シークレット・ミッション

一二三

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 季節は春に近づいているというのに、ここのところやけに冷え込む日が続いたせいで、健吾は質の悪い風邪を引き込んでしまっていた。

 同じベッドで眠っている北条にうつしてしまわないか心配なのだが、唯一といってよい触れあえる時間を失いたくない思いが強く、「離れて寝る」とは言いだせずにいる。
 明け方にひどく出る咳を隠すのは難しく、健吾の咳で北条が目を覚ますたびに申し訳なく思うのだが、北条は離れて寝るどころか、起きて背中をさすってくれたり、温かい飲み物を持ってきてくれたりする。
 結局何も言われないのを良い事に、健吾は北条に甘えたままでいた。

 なんとか小康状態を保ち続けていられたのも昨夜までで、今朝はとうとう体が発熱を訴えていた。
 しかし今日は、健吾たちをかわいがってくれている大物俳優の、デビュー35周年記念パーティーに出席しなければならない。
 健吾は体調不良を隠しながら、清文と二人でホテルの会場で人波に揉まれることになった。

 顔を合わせた芸能界の友人や知人と挨拶を交わしながら、何気なく広いバンケットルームを見渡すと、本日の目的である大物俳優の姿ははるか遠くにあった。
 お祝いの挨拶にたどり着くまで一体どれぐらいの時間がかかるだろうか。それまで体調が持つだろうか、と、健吾は熱でまとまらない頭でぼんやり考えていた。

「健吾、大丈夫か?」
 光沢のあるデザインスーツに身を包んだ清文が、様子のおかしい健吾に気付き、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫。ちょっと頭がぼーっとするだけ」
 会場が暑いからかな、と笑ってごまかそうとするのを「めっ」と睨まれ、北条に負けずとも劣らない大きな手が額に当てられる。
 その手が冷たくて気持ちよくて、つい、うっとり目をつぶってしまった。
「うわ、健吾!おまえこれ、絶対熱あるだろ。ああ、もう!北条はこっちの会場に来てるか?」
 やはり長い付き合いの清文はごまかせなかったか、とふわふわする頭で考えながら、「うん。多分来てる」と答えると、清文は健吾の胸ポケットのスカーフに包み込まれていた隠しマイクを取り出し、ONボタンを押した。
 会場ではぐれた時と、万が一のためにと、北条に持たされたものだ。
 パーティーは有名ホテルのバンケットルームを二間続きで貸し切りにした大規模なもので、ゲストの数も膨大だ。一度はぐれてしまった相手を見つけるのは難しい。

「北条、こっち見えてるか?」
 清文が問いかけると、ピピッと音がして、胸ポケットの中の受信機から北条の声が届く。
『見えてます。どうかしましたか?』
「健吾、熱あるわ。おまえ薬持ってたりする?」
 少しの間、沈黙が降りる。
 薬なら、ホテルの部屋に置いてあるはずだ。
 北条から健吾が咳をしていることを聞いた小寺が、わざわざこのホテルの客室を休憩用におさえてくれていた。
 普段は頼りない小寺だが、長年健吾のマネージャーをやっているだけあって、こういう場面でとても気が利く。 
 なにかと無理をしがちな健吾の性格をよくわかってくれているのでありがたい。

『解熱剤があります。部屋まで取りに行く間、健吾頼めますか?』
「了解。絶対離れねーから、安心して行ってきてくれ」
 清文が承諾の返事をするとピッという通信が切れる音がして、再び沈黙が降りた。
 会場のざわめきが大きくて、隣で話す清文の声も聞き取りづらい程なのに、北条の声が聞こえなくなると何故か途端にひとり取り残されてしまったような気分になる。
「薬持ってきてくれるからな。辛かったら俺にもたれとけよ?」
 実際は人の流れに沿って、今日の主役に近づく為に移動し続けているので、清文にもたれかかって休むことなど出来ないのだが、清文の思いやりが嬉しくて「うん」と頷く。
 あの夜以来、清文と北条の仲が悪くなってしまったのではないかと危惧していたのだが、今のやり取りを聞く限り、二人の間にギスギスしたものは感じられない。
 実際、健吾が知らぬ間にも、二人が頻繁にやり取りしているらしいと木山から聞いていた。
 
 清文に支えられながらフラフラとあやしい足取りで歩いているうちに、入口の方から北条が人混みをすり抜けてて健吾たちに近づいてくるのが見えた。
 長身で頭半分以上飛び出ているから、すぐに北条だとわかる。
 側へ寄るなり清文から健吾を受け取り、心配そうに身を屈める北条に、弱った心と体がぎゅっと音を立ててねじれるようなせつなさを覚えた。
「大丈夫か?」
 あまり大丈夫ではなかったが、安心させようと「うん」と微笑んで見せると、北条は何故だか困ったような顔を見せる。
「頭痛はしないか?解熱剤持ってきたから」
 タイミングよく、なんとなく行列の流れが止まった所で、「アーンしろ」と口を開けさせられ、薬を放り込まれる。
 ミネラルウォーターを渡されて薬を流し込むと、北条は健吾にもう一度口を開けさせて、「飲めたか?」と確認する。
 口の中に何もないことを確認すると、北条は「よし」と以前のように頭を撫でてくれた。
「子供かよ」と清文が隣で笑う。
 全くその通りだと思うが、最近めっきりスキンシップが減っていたこともあって、子ども扱いされているとわかっていても、北条に触れられる事が嬉しくて仕方なかった。

「少しどこかで休めるといいんですが……」
 再び動きだした人の流れに合わせて健吾が歩き出すと、それを支えるように北条が傍らに立って腰を抱く。
 強く引き寄せられたので、体重のほとんどを北条が受け取る形になり、体が急激に楽になったことにホッと息をついた。
 甘えるように北条の上着の裾をこっそり掴むと、さりげなく清文が後ろに立って、二人の姿を周囲の視線から隠してくれた。
「もうすぐ挨拶が終わるから、あとちょっとの我慢だぞ。全く、ミッキーと写真撮るわけでもねーのに、なんでこんなに並ぶんだよ」
 ぶつぶつ言う清文に、ミッキーと写真だと思えばいいじゃないですか、と北条が笑う。
 それより清文さん、と北条が振り返る。
「挨拶が終わったら、一旦出て下さい。小寺が外に待機しています」
 清文と北条の間に、一瞬、緊張を孕んだようなピリッとした空気が流れた。
 漂う不穏な空気に不安になった健吾は、ぼんやりする頭をなんとか動かして北条の顔を見上げる。
「予定通りか?」
 いつになく真剣な表情の清文がそう言うと、「はい」と北条が答えた。
 一体何のことだろうかと不安になり、必死に見上げていると、それに気づいた北条が、ふと笑ってから健吾の頭をぽんぽんと撫でた。
「この後俺は少し離れるが、心配するな」
 小寺と清文さんが一緒にいてくれるから、と言われた事にさらに不安を掻き立てられて、健吾はぎゅっと北条の上着の裾を握りしめる。
 予定通りってどういうこと?と、聞きたいのを、ぐっと奥歯を噛みしめてやりすごす。
 聞きたくない答えが返ってくることが恐ろしい。
 北条がこういった場所で健吾から離れたことなど、今まで一度もない。
 今日は木山もいないのに、清文と小寺だけに健吾を託してどこかへ行くという。
 健吾への脅迫やいやがらせのメール、殺害予告騒動も最近ではおさまりを見せつつある。
 健吾を襲った犯人はつかまらないままだが、あれから特に何かが起こったわけでもない。
 ボディガードの契約期間は、そろそろ終わりに近づいているのだろうか。
 北条はこのまま、帰国するつもりなのだろうか。最近慌ただしくしていたのは、もしかしたら帰国に関する段取りを決めるためだったのかもしれない。
 木山とやたらに打ち合わせをしていたのは、おそろらく警護の引継ぎの為だろうと思う。

「健吾」
 不安に押しつぶされそうになって俯く健吾の頭に、北条の大きな手がかかる。
「おまえが心配するようなことは、何も起こらない」
 もう大丈夫だ、と言いたいのだろう。
 北条は、健吾の身に危険なことが起こることのないように、調べつくして手を打ったのだ。
 すべてを確認して、もう何も起こらないと確信したからこそ、離れることにしたのだろう。
「北条、そろそろだ。行けよ」
 いつの間にか、挨拶しなければならない大物俳優まであと数グループ、という所まで近づいていた。北条はそこまでついて行くわけにはいかないので、健吾からそっと離れる。
 健吾が握りしめていた北条の上着の裾は、すっかりシワになってしまっていた。
「清文さん、お願いします」
 すばやく清文に一礼して、北条が姿勢の良い背中を見せて去っていく。
 まさかこれが最後ということはないだろう。
 まだ一緒にいられるはずだ。きっと。
 帰国する時は……離れる時は、ちゃんとそう言ってくれるはずだと信じたい。

「なんて顔してんだよ、健吾」
 北条の後ろ姿をいつまでも目で追っていたのを、体ごと清文に引き戻される。
「迷子の幼児みたいな顔してるぞ」
 ぺしぺしと額を手の甲で叩かれ、「心配するな」と清文に諭される。
「なんか不安に思ってるんだろうけど、それ、多分お前の思い過ごしだぞ?」
 清文が励ますように笑うが、健吾は笑い返すことが出来なかった。

 北条がいなくなることは、おそらく思い過ごしなんかじゃない。
 近いうちに、北条は健吾の側からいなくなる。
 そう考えただけで、真っ暗闇の井戸の底に落とされたような気持になる。

 挨拶の順番になり、表面上は笑顔を浮かべてなんとかお祝いの言葉を述べたものの、健吾の心は深い闇に捉われたままだった。

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