捨てられ聖女は、隣国で”香りの魔術師”として覚醒しました~冷徹公爵様の心を癒すのは、私だけの調香術です~

YY

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第28話:過去との決別、そして未来へ

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王都に穏やかな日常が戻り始めてから数日が過ぎた。ユリウスは摂政として、エドウィンが残した負の遺産の整理に多忙な日々を送っている。私もまた、彼の補佐として、そして王都に仮設した診療所で、疫病の後遺症に苦しむ人々の治療に当たっていた。
忙しくも充実した毎日。だが、私の心の中には、どうしても終わらせておかなければならない一つの物語が残っていた。
その日の午後、私はユリウスの執務室を訪れた。山積みの書類から顔を上げた彼は、私の姿を認めると、そのアイスブルーの瞳をわずかに和らげた。
「どうした、リーナ。疲れたのか」
「いえ、そうではありません。公爵様に一つ、お願いがございまして…」
私は一度深く息を吸い込むと、はっきりとした声で言った。
「投獄されている、ユナさんに会わせていただけませんか」
その言葉に、ユリウスの穏やかだった表情が一瞬で険しいものへと変わる。
「…会う必要などない」
彼の声には、私の身を案じる明確な拒絶がこもっていた。
「君をあれほどまでに苦しめ、貶めた女だ。今更、彼女と会って何になる。君が再び心を痛めるだけだ」
彼の不器用な優しさが、私の胸に温かく染みる。だが、私は静かに、そしてしっかりと首を横に振った。
「復讐したいわけではありません。憎しみをぶつけたいわけでもないのです」
私はまっすぐに彼の瞳を見つめ返した。
「ただ、私自身の物語にきちんと最後のページを記したいのです。『捨てられた偽物の聖女』だった、私の物語に」
その声に、もうかつてのようなか弱さや怯えはなかった。そこにあるのは、自らの過去と正面から向き合おうとする、穏やかで揺るぎない決意。
ユリウスは、そんな私の姿をしばらく黙って見つめていたが、やがて私の成長を悟ったのだろう。彼は重いため息をつくと、静かに頷いた。
「…わかった。だが、無理はするな」
王城の地下深くに作られた牢獄。ひやりとした湿った空気が肌にまとわりつく。壁を伝う水の雫の音だけが不気味に響いていた。
その一番奥の独房に、ユナはいた。松明の頼りない光に照らし出されたその姿に、私は息をのんだ。
華やかなドレスも、きらびやかな宝石も、そして強気な笑顔を彩っていたメイクも、全てを失った彼女は、驚くほどに幼く、そして弱々しく見えた。まるで道に迷った、ただの少女のようだった。
私の気配に気づいた彼女は顔を上げた。私だとわかると、その唇に自嘲的な鋭い笑みを浮かべる。
「…何しに来たのよ」
その声はかすれて、乾いていた。
「勝ち誇った顔で、私を笑いにでも来たわけ?満足した?聖女様?」
棘のあるその言葉。だが、今の私にはもう、その棘は刺さらなかった。
私は鉄格子の前に静かに立つと、ずっと心の奥で問いかけたかった一つの質問を彼女に投げかけた。
「あなたも、私と同じ、日本という世界から来たんですよね」
その言葉に、ユナの肩がぴくりと震えた。
「どうして、あんな嘘をつかなければならなかったのですか?」
それは詰問ではなかった。ただ純粋な、問いかけ。
あまりにも静かなその問いに、ユナの虚勢の鎧が音を立てて崩れ落ちていく。彼女は数秒間黙っていたが、やがてその口から乾いた笑い声が漏れた。
「…は、はは…。どうして、ですって…?」
その笑いは、やがて嗚咽へと変わっていった。
「決まってるじゃない…!帰りたくなかったからよ…!あんな惨めな生活に…!」
堰を切ったように、彼女は語り始めた。日本での、希望のないフリーターとしての生活。増え続ける借金。将来を案じる、家族からの無言のプレッシャー。
「ここでは…生まれて初めて、みんなが私を『特別』な目で見てくれたの…!すごいって言ってくれたのよ…!」
その叫びは、悪意ではなく、心の底からの渇望だった。
「もう二度と…誰からも必要とされない、価値のない、惨めな自分に戻るのが…ただ、怖かったのよ…!」
魂からのその叫びを聞き、私の心に芽生えたのは憎しみではなかった。不思議なほどの静けさ。そして胸を締め付けるような、かすかな憐れみの感情だった。
境遇は全く違う。やり方も間違っていた。だが、私たち二人は確かに同じだったのだ。この見知らぬ世界で、「自分の居場所」をただ必死に求めていただけの、孤独な異邦人だったのだ。
私は鉄格子の向こうで泣きじゃくる彼女に、静かに語りかけた。
「あなたの気持ち、少しだけわかります。私も、ずっと自分の居場所がありませんでしたから」
ユナがはっと顔を上げる。
「あなたの犯した罪が許されるわけではありません。それはこの国の法が正しく裁くでしょう。ですが」
私は続ける。
「私はもう、あなたのことを憎んではいません」
そして、私は心の底からの祈りを込めて言った。
「いつか、あなたも本当のあなたのままで、幸せを見つけられる日が来ることを祈っています」
私は静かに彼女に一礼すると、背を向けた。背後から、ユナが息をのむ音が聞こえた気がした。だが、私はもう振り返らなかった。
私の背中には、もはや過去へのいかなるわだかまりも残ってはいない。復讐による勝利ではない。理解と、そして赦しによって過去を乗り越えた瞬間、私の魂は真の意味で自由になったのだ。
牢獄の冷たい、暗い階段を上り、地上へと続く扉を開ける。
瞬間、目が眩むほどの温かい陽光と、甘い花の香りが私の全身を優しく包み込んだ。そこは宮殿の美しい庭園だった。
そして、その中央でユリウスが私を心配して待ってくれていた。
彼は何も聞かなかった。ただ、私の表情をじっと見つめている。そこに、晴れやかで一点の曇りもない穏やかな微笑みが浮かんでいるのを見て、全てを察してくれたのだろう。
「…終わったのだな」
彼の優しい声。
「はい。全て、終わりました」
私の晴れやかな声。
その短いやり取りだけで十分だった。ユリウスは私の手を優しく取った。
「ならば、ここからは我々の物語を始めよう」
彼は私を、庭園で最も美しい純白の薔薇が咲き誇る場所へと導いていく。過去との完全な決別を果たした私に、最高の未来が贈られようとしている。
そのあまりにも幸福な予感だけで、私の心はもう満たされていた。
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