく西島に、「うまい!アカデミー賞!」と心で称賛を送りながら、冬夜は「自分だって!」と気合を入れる。
冬夜の意気込んだ気配に気付いたのだろうか。
藤堂が西島に身体を向けながら、ちらりと視線だけをこちらに向けた。
僅かにこちらを見ただけなのに存外に男の視線は強く、まるで獲物をロックオンしたようなそれが妙に男くさくて、いつもと違う様子の藤堂に、冬夜は不覚にもドキリとさせられる。
そうじゃなくて。
ドッキリさせるのは、藤堂じゃなくて!と必死に自分を奮い立たせてみたが、どういうわけか、強張った笑顔を浮かべることしかできなかった。
「問題ない。それより……」
にっこりと、藤堂が冬夜に向けて笑顔を見せた。
「ずいぶんと綺麗な人を連れてるな」
値踏みするように上から下まで冬夜を眺める藤堂の視線に、なんとも言えない羞恥を覚えて居心地悪くみじろいでしまう。
女性はいつも、男のこんな視線にさらされているのだろうか。
この妙な緊張感に耐えられる女性という生き物を、冬夜は心の底から尊敬した。
藤堂が初対面の女性に向ける顔を、冬夜は知らない。
藤堂が女性と自分にだけは笑顔を見せる、というのは社内では有名な話で、何故自分にだけ?と思ったこともあったが、それでも悪い気はしなかった。
それが今、藤堂は冬夜を冬夜だとは知らずに笑顔を向けている。
いたずらが成功したという少しばかりの喜びと、それから不意に湧いて出た不安に苛まれながら、冬夜はそっと顎を上げて藤堂と視線を合わせた。
冬夜に向ける藤堂の視線は優しく、それにほっとすると同時に、ズキンと痛んで胸に刺さる激しい嫉妬の感情に晒される。
知らない女にそんな顔見せるなよ、と言ってしまいそうになり、藤堂の顔を見ていられずにフイと視線を逸らしてしまった。
「あれ?機嫌を損ねちゃっちゃいましたか?」
褒めたんだけどな、と藤堂がくすりと笑う気配が漂い、緊張ですっかり冷えていた冬夜の指先が大きな手に包まれた。
そのまま優しく手を引かれ、視線を藤堂に向けるように促される。
思わず西島を振り返り、「どうしたらいいの?」と目で訴えてみたが、打ち合わせていたはずの「高校の時の同級生で元カノの……」という台詞の助け船は、いくら待っても西島の口からは出てこなかった。
仕方がないので西島にフォローしてもらう事は諦め、藤堂に包まれたままの手を引き抜こうと力を入れたが、握られる力が強くてなかなか離れない。
いきなり初対面の女性の手を強く握るなよ!この女ったらし!
という憤りを表情に乗せ、キッと男の顔を睨み据えると、藤堂が嬉しそうに笑っていた。
かかとのある靴を履いているせいで、いつもよりほんの少しだけ藤堂の顔が近い。
強く拒んでいるのに藤堂は一向に意に介さず、冬夜の手を逃がすまいとさらに強く握ると、そのまま細い指をすくい上げて、男らしいフォルムの唇を押し当てた。
「……っ!!!」
声を出さなかっただけ偉かったと思う。
慣れているはずの男の唇を指先に感じた瞬間、ピリッとした痛みを心に感じて、冬夜はひったくるように藤堂から自分の手を取り戻す。
相手が女装した冬夜だとも知らず、初対面の女性の指先に堂々とキスを贈る男。
この女ったらしの浮気者を、さてどうしてやろうかと考えながら強く睨み上げると、嬉しそうに目を輝かせている男と冬夜の視線が絡まり合った。
この目を、冬夜は知っている。
いつも冬夜をからかって、怒らせて、それから「ごめん」と楽しそうに謝る時の、藤堂の目。
「ダメだ。かわいすぎるよ。もう降参。もうダメ」
藤堂はクスクスと笑いながら、冬夜のゆるく巻いた長い髪に指を伸ばし、軽く弄ぶ。
そのまま長い腕の中に囲い込まれてやさしくハグをされると、いつも通りのそれに「やはり」と確信を抱く。
腕の中からギッと藤堂を睨みつけ、ついでに隣に立った西島も睨みつけると、「うわわわ!睨まないで下さいよ!」と西島が慌てた様子を見せ、半泣きの表情を浮かべた。
「……全部知ってたの?」
憤懣やるせない表情で二人を睨みつけると、藤堂が困ったように眉を下げて冬夜を見る。
「ごめん。企画したの、俺」
「騙したの?俺をからかって、おもしろかった?」
今日騙すのは、冬夜の方だったはずなのに。結局冬夜は藤堂たちにからかわれただけだったのだろうか。
まんまと騙された悔しさに、じんわりと涙が滲む。
「違うよ」
冬夜の心の動きをいとも簡単に察する藤堂は、怒りでうるみ始めた冬夜の目元を、そっと親指でぬぐう。
「怒った?ごめんね。俺が、どうしてもってみんなに頼んだんだ」
その言葉に嘘はない気がした。
でもどうしてわざわざそんなことを?と首を傾げると、藤堂が甘えるように、頭をこつんと冬夜にぶつけてきた。
「かわいい冬夜さんを見たかった。ミニスカサンタもメイドコスも、すごくかわいかったから。でも普通にお願いしても、こんな格好してくれないだろ?だから」
だましてごめん。許して、とこめかみにキスをされ、すとん、と肩の力が抜ける。
結局冬夜は、何をされても最後には藤堂を許してしまうのだ。
女装が見たかっただなんてどうかと思うけど、そこまで執着されていることがうれしいと感じてしまう自分だって、そうとうどうかしてる。
長い腕に抱き寄せられて、本格的にキスをされそうになった所で、「わーっ!二人とも、せめて衝立の向こうに入ってからやって下さいっ!」と西島に背中を押され、強引に椅子に座らされた。
衝立の向こうにはもちろん、N社の商社マンなんて誰もいない。
冬夜の怒りが落ち着いた頃、第二グループメンバーが「ごめんなさい」を言いながら現れ、ドッキリ会場はいつもの飲み会の場所に早変わりした。
終業後の女子トイレという未知なるゾーンに、鎌田と伊藤にひっぱって連れ込まれた冬夜は、鏡に映る見知らぬ女性の姿に目を見張る。
もしかしなくても、これって俺?という疑問を顔に浮かべ、冬夜を支えるように両脇に立っている鎌田と伊藤と鏡越しに視線を合わせれば、彼女たちは満足げな微笑みを浮かべて、うんうんと頷いていた。
メイクとウィッグの威力は絶大だ。
鏡に映る自分はどこからどう見ても女性にしか見えない。
それでも体形だけはどうにもならないだろうと思っていたのに、上半身にふんわりまとわりつくアイボリーのニットが、華奢ではあるけれども骨格は男のものである冬夜の体のラインを、見事に女性に見せていた。
胸に多少……いやかなりの量の詰め物ははいってはいるけれども。
「お綺麗ですよ!瀬川主任!」
「これなら藤堂さんも惚れ直すこと、間違いなしですぅ」
伊藤さん、それ目的が違うから!と鋭くツッコミを入れながら、それでも冬夜は鏡に映る女性の姿にまんざらでもない思いを抱く。
これならバレない。絶対に。
初対面の女性のふりをして藤堂をからかい、ネタばらしした時の驚く顔を想像するだけで、にまにまとだらしなく表情が崩れてしまう。
締まりのない顔をしている自信があったのに、鏡の中の自分は、頬をピンクに染め、つやつや輝く唇の端をきゅっと持ち上げてかわいらしく微笑んでいた。
鎌田のメイクの腕前は、神レベルですごい。
付け焼刃ではあるが、ヒールのある靴の歩き方や女性らしいしぐさのレクチャーを受けたので、動きもばっちりOKのはずだ。
鏡を覗き込みながら顔にかかる髪をかきあげる自分は、どこからどうみても女性にしか見えなかった。
その後、人けのない金曜定時後の社内で鎌田と伊藤と記念撮影をし、二人に見送られて、本日の仕掛け人仲間の西島と二人でタクシーに乗り込んだ。
藤堂は今日は、N商事の若手商社マンたちとの親睦会に出るため、外出後直帰でダイニングバーにいるという。
遅れて参加予定の西島が、偶然再会した高校時代の元カノ(という設定の冬夜)を連れてダイニングバーに顔を出し、藤堂らと挨拶を交わすというドッキリ企画らしかった。
N商事の商社マンたちにも今回仕掛けるドッキリのことは事前に伝えてあるので、「冬夜の乱入及びネタ晴らしの大騒ぎ」になっても大丈夫そうだ。
どうしよう、わくわくしてきた!とこみ上げる笑いを必死に押さえつけて肩を震わせていると、西島がその様子を見て、「瀬川主任、トイレですか?」と心配そうな顔をこちらに向けた。
怪しい冬夜の様子に不信感を抱いたのか、タクシー運転手とルームミラーごしに目が合う。
冬夜は、いけないいけないと姿勢を正し、背筋をのばして座りなおした。
「あ、足開いてた。パンツ見えちゃう!」と慌てて足を閉じたのはご愛敬だ。
ちなみに、上はブラジャーを着用しているが、下は普通に男物のボクサーパンツだ。
女性ものの下着が用意されていたのだが、それだけはさすがにお断りさせてもらった。ストッキングは問答無用で履かされてしまったが……。
冬夜は鎌田に教えられた通りに膝をくっつけ、足を横に流すようにして女性らしく座りなおした。
西島にエスコートされて入ったダイニングバーは、いかにも若手の商社マンが好みそうな雰囲気で、店内は洒落たBGMと客たちの楽しそうな笑い声で満ちていた。
あの女の子たちが口にしている、カラフルな飲み物は一体なんだろう?
店の奥に案内される途中、通りすがりに女子が囲むテーブルのレインボーカラーのグラスに注目していると、「瀬川さん、こっちです」と西島に軽く腕をひっぱられ、たたらを踏む。
完全おのぼりさん状態なのはわかっていたが、年齢を重ねれば重ねる程こういった店に足を踏み入れることが難しくなるのだから、この珍しい光景をもうちょっと堪能させて欲しい。
せかす西島に、唇を尖らせて恨みがましい視線を送ると、「うっ」と怯む。
「そんなかわいい顔しておねだりしてもダメです!」と、西島が顔を背けて赤い顔で唸った。
鎌田のメイクの威力はすごい。
じっくり見ていたいところだがあまり時間はなさそうなので、あとであのカラフルな飲み物を注文することを決意し、冬夜は西島の後についていった。
店員に「こちらです」と手で示され、衝立で仕切られている奥の席に案内される。
アジアンチックなあの衝立の向こうに藤堂が!と思うと、冬夜の心臓は今にも飛び出しそうなぐらいドキドキと、激しく鼓動を打ち始めた。
ドッキリのネタばらしをしたら、藤堂は一体どんな顔をするだろう。
冬夜はその瞬間を想像しながら、髪は乱れていないだろうか、あきらかに男と露見するようなミスをおかしていないだろうか、とあちこち入念にチェックを入れる。
さあ、いよいよ戦いの火蓋が切って落とされるぞ!と意気込んで足を進めようとしたと同時に、後ろから声をかけられた。
「どうしたんだ西島、こんな所に突っ立って」
藤堂の声だ、と思った瞬間、胸がドキンと跳ね上がる。
突然のことに動揺しすぎて振り向くこともできず、西島が、その場で固まってしまった冬夜を「なにやってるんですか」と言いたげにこっそり肘でつついた。
我に返ると、冬夜は表情筋を駆使してなんとか微笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
「遅れてすみません、藤堂さん。出がけに客先から電話がかかってきちゃって」
自然な様子でさらりと嘘をつく西島に、「うまい!アカデミー賞!」と心で称賛を送りながら、冬夜は「自分だって!」と気合を入れる。
冬夜の意気込んだ気配に気付いたのだろうか。
藤堂が西島に身体を向けながら、ちらりと視線だけをこちらに向けた。
僅かにこちらを見ただけなのに存外に男の視線は強く、まるで獲物をロックオンしたようなそれが妙に男くさくて、いつもと違う様子の藤堂に、冬夜は不覚にもドキリとさせられる。
そうじゃなくて。
ドッキリさせるのは、藤堂じゃなくて!と必死に自分を奮い立たせてみたが、どういうわけか、強張った笑顔を浮かべることしかできなかった。
「問題ない。それより……」
にっこりと、藤堂が冬夜に向けて笑顔を見せた。
「ずいぶんと綺麗な人を連れてるな」
値踏みするように上から下まで冬夜を眺める藤堂の視線に、なんとも言えない羞恥を覚えて居心地悪くみじろいでしまう。
女性はいつも、男のこんな視線にさらされているのだろうか。
この妙な緊張感に耐えられる女性という生き物を、冬夜は心の底から尊敬した。
藤堂が初対面の女性に向ける顔を、冬夜は知らない。
藤堂が女性と自分にだけは笑顔を見せる、というのは社内では有名な話で、何故自分にだけ?と思ったこともあったが、それでも悪い気はしなかった。
それが今、藤堂は冬夜を冬夜だとは知らずに笑顔を向けている。
いたずらが成功したという少しばかりの喜びと、それから不意に湧いて出た不安に苛まれながら、冬夜はそっと顎を上げて藤堂と視線を合わせた。
冬夜に向ける藤堂の視線は優しく、それにほっとすると同時に、ズキンと痛んで胸に刺さる激しい嫉妬の感情に晒される。
知らない女にそんな顔見せるなよ、と言ってしまいそうになり、藤堂の顔を見ていられずにフイと視線を逸らしてしまった。
「あれ?機嫌を損ねちゃっちゃいましたか?」
褒めたんだけどな、と藤堂がくすりと笑う気配が漂い、緊張ですっかり冷えていた冬夜の指先が大きな手に包まれた。
そのまま優しく手を引かれ、視線を藤堂に向けるように促される。
思わず西島を振り返り、「どうしたらいいの?」と目で訴えてみたが、打ち合わせていたはずの「高校の時の同級生で元カノの……」という台詞の助け船は、いくら待っても西島の口からは出てこなかった。
仕方がないので西島にフォローしてもらう事は諦め、藤堂に包まれたままの手を引き抜こうと力を入れたが、握られる力が強くてなかなか離れない。
いきなり初対面の女性の手を強く握るなよ!この女ったらし!
という憤りを表情に乗せ、キッと男の顔を睨み据えると、藤堂が嬉しそうに笑っていた。
かかとのある靴を履いているせいで、いつもよりほんの少しだけ藤堂の顔が近い。
強く拒んでいるのに藤堂は一向に意に介さず、冬夜の手を逃がすまいとさらに強く握ると、そのまま細い指をすくい上げて、男らしいフォルムの唇を押し当てた。
「……っ!!!」
声を出さなかっただけ偉かったと思う。
慣れているはずの男の唇を指先に感じた瞬間、ピリッとした痛みを心に感じて、冬夜はひったくるように藤堂から自分の手を取り戻す。
相手が女装した冬夜だとも知らず、初対面の女性の指先に堂々とキスを贈る男。
この女ったらしの浮気者を、さてどうしてやろうかと考えながら強く睨み上げると、嬉しそうに目を輝かせている男と冬夜の視線が絡まり合った。
この目を、冬夜は知っている。
いつも冬夜をからかって、怒らせて、それから「ごめん」と楽しそうに謝る時の、藤堂の目。
「ダメだ。かわいすぎるよ。もう降参。もうダメ」
藤堂はクスクスと笑いながら、冬夜のゆるく巻いた長い髪に指を伸ばし、軽く弄ぶ。
そのまま長い腕の中に囲い込まれてやさしくハグをされると、いつも通りのそれに「やはり」と確信を抱く。
腕の中からギッと藤堂を睨みつけ、ついでに隣に立った西島も睨みつけると、「うわわわ!睨まないで下さいよ!」と西島が慌てた様子を見せ、半泣きの表情を浮かべた。
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憤懣やるせない表情で二人を睨みつけると、藤堂が困ったように眉を下げて冬夜を見る。
「ごめん。企画したの、俺」
「騙したの?俺をからかって、おもしろかった?」
今日騙すのは、冬夜の方だったはずなのに。結局冬夜は藤堂たちにからかわれただけだったのだろうか。
まんまと騙された悔しさに、じんわりと涙が滲む。
「違うよ」
冬夜の心の動きをいとも簡単に察する藤堂は、怒りでうるみ始めた冬夜の目元を、そっと親指でぬぐう。
「怒った?ごめんね。俺が、どうしてもってみんなに頼んだんだ」
その言葉に嘘はない気がした。
でもどうしてわざわざそんなことを?と首を傾げると、藤堂が甘えるように、頭をこつんと冬夜にぶつけてきた。
「かわいい冬夜さんを見たかった。ミニスカサンタもメイドコスも、すごくかわいかったから。でも普通にお願いしても、こんな格好してくれないだろ?だから」
だましてごめん。許して、とこめかみにキスをされ、すとん、と肩の力が抜ける。
結局冬夜は、何をされても最後には藤堂を許してしまうのだ。
女装が見たかっただなんてどうかと思うけど、そこまで執着されていることがうれしいと感じてしまう自分だって、そうとうどうかしてる。
長い腕に抱き寄せられて、本格的にキスをされそうになった所で、「わーっ!二人とも、せめて衝立の向こうに入ってからやって下さいっ!」と西島に背中を押され、強引に椅子に座らされた。
衝立の向こうにはもちろん、N社の商社マンなんて誰もいない。
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