シークレット・ミッション

一二三

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 先ほど北条が飲ませてくれた解熱剤が効いてきたのか、重苦しかった体は少し楽になりつつあったが、代わりの様に大量に汗をかき始めた上に、今はひどく喉が渇いていた。

 清文に抱きかかえられるようにしてバンケットルームの外に連れ出され、ひきずられるように歩かされている間中、必死にあたりを見回したが、北条の姿はどこにも見当たらない。
 不安に視線をさまよわせる健吾をなだめるように、清文が何度も「大丈夫だからな」と声をかけてくれる。
 待ち受けていた小寺の顔を見た途端に完全に脱力してしまい、健吾は二人に抱えられて、小ロビーのソファーセットに寝かされることになった。

「小寺、こいつ見ててくれ。ひどい汗かいてるみたいだから、なにか飲み物取ってくる」
 清文が上着を翻し、バンケットルームへと戻っていく。
 何もかも甘えてしまっていることに申し訳なさを感じたが、一度横になってしまうと体の重さが倍になったように感じられて、立ち上がる気力がわいてこなかった。

 もし北条がここにいたら、健吾を担いで強引に部屋へ連れ帰っていただろうと思う。
 むしろそれを望んでいた事に、どうしようもない程北条に依存しているのだと突き付けられた気がして、そんな自分に嫌気がさした。
 重怠い頭をソファーのひじ掛けに強く押し付けているところで体に影が差し、誰かにのぞき込まれていることに気付く。
 はっと顔を上げると、心配そうな表情を浮かべた男と目が合った。
 俳優の、中野丈一郎だ。
 芸能界では大物中の大物で、年齢は50を超えているはずだが、とてもそうは見えないぐらい若々しく張りのある外見をしており、今も映画にドラマに舞台にと、第一線で活躍している。
 今日の主催者とはかなり親しい間柄らしいので、健吾たち同様、お祝いの為にこのホテルに顔を出していたのだろう。
「大丈夫か?」と言いたげに心配顔でこちらを覗き込んでいる中野に、さすがに横になったままでは失礼だと思い、挨拶を交わすために、健吾はなけなしの力を振り絞ってなんとか身を起こした。

「ああ、体起こさなくてよかったのに。大丈夫?なんだか調子が悪そうだけど、どうしたの?」
 立ち上がる際にふらついてしまい、揺れた体に中野が手を差し伸べてくれる。
 支える男の手に嫌悪を感じたが、振り払いそうになるのだけは懸命に堪えて、健吾は失礼のない程度に中野からそっと体を離した。
「ちょっと……人に酔ってしまったみたいで」
「そうなの?ひどく汗をかいてるじゃないか。喉が渇いてるだろ?炭酸のジュースだけど、まだ口をつけていないから、よかったらどうぞ」
 一息入れようと、バンケットルームから飲み物や食べ物を持ち出してロビーでくつろいでいる客も多くいた。
 中野が自分の為に持ってきたのであろうものをもらうのは気が引けたが、ひどく喉が渇いていた上に強く勧められたこともあって、健吾は受け取ったそれをありがたく受け取り、口をつける。
 アルコールははいっていないようだが、ジュースにしては妙な苦みがあるのを感じた。
 体調が悪いせいで味覚が狂っているのだろう。飲み干したグラスを小寺に渡して、中野のために代わりの飲み物を持ってきてくれるように頼む。
 代わりの飲み物が届くまで、と、健吾は中野に話しかけられるがまま、当り障りのない話に相槌をうち続けた。
 清文と小寺の二人ともから離れてしまったことを不安に思ったが、北条が距離を置けるようになったくらいなのだから、一人きりにならない限りはそんなに心配するようなこともないだろうと、なんとか自分を納得させる。

 しかし、一度意識してしまったせいか、清文の戻りが遅いことが急に気になり始めた。
 飲み物を取りに行った先で、誰か知り合いに捕まって話し込んでいるのかもしれない。健吾と違って社交的な清文にはよくあることだ。
 中野のための飲み物を取りに行った小寺もまだ戻らず、中野は健吾の前から立ち去る様子がない。
 不安がピーク達しかけた頃、それに伴うかのように、健吾は自分の体に異変を感じ始めた。
 頭の中に靄がかかったかのように、まるで考えがまとまらない。
 次第に中野との会話が続かなくなり、言葉がとぎれとぎれになっていく。
 時折くらりと目の前が歪むようなひどい眩暈に襲われて、それと同時に嫌な動悸がしはじめていた。

「森本君、大丈夫?」
 ぐらりと体が傾くのを、中野が支えてくれる。
 しきりに声をかけてくれているようなのだが、その声は、遠く離れた人に呼びかけられているかのように細切れにぶつぶつ途切れ、言葉の切れ端が耳に届くだけだった。
 健吾の様子を心配したらしい中野に体を支えられ、「ちょっとどこかで休もう」と腕を担がれて、もつれる足を強引に前に進めさせられる。

「部屋に…が……から…」

 中野が何を言っているのかほとんど理解できなかったが、とりあえず頷いた。
 エレベーターに乗せられる感覚があり、しんと静まり返った場所まで移動する。
 小寺が健吾のために取った部屋まで、わざわざ連れてきてくれたのだろうか?
 それにしては長くエレベーターに乗せられていた気がして、健吾は焦りを感じ始めた。
 小寺がとった健吾の部屋は3階、パーティー会場のバンケットルームは5階だったはずだ。
 下るはずのエレベーターは、上昇していなかっただろうか。
 そもそも健吾は部屋をとってあることを中野には話していないし、カードキーは北条が持っているはずだ。
 人けがなく、やけに静まり返ったここは、一体どこなのだろう。
 清文や小寺を待たずに離れてしまったのはまずかったなと、今さら思う。
 
 そういえば、と、清文が使っていた隠しマイクの存在が頭に思い浮かんだ。
 北条に持たされた通信機が胸ポケットに入っていたはずだ。
 ここを離れると言っていたが、あの通信機を使えば北条に連絡が取れるのではないだろうか。
 まだホテル内にいてくれることを祈るばかりだ。

 ほとんど体に力の入らない健吾を支えて歩く中野の息遣いは、ひどく乱れている。
 体格の良い人物だが、決して若くはない身で健吾を抱えて歩くのは大変なのだろう。
 世話をかけていることに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、健吾はうわ言のように謝り続けていた。
 
 ルームキーを通すピーッという電子音がして、中野が部屋のドア開けたのがわかった。
「さあ森本君、私の部屋で少し休みなさい」
 どうやら、連れてこられたのは中野がおさえている部屋のようだ。
 中野は親切で申し出てくれているのだろうが、ホテルの密室で男と二人きりになって、平静を保っていられる自信がない。
 けれど、強く拒絶するのもここまで運んでくれた中野に失礼な気がして、健吾は力なく首を横に振って遠慮するそぶりを見せる。
「……通信機があるので、それで……マネージャーに、連絡を……」
 絞り出すようになんとかそう告げると、「そんな状態で何を言ってるんだ。いいから遠慮せずに休みなさい」と部屋に連れ込まれそうになる。
 強引なその様子に恐怖を感じて、思わず体を捻って逃れようとした。
 けれど足に力が入らず、中野の支えを失った健吾の体は、そのまま崩れ落ちて床に膝をついた。
 自力では到底動けそうにない。
 どうしようかと逡巡していると、健吾の体が床をひきずるのも意に介さず、中野が強く健吾の腕を引いた。
 乱暴なその様子に、「嫌だ」と叫び声を上げようとしたが、喉に何かがはりついたように、声が出てこなかった。

「中野さん、ありがとうございます。そこまでで大丈夫ですから」
 突如響いた清文の声に、中野が体をびくりと揺らすのを、掴まれた腕伝いに感じた。
 清文とは違う誰かが、床に膝をついた健吾の体に手を差し伸べ、崩れ落ちそうになる体を支えてくれる。
 今まで全く音がしなかったのに、突然バタバタとホテルのカーペットを踏み鳴らす音がしたのを不思議に思っていると、力強い腕がふわりと健吾を抱き上げた。
 鼻先をかすめるオードトワレが、腕の持ち主が誰なのかを健吾に教えてくれていた。

「いや、わ、私は森本君が気分が悪いというから、部屋で休ませようとしてたんだよ」
 突然現れた清文と北条にうろたえる中野に、「はい、ありがとうございました。あとはこちらで」と清文が頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました。健吾は今こんな状態ですが、回復しましたら改めてお礼の挨拶に伺わせますので」
 清文が慇懃無礼な態度でそう言うと、「それには及ばない。当然の事をしただけだよ」と中野は慌てた様子でそう返し、さっさと背中を向けて去っていく。
 健吾は北条に抱き上げられたまま、定まらない視点で一連のやりとりを眺めていた。
 中野の姿が見えなくなると同時に、健吾の頭上で、北条がほっとしたように息をつくのが聞こえた。

「思わぬ大物が釣れたんじゃね?」
 清文が皮肉をこめた口調でそう言うと、珍しく苛立ちを含んだ声で「全くの予定外ですよ」と北条が低く唸る。
「とにかく移動しましょう。この上に部屋が取ってありますので、そちらへ」
 中野とは違って、ぐったりとした健吾を軽々と抱き上げたまま北条が足早に歩き出す。
「鈴置、小寺からさっきのグラス回収したか?」
「はい」
 振り返りながら指示を出す北条の声で、健吾は初めて自分たちの他にも誰かがいたのだと気付く。
 どうやら、健吾の視野は極端に狭くなっているらしい。周りの様子が全く目に入ってこない。
 どくどくと耳を打つ嫌な動悸も一向におさまる様子はなく、先程から、体に何かが這うようなむず痒い感覚に襲われていた。
 自然、呼吸も浅くなり、息遣いが荒くなる。
「グラスは社長に言って検査に回せ。指紋も押さえとくように伝えてくれ」
 鈴置と北条に呼ばれた男が、「わかりました」と答え、一礼して去っていく。
「かっけーな、あいつ」という清文の声に、「とても優秀な男ですよ」と北条が応えた。

「しかし、誤算だったなぁ。あんなのが出てくるとは。世の中狂ってるよなぁ」
 あんな大物俳優までうちの健吾ちゃん狙いだったなんてな、と、歩きながら清文がぼやいている。
「健吾があの男に何か飲まされたのを、鈴置が確認しました。使用したグラスは検査に回しますから、今後何か言ってくるようなら、証拠は押さえてあるから出るところに出てもいいと脅して下さい」
 苛立った北条の声に、「おお、怖……。おまえ、すげえ怒ってんなぁ……」と清文が身を震わせる。
「木山は?どーしてんの?あいつも健吾かわいがってるから、怒ってるんじゃねーの?」
「木山はターゲットに面が割れているので、今日は社で待機させてます。まあ、知ったら怒るでしょうね」
 当たり前のようにそう言う北条に、そうだろうな、と清文が同意する。
「ターゲットも、今日はもう動くことはないでしょう。完全な誤算でした」と北条がいつになく苛立ち、清文はそれを「まあまあ」となだめる側に回っている。
 いつもとは真逆なその様子に、二人の間で一体どんなやりとりがあったのだろうと、健吾はぼんやりと考えていた。
 
 到着したエレベーターに誰も乗っていない事を確認すると、北条が滑るように乗り込む。
「11階を」と言うと、「はいよ」と陽気に清文が応え、階数ボタンを押した。
 両開きのドアが音もなく閉じると、密閉された狭い空間に健吾の荒い息遣いが響き渡る。
 健吾の体はせりあがる疼きに苛まれ、北条と触れ合っている場所から異常な熱を発している気がした。

「蒼馬……」

 呼びかけると、どうした?と、北条が視線で応えてくれる。
 健吾を見下ろすその碧い目が、いつもよりずっと優しい色を帯びている気がした。
「体……熱い。なん、か、変な感じがする」
 優しい視線に後押しされ、切れ切れにそう伝えると、「大丈夫だ。今、楽にしてやる」と北条が答える。
 そのまま、額にやさしいキスが落とされた。
 
「タチわりぃなあ、あのオッサン。媚薬飲ませて好みのかわいこちゃんにイタズラかよ。勘弁しろよ……」
 清文がうんざりした様子で、はぁ、と大きくため息をつく。
 ひでぇことするよな、かわいそうに、とつぶやきながら伸ばされた指に頬をくすぐられ、頭を撫でられた。
「なんにせよ、健吾に発信機つけといてよかったじゃねえか。間一髪だったもんな」
「すみません。俺が強引に進めたせいで……結局健吾が危険な目に」
 北条がそう言うのと同時に、チン、と古風な音がしてエレベーターのドアが開く。
 先に清文が降りて周りを確認した後、健吾を抱えた北条がするりと降りた。
「部屋、どこだ?」
「1109です」
 鍵貸して、と清文が後ろに回り、北条のスラックスの後ろポケットから部屋のカードキーを取り出した。
「まあ、今回は仕方なかったんじゃねーの?あっちも途中から健吾かっさらわれて焦っただろうしな。それに、おまえが発信機つけといたおかげで、健吾はちゃんと捕まえられたわけだし。結果オーライだろ?」
 お、ここだ、と清文が立ち止まり、カードキーを通す。
「おまえが側についてないとさ、こんなことが起こっちゃうわけよ?そういう意味では、健吾は昔っから危なっかしい子だったけどな」
 だから、なるべくついててやれよ?と言いながら、清文が部屋のドアを開ける。
 滑り込むように3人が中に入ると、薄暗かった室内に自動で照明が点灯した。
「清文さん、カーテン閉めて」
 はいはい、と清文が窓辺に寄る。
 すげー、夜景がきれいだなー、今度美咲とお泊りしようかなー、といつもの調子ではしゃぐの清文の姿に、健吾は少しだけ安堵した。

 時間の経過とともに、体の疼きは収まるどころかじわじわと広がっていくばかりで、今やまともに口を開くこともできそうになかった。異常な程に、体が熱い。
 中野に何か盛られたなどと信じたくはなかったが、ここまでくるとさすがに否定できない。
 飲み物に感じた独特の苦みは、おそらく薬の味だったのだろう。
 尊敬する先輩俳優にすらそういう目で見られていたのだと思うと、もう何もかもが信じられなくなりそうだった。

「大丈夫か?服、脱がせるぞ」
 健吾をベッドに寝かせ、靴と靴下を脱がせると、北条は次にジャケットとネクタイに手をかけた。
 するりと滑る布の感触に呻くと、北条がそこで手を止める。
 その視線が不自然に健吾の下半身を泳ぎ、一体どうしたのかと自分でも目を向けてみて、スラックスの前立てを押し上げるように自らの股間が張りつめていることに気付いた。
 思わず体を倒して隠そうとしたが、その動きに強くその場所を刺激されて、低い呻きが漏れる。
 襲い掛かる疼きをやり過ごそうと奥歯を食いしばると、それをなだめるように、北条の手がトントンと背中を叩いた。

「健吾辛そうだな。医者呼ばなくていいのか?」
「はい、まあ……男ですから。この様子だと1、2回抜けばおさまると思いますが」
 そっか、と清文は苦笑する。
「俺はこれ以上お手伝いしてやれないぞ?美咲に浮気を疑われちゃたまらんし!まかせるからな」
 おまえの責任だからな!と言い残して、清文が部屋から出ていこうとする。
 北条が見送りについていくと、「あ」と清文が振り返った。

「抱くなよ」

 わざわざ念押しする清文に、呆れた様子の北条が「抱きませんよ」と答えるのが健吾の耳にも届いた。
「健吾は気分悪くして帰ったことにしとく。小寺にもそう伝えるからな」
 ドアの閉まる音と同時に清文の声が聞こえなくなると、小さな衣擦れの音と共に北条が戻ってきた。

 北条は足音を立てない。
 しんと静まり返った室内に、彼の服が擦れる音だけが聞こえていた。
 北条は上着を脱ぎ捨てるとそのままネクタイも外し、健吾を寝かせたベッドの足元へ投げかける。
 通信機やスマートフォンを全てポケットから出し、シャツの袖をまくり上げてバスルームへ向かうのを、健吾は疼きに耐えながら見守っていた。
 北条が消えた方向から、シャワーを出す音が聞こえてくる。
 一体何をするつもりなのか。
 健吾の体はそろそろ限界を迎えつつある。
 スラックスの前が張りつめた性器で強く押し上げられ、大量に滴る先走りでぐっしょりと濡れてしまっていた。
 濡れて冷たくなった下着が自身の先端に擦れる刺激に、男の本能が揺さぶられる。
 
 早く手を伸ばしたい。激しく擦りたてて、出してしまいたい。
 けれど、室内には北条がいる。
 まさか、彼の前でそんな行為に及ぶわけにはいかない。

 そう思っていても、それでも一人にはなりたくなくて、健吾は北条の消えたバスルームを静かに見つめていた。
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