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第2章:赤いタスクと二つの正義
第59話:本当の勇者
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廊下から聞こえてくる騎士たちの声が遠くに消えていく。
病室に再び重く、どこまでも優しい静寂が戻ってきた。
ガイは眠る仲間の力なく投げ出されていた手を、自らの両手でそっと包み込むように握った。熱に浮かされた乾いた手のひら。そのか弱く、しかし確かに脈打つ生命の感触が、彼の砕け散った心に静かに深く染み渡る。眠る仲間の胸が、かすかに上下する。その微かな呼吸音が、ガイの胸をこれでもかと締めつけ、自身の無力さを突きつけた。
(この手は、俺を信じて剣を取ってくれた手だ。この命は、俺の「正義」を信じて、あの絶望的な戦場に身を投じてくれた)
それなのに、俺は。
俺は、この信頼に応えることができなかった。
彼の脳裏に、あの光景が何度も何度もフラッシュバックする。
狂乱するワイバーン。なすすべもなく打ち破られていく仲間たち。そしてその地獄の中心で、ただ狼狽えることしかできなかった無力な自分。
民衆の喝采も、聖剣の輝きも、目の前の現実を救うことはできなかった。
ガイの唇がわずかに震える。
そして心の奥底に溜まった重い澱をすべて吐き出すかのように、彼は絞り出すように呟いた。
「俺は……誰かに見せるための、“希望”を、守ってきた…」
その声はか細く、ひどくか弱かった。
勇者ガイという輝かしい偶像。民衆が熱狂し、誰もが憧れる光の象徴。彼はその象徴であり続けることこそが勇者の務めだと信じていた。その輝きが人々の心を照らし不安を打ち払うのだと。だから彼は常に舞台の上で最も輝かしい英雄を演じ続けてきた。
「だが……あいつは」
彼の脳裏に、あの冴えないプロジェクトマネージャーの姿が浮かび上がる。
「あいつは、誰にも見えない、“不安”と、向き合っていた…」
ケンジは民衆の喝采など求めていなかった。
彼は、誰も見ない、そして目を背けたくなるような現実の裏側に向き合っていた。計画が破綻するリスク。仲間たちが抱える個人的な痛みやトラウマ。そして、敵であるはずのワイバーンが抱えていた母親としての苦しみ。
それを知る今、俺のやってきた「英雄ごっこ」の虚しさが、胸を締めつける。
(……それが、差か…)
ガイは自らの喉を強く噛みしめ、口内に広がる鉄の味に、ようやく自分の過ちの痛みを骨の髄まで痛感する。自分の信じる「正義」とは、なんと都合がよく、そして自分勝手なものだったのだろう。それは、複雑な現実を「善」と「悪」という単純な二元論に押し込め、思考停止するためのただの言い訳に過ぎなかったのだ。
ガイの琥珀色の瞳から一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
それは敗北の悔し涙ではない。
こんな自分に何ができる。いや、やるしかない。
そう自問し、彼は、眠る仲間の手を、もう一度、力を込めて握り直した。そのか細い温もりだけが、今の彼が向き合うべき唯一の現実だった。
どれほどの時間が経っただろうか。
ガイはただじっと眠る仲間の顔を見つめ続けていた。
彼の心の中では、これまで自らを形作ってきたすべてのものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
民衆の喝采も、国王からの期待も、聖剣に選ばれたという絶対的な自負も。
彼を「勇者ガイ」たらしめていた輝かしい鎧のすべてが、一枚また一枚と剥がれ落ちていく。
鎧の下にあったのは、傷つき、迷い、そして自らの過ちによって仲間を死の淵へと追いやった、ただの無力な男の裸の魂だった。
ガイのプライドは完全に砕かれた。
それはまるで心臓を直接握り潰されるかのような凄まじい痛みだった。しかし、その痛みこそが、彼を虚飾から解放し、真実へと導く唯一の道だった。
そのすべてが崩れ落ち、空っぽになったはずの彼の心の最も深い暗闇の底で、ぽつりと一つの小さな光が灯り始めたのを、彼は確かに感じていた。
それは聖剣が放つような世界を照らし出す眩い神々しい光ではない。
民衆を熱狂させる華々しい英雄の輝きでもない。
もっとずっとささやかで、そしてどこまでも静かで、しかし決して消えることのない力強い光。
それは自らの敗北と未熟さをすべて受け入れた者だけが、その心に灯すことを許される、再生の光だった。
(…そうか)
ガイはゆっくりと息を吐いた。
(俺は勇者ではなかった。ただ勇者を演じていただけだったのだ)
本当の勇者とはなんだ?
災厄を打ち払うことか?
違う。
ケンジが示してくれた。
本当の勇者とはただ力で希望を見せつける者ではない。
その裏側にある無数の声なき「不安」に耳を傾け。
その一つ一つを丁寧に拾い上げ。
絶望の淵にいるすべての人々を一人も見捨てることなく未来へと導く者。
それこそが、本当の「勇者」の務めなのではないか。
ガイはそっと仲間の手を寝台の上に戻した。
そしてゆっくりと立ち上がる。その一歩一歩が、過去の自分を踏み越えるかのようだった。
その背筋は驚くほどまっすぐに伸びていた。
もはやそこに敗北者のうなだれた姿はない。
彼の心には敗北の屈辱が消えない傷として確かに残っている。
だがそれ以上に。
新たな道を見出した者だけが持つ、静かでそして揺るぎない覚悟がその全身にみなぎっていた。
彼は部屋の隅に立てかけてあった自らの聖剣へと歩み寄る。
そしてその柄を静かに握りしめた。
聖剣は以前と同じように穏やかな光を放っている。
だが今のガイにはその光が以前とはまったく違って見えていた。
これは俺の力を証明するための道具ではない。
これは俺の正義を押し付けるための凶器でもない。
これは誰かの声なき不安に寄り添うための光なのだと。
ガイは決意した。
もう二度とこの光から目を逸らさないと。
彼の本当の意味での「勇者」としての物語が。
この敗北の静寂の中から。
今、確かに、始まろうとしていた。
病室に再び重く、どこまでも優しい静寂が戻ってきた。
ガイは眠る仲間の力なく投げ出されていた手を、自らの両手でそっと包み込むように握った。熱に浮かされた乾いた手のひら。そのか弱く、しかし確かに脈打つ生命の感触が、彼の砕け散った心に静かに深く染み渡る。眠る仲間の胸が、かすかに上下する。その微かな呼吸音が、ガイの胸をこれでもかと締めつけ、自身の無力さを突きつけた。
(この手は、俺を信じて剣を取ってくれた手だ。この命は、俺の「正義」を信じて、あの絶望的な戦場に身を投じてくれた)
それなのに、俺は。
俺は、この信頼に応えることができなかった。
彼の脳裏に、あの光景が何度も何度もフラッシュバックする。
狂乱するワイバーン。なすすべもなく打ち破られていく仲間たち。そしてその地獄の中心で、ただ狼狽えることしかできなかった無力な自分。
民衆の喝采も、聖剣の輝きも、目の前の現実を救うことはできなかった。
ガイの唇がわずかに震える。
そして心の奥底に溜まった重い澱をすべて吐き出すかのように、彼は絞り出すように呟いた。
「俺は……誰かに見せるための、“希望”を、守ってきた…」
その声はか細く、ひどくか弱かった。
勇者ガイという輝かしい偶像。民衆が熱狂し、誰もが憧れる光の象徴。彼はその象徴であり続けることこそが勇者の務めだと信じていた。その輝きが人々の心を照らし不安を打ち払うのだと。だから彼は常に舞台の上で最も輝かしい英雄を演じ続けてきた。
「だが……あいつは」
彼の脳裏に、あの冴えないプロジェクトマネージャーの姿が浮かび上がる。
「あいつは、誰にも見えない、“不安”と、向き合っていた…」
ケンジは民衆の喝采など求めていなかった。
彼は、誰も見ない、そして目を背けたくなるような現実の裏側に向き合っていた。計画が破綻するリスク。仲間たちが抱える個人的な痛みやトラウマ。そして、敵であるはずのワイバーンが抱えていた母親としての苦しみ。
それを知る今、俺のやってきた「英雄ごっこ」の虚しさが、胸を締めつける。
(……それが、差か…)
ガイは自らの喉を強く噛みしめ、口内に広がる鉄の味に、ようやく自分の過ちの痛みを骨の髄まで痛感する。自分の信じる「正義」とは、なんと都合がよく、そして自分勝手なものだったのだろう。それは、複雑な現実を「善」と「悪」という単純な二元論に押し込め、思考停止するためのただの言い訳に過ぎなかったのだ。
ガイの琥珀色の瞳から一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
それは敗北の悔し涙ではない。
こんな自分に何ができる。いや、やるしかない。
そう自問し、彼は、眠る仲間の手を、もう一度、力を込めて握り直した。そのか細い温もりだけが、今の彼が向き合うべき唯一の現実だった。
どれほどの時間が経っただろうか。
ガイはただじっと眠る仲間の顔を見つめ続けていた。
彼の心の中では、これまで自らを形作ってきたすべてのものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
民衆の喝采も、国王からの期待も、聖剣に選ばれたという絶対的な自負も。
彼を「勇者ガイ」たらしめていた輝かしい鎧のすべてが、一枚また一枚と剥がれ落ちていく。
鎧の下にあったのは、傷つき、迷い、そして自らの過ちによって仲間を死の淵へと追いやった、ただの無力な男の裸の魂だった。
ガイのプライドは完全に砕かれた。
それはまるで心臓を直接握り潰されるかのような凄まじい痛みだった。しかし、その痛みこそが、彼を虚飾から解放し、真実へと導く唯一の道だった。
そのすべてが崩れ落ち、空っぽになったはずの彼の心の最も深い暗闇の底で、ぽつりと一つの小さな光が灯り始めたのを、彼は確かに感じていた。
それは聖剣が放つような世界を照らし出す眩い神々しい光ではない。
民衆を熱狂させる華々しい英雄の輝きでもない。
もっとずっとささやかで、そしてどこまでも静かで、しかし決して消えることのない力強い光。
それは自らの敗北と未熟さをすべて受け入れた者だけが、その心に灯すことを許される、再生の光だった。
(…そうか)
ガイはゆっくりと息を吐いた。
(俺は勇者ではなかった。ただ勇者を演じていただけだったのだ)
本当の勇者とはなんだ?
災厄を打ち払うことか?
違う。
ケンジが示してくれた。
本当の勇者とはただ力で希望を見せつける者ではない。
その裏側にある無数の声なき「不安」に耳を傾け。
その一つ一つを丁寧に拾い上げ。
絶望の淵にいるすべての人々を一人も見捨てることなく未来へと導く者。
それこそが、本当の「勇者」の務めなのではないか。
ガイはそっと仲間の手を寝台の上に戻した。
そしてゆっくりと立ち上がる。その一歩一歩が、過去の自分を踏み越えるかのようだった。
その背筋は驚くほどまっすぐに伸びていた。
もはやそこに敗北者のうなだれた姿はない。
彼の心には敗北の屈辱が消えない傷として確かに残っている。
だがそれ以上に。
新たな道を見出した者だけが持つ、静かでそして揺るぎない覚悟がその全身にみなぎっていた。
彼は部屋の隅に立てかけてあった自らの聖剣へと歩み寄る。
そしてその柄を静かに握りしめた。
聖剣は以前と同じように穏やかな光を放っている。
だが今のガイにはその光が以前とはまったく違って見えていた。
これは俺の力を証明するための道具ではない。
これは俺の正義を押し付けるための凶器でもない。
これは誰かの声なき不安に寄り添うための光なのだと。
ガイは決意した。
もう二度とこの光から目を逸らさないと。
彼の本当の意味での「勇者」としての物語が。
この敗北の静寂の中から。
今、確かに、始まろうとしていた。
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