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第2章:赤いタスクと二つの正義
第31話:チームという名の組織
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重く冷たい沈黙。凍てつくような空気の中、燃え盛る暖炉の火が、薪が焦げる甘く乾いた匂いを鼻腔にくすぐりながら、パチパチと音を立てていた。その音を最初に破ったのは、このパーティで最も現実的な思考を持つシーナだった。目の前で起きた超常現象に対し、彼女は恐怖よりも先にプロの盗賊としての鋭い猜疑心を働かせていた。
「おい、一体どういうことだい、これは?」
その声は低く、部屋の隅々まで響き渡る。彼女は、古びた獣皮の匂いが漂う羊皮紙から一瞬も目を離さず、周囲の気配を探っていた。文字が刻まれた部分だけ、まるで闇が凝り固まったかのように光を吸い込んでいた。
「誰かの手の込んだ罠か? それとも幻術か何かかい? ボス、あんた、何か心当たりは?」
彼女の視線がケンジへと突き刺さる。その目は、この不可解な事態の責任者が目の前の得体の知れないマネージャーである可能性をわずかでも疑っているかのようだった。
シーナの問いに答えたのはケンジではない。
「違うわ」
か細いが、はっきりとした声。ルリエルだった。彼女は魔術師としてのプライドをかけ、目の前の現象を分析しようと、その翡翠の瞳に全神経を集中させていた。
「これは幻術じゃない。幻術なら必ず術者の魔力の“揺らぎ”が残るはず。でもこれにはそれがない。まるで最初からそこにそう書かれていたかのように、完全に世界の理と同化している」
彼女は震える指先でそっと赤い文字に触れようとする。空気が微かにざらつき、耳鳴りのような低い唸りが聞こえる。その指が羊皮紙に触れる寸前、肌の産毛が総毛立つような感覚に襲われ、弾かれたように後ずさった。
「なっ…!?」
「どうした、ルリエル!」
シーナが鋭く問う。
ルリエルは信じられないといった表情で、自らの指先と羊皮紙を見比べていた。
「魔力がない。いえ、違うわ。魔力とはまったく質の違う、異質な力がこの文字には宿っている。高位の魔法でも、神聖術でも、呪いでもない…。私が王立魔術院で学んできたどの法則にも当てはまらない…!」
天才を自称する彼女が、生まれて初めて自らの知識の及ばない未知の現象と遭遇した瞬間だった。その表情には恐怖と、それ以上に自らの無力さを突きつけられたことへの屈辱の色が浮かんでいた。
ゴードンはそんな混乱する二人を一瞥しただけで、何も言わなかった。ただその巨大な身体をゆっくりと動かし、ケンジの前に立ちはだかる。そして、背中の巨大な戦斧をいつでも抜き放てるように、その柄にそっと手をかけた。
彼の行動は単純明快だった。何が起きているのかは分からない。だがこのチームの頭脳であるケンジを、あらゆる脅威から守る。それが今の自分が果たすべき唯一のタスク。その寡黙だが絶対的な信頼を示す背中が、ケンジの心をわずかに現実に引き戻した。
(そうだ。俺は一人じゃない)
ケンジはゆっくりと息を吐いた。その瞬間、彼のプロジェクトマネージャーとしての思考が、ようやく再起動を始める。彼は目の前の赤い一行を、仲間たちとはまったく違う視点で分析していた。
シーナはこれを「罠」だと言った。ルリエルはこれを「未知の力」だと言った。だが、ケンジにはこれが何なのか、その正体が痛いほど分かってしまっていた。背筋に氷を流し込まれたような冷たさが走り、喉がカラカラに渇く。
(これは魔法じゃない。呪いでもない)
(これは「報告書」だ)
ケンジの脳裏に、あの忌まわしい過去の光景が、強烈なフラッシュバックとして蘇る。
深夜2時、蛍光灯の青白い光の下。
震える指でマウスを握る。
エラー音が、心臓の鼓動と同期する。
[Critical Incident Report]
真っ赤なウィンドウが、画面を埋め尽くす。
システム障害、魔王プロセス、異常活性化。
断片的な言葉が、彼の頭の中を嵐のように駆け巡った。
ケンジのそのあまりにも場違いで、そしてあまりにも平然とした「定例会議」の提案に、一瞬の沈黙が訪れた。シーナは苛立ちではなく、思案のサインとして、わざと机を指でトントン叩く。ルリエルはほんのわずか目を伏せ、その表情にわずかな諦観と、そして信頼が混じり合う。
最初に口を開いたのはシーナだった。
「…はぁ。まあ、いいだろう」
彼女はやれやれと肩をすくめながら続けた。
「ボスがそう言うんならな。あたしたちはあんたに雇われてる身だ。あんたのその小難しい会議とやらで飯が食えるってんなら、いくらでも付き合ってやるよ」
その口調にはまだ皮肉の色が残っていた。だがその瞳にはもはや以前のような不信感はなかった。
「…よろしいですわ」
次に頷いたのはルリエルだった。
「どうせこの訳の分からない状況では私一人では何もできませんもの。あなたのその“マネジメント”とやらに乗ってさしあげますわ。私のこの完璧な魔法をさらに輝かせるための布石と思えば、我慢できなくもありません」
そして最後に、ゴードンがその兜の奥から重々しく力強く頷いた。
「……承知した」
短く頷くと、椅子が軋む音が響いた。その一言には、彼の揺るぎない信頼がすべて込められていた。
ケンジは仲間たちのその意外なほどの素直な反応に一瞬驚きながらも、すぐに満足げに頷き返した。
「ありがとうございます。では、これより第一回定例進捗会議を開始します」
彼はまるで前世のオフィスでそうしていたように、ごく自然にそう宣言した。
会議は驚くほどスムーズに進んだ。ケンジが「ルリエルさん、低コスト魔法の習得状況は?」と質問した瞬間、ルリエルが少し声を被せて答える。
「ふふん。私を誰だと思って? すでに三つ習得済みですわ。いつでも実戦で試せますわよ」
シーナは呆れた顔で二人のやり取りを見つめ、小さくため息をつく。
「素晴らしい。では今週の目標は、その魔法の安定性と燃費効率のデータ測定としましょう。シーナさん、私への報連相については?」
「はいはい。やってるよ。…あんたが鬱陶しいくらい確認してくるからな」
「結構です。ゴードンさん、訓練の進捗は?」
ゴードンは短く頷く。
「…問題ない」
彼らはごく自然に自らの課題と向き合い、その進捗を報告しあっていた。そしてケンジは最後の議題を切り出す。
「最後に、この赤いタスクについて。現状、我々には情報があまりにも不足しています。このまま我々だけで抱え込むのはリスクが高すぎる。まずはクライアントである国王陛下に、このインシデントを報告し、情報を共有すべきだと考えますが、いかがでしょうか?」
その問いに、仲間たちは顔を見合わせると全員が同時に頷いた。それはケンジがトップダウンで下した命令ではない。彼らがチームとして自らの意志で下した、最初の公式な「決定」だった。
会議が終わる頃には、彼らの顔から当初の絶望の色は消え失せていた。代わりにそこにあったのは、巨大な課題を前にした緊張感と、それを乗り越えていこうとする確かな連帯感だった。
会議室の外に出ると、外はもう夜だった。冷たい風が吹き、全員が同じ方向を見て歩き出す。ゴードンの足音が一定のリズムで響き、その後ろを、シーナとルリエル、そしてケンジが自然と歩調を合わせていた。彼らは、もはやただの寄せ集めではない。互いを認め合い、一つの目標に向かう、確かな「組織」へと一歩前進したのだった。
「おい、一体どういうことだい、これは?」
その声は低く、部屋の隅々まで響き渡る。彼女は、古びた獣皮の匂いが漂う羊皮紙から一瞬も目を離さず、周囲の気配を探っていた。文字が刻まれた部分だけ、まるで闇が凝り固まったかのように光を吸い込んでいた。
「誰かの手の込んだ罠か? それとも幻術か何かかい? ボス、あんた、何か心当たりは?」
彼女の視線がケンジへと突き刺さる。その目は、この不可解な事態の責任者が目の前の得体の知れないマネージャーである可能性をわずかでも疑っているかのようだった。
シーナの問いに答えたのはケンジではない。
「違うわ」
か細いが、はっきりとした声。ルリエルだった。彼女は魔術師としてのプライドをかけ、目の前の現象を分析しようと、その翡翠の瞳に全神経を集中させていた。
「これは幻術じゃない。幻術なら必ず術者の魔力の“揺らぎ”が残るはず。でもこれにはそれがない。まるで最初からそこにそう書かれていたかのように、完全に世界の理と同化している」
彼女は震える指先でそっと赤い文字に触れようとする。空気が微かにざらつき、耳鳴りのような低い唸りが聞こえる。その指が羊皮紙に触れる寸前、肌の産毛が総毛立つような感覚に襲われ、弾かれたように後ずさった。
「なっ…!?」
「どうした、ルリエル!」
シーナが鋭く問う。
ルリエルは信じられないといった表情で、自らの指先と羊皮紙を見比べていた。
「魔力がない。いえ、違うわ。魔力とはまったく質の違う、異質な力がこの文字には宿っている。高位の魔法でも、神聖術でも、呪いでもない…。私が王立魔術院で学んできたどの法則にも当てはまらない…!」
天才を自称する彼女が、生まれて初めて自らの知識の及ばない未知の現象と遭遇した瞬間だった。その表情には恐怖と、それ以上に自らの無力さを突きつけられたことへの屈辱の色が浮かんでいた。
ゴードンはそんな混乱する二人を一瞥しただけで、何も言わなかった。ただその巨大な身体をゆっくりと動かし、ケンジの前に立ちはだかる。そして、背中の巨大な戦斧をいつでも抜き放てるように、その柄にそっと手をかけた。
彼の行動は単純明快だった。何が起きているのかは分からない。だがこのチームの頭脳であるケンジを、あらゆる脅威から守る。それが今の自分が果たすべき唯一のタスク。その寡黙だが絶対的な信頼を示す背中が、ケンジの心をわずかに現実に引き戻した。
(そうだ。俺は一人じゃない)
ケンジはゆっくりと息を吐いた。その瞬間、彼のプロジェクトマネージャーとしての思考が、ようやく再起動を始める。彼は目の前の赤い一行を、仲間たちとはまったく違う視点で分析していた。
シーナはこれを「罠」だと言った。ルリエルはこれを「未知の力」だと言った。だが、ケンジにはこれが何なのか、その正体が痛いほど分かってしまっていた。背筋に氷を流し込まれたような冷たさが走り、喉がカラカラに渇く。
(これは魔法じゃない。呪いでもない)
(これは「報告書」だ)
ケンジの脳裏に、あの忌まわしい過去の光景が、強烈なフラッシュバックとして蘇る。
深夜2時、蛍光灯の青白い光の下。
震える指でマウスを握る。
エラー音が、心臓の鼓動と同期する。
[Critical Incident Report]
真っ赤なウィンドウが、画面を埋め尽くす。
システム障害、魔王プロセス、異常活性化。
断片的な言葉が、彼の頭の中を嵐のように駆け巡った。
ケンジのそのあまりにも場違いで、そしてあまりにも平然とした「定例会議」の提案に、一瞬の沈黙が訪れた。シーナは苛立ちではなく、思案のサインとして、わざと机を指でトントン叩く。ルリエルはほんのわずか目を伏せ、その表情にわずかな諦観と、そして信頼が混じり合う。
最初に口を開いたのはシーナだった。
「…はぁ。まあ、いいだろう」
彼女はやれやれと肩をすくめながら続けた。
「ボスがそう言うんならな。あたしたちはあんたに雇われてる身だ。あんたのその小難しい会議とやらで飯が食えるってんなら、いくらでも付き合ってやるよ」
その口調にはまだ皮肉の色が残っていた。だがその瞳にはもはや以前のような不信感はなかった。
「…よろしいですわ」
次に頷いたのはルリエルだった。
「どうせこの訳の分からない状況では私一人では何もできませんもの。あなたのその“マネジメント”とやらに乗ってさしあげますわ。私のこの完璧な魔法をさらに輝かせるための布石と思えば、我慢できなくもありません」
そして最後に、ゴードンがその兜の奥から重々しく力強く頷いた。
「……承知した」
短く頷くと、椅子が軋む音が響いた。その一言には、彼の揺るぎない信頼がすべて込められていた。
ケンジは仲間たちのその意外なほどの素直な反応に一瞬驚きながらも、すぐに満足げに頷き返した。
「ありがとうございます。では、これより第一回定例進捗会議を開始します」
彼はまるで前世のオフィスでそうしていたように、ごく自然にそう宣言した。
会議は驚くほどスムーズに進んだ。ケンジが「ルリエルさん、低コスト魔法の習得状況は?」と質問した瞬間、ルリエルが少し声を被せて答える。
「ふふん。私を誰だと思って? すでに三つ習得済みですわ。いつでも実戦で試せますわよ」
シーナは呆れた顔で二人のやり取りを見つめ、小さくため息をつく。
「素晴らしい。では今週の目標は、その魔法の安定性と燃費効率のデータ測定としましょう。シーナさん、私への報連相については?」
「はいはい。やってるよ。…あんたが鬱陶しいくらい確認してくるからな」
「結構です。ゴードンさん、訓練の進捗は?」
ゴードンは短く頷く。
「…問題ない」
彼らはごく自然に自らの課題と向き合い、その進捗を報告しあっていた。そしてケンジは最後の議題を切り出す。
「最後に、この赤いタスクについて。現状、我々には情報があまりにも不足しています。このまま我々だけで抱え込むのはリスクが高すぎる。まずはクライアントである国王陛下に、このインシデントを報告し、情報を共有すべきだと考えますが、いかがでしょうか?」
その問いに、仲間たちは顔を見合わせると全員が同時に頷いた。それはケンジがトップダウンで下した命令ではない。彼らがチームとして自らの意志で下した、最初の公式な「決定」だった。
会議が終わる頃には、彼らの顔から当初の絶望の色は消え失せていた。代わりにそこにあったのは、巨大な課題を前にした緊張感と、それを乗り越えていこうとする確かな連帯感だった。
会議室の外に出ると、外はもう夜だった。冷たい風が吹き、全員が同じ方向を見て歩き出す。ゴードンの足音が一定のリズムで響き、その後ろを、シーナとルリエル、そしてケンジが自然と歩調を合わせていた。彼らは、もはやただの寄せ集めではない。互いを認め合い、一つの目標に向かう、確かな「組織」へと一歩前進したのだった。
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