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第16話:涙の痕、癒しの手
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アルベルトの葬儀は、彼が愛した町と星空を見渡せる丘の上で静かに行われた。簡素な木の墓標が立てられ、住民たちが一人また一人と野の花を供えていく。すすり泣く声は聞こえなかった。誰もが、あまりにも大きなものを失ってしまったという共有された喪失感に、深く深く沈黙していた。
私もその輪の中にいた。けれど涙はもう出ない。あの日、彼の腕の中で全てを泣き尽くしてしまったから。私の心は乾ききった井戸の底のように空っぽになっていた。
葬儀の後、私は館に閉じこもった。窓を閉め切り、薄暗い部屋でただ時間が過ぎるのを待つ。食事は喉を通らず、眠りも訪れない。目の前には、あの日からずっと置かれたままの小さなジャムの瓶。血は拭き取ったが、ひび割れたガラスの傷痕が、決して癒えることのない私の心の傷と痛々しく重なって見えた。
虚無。全てが無意味に思えた。畑も収穫も未来への計画も。彼がいないこの世界で、何をしたというのだろう。激情は過ぎ去り、後にはただ灰色の冷たい虚無感だけが私を支配していた。
コン、コンと控えめなノックの音が部屋の扉を叩いた。返事をする気力もなかったが、扉は躊躇いがちに開かれる。そこに立っていたのは、収穫祭の夜、私に感謝を伝えてくれた元鉱夫の老人だった。彼の顔にも、深い悲しみが刻まれていた。
「……領主様。お辛いところ申し訳ありやせん」
彼は深く頭を下げた。
「じゃが……もうどうにもならんのです」
彼のしわがれた声は切迫していた。
「先の戦いで傷を負った者たちが苦しんでおりやす。薬草はもうとっくに底をついちまった。熱は下がらねえし、傷は膿んで……。このままでは、アルベルトが命懸けで守ったもんがまた失われちまう……」
その言葉が、私の心の固く錆びついていた錠前に無理やり鍵をこじ入れた。
アルベルトが守ろうとした人々。そうだ。彼は私だけでなく、この町を、ここに住むみんなを守るために命を落としたのだ。
その人々が今、苦しんでいる。私がこの部屋で無為に時間を過ごしている、まさにその間に。
(アルベルトが守ろうとした人々を見捨てることは、彼への二度目の裏切りになる……)
その想いは贖罪にも似た強迫観念だった。悲しみに暮れることさえ、今の私には許されない。果たさなければならない責任がある。
私はゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がった。埃をかぶった人形がゼンマイを巻かれて動き出すかのように。
「……分かりました。救護所へ行きます」
私が館から姿を現すと、外にいた住民たちが驚いたように道を開けた。彼らの視線には憐れみと、どうしようもない状況への諦めが浮かんでいた。私は誰と目を合わせることもなく、かつて役場だった建物を改造した救護所へと向かった。
扉を開けた瞬間、むっとするような熱気と血と汗、そして病んだ人間の匂いが私を襲った。狭い室内には十数人の負傷者が、床に敷かれた藁の上で苦しそうに呻いている。その光景は地獄のようだった。しかし私の心はもう揺れなかった。感情の大部分が死んでしまったようだった。
私は何も言わずに、一番近くにいた負傷者のそばに屈み込んだ。義勇団の一人、足に深い傷を負った若者だ。
「……領主様……?」
彼がかすれた声で私を呼ぶ。
私は答えなかった。ただ黙って、彼の傷口に両手をかざす。
淡い光が私の手のひらから溢れ出し、傷を包み込む。温かい癒しの光。
けれど私の心は氷のように冷え切っていた。
そこから、私の無我夢中の献身が始まった。
私はまるで感情を失った人形のように、しかし的確な手つきで次々と負傷者を癒していく。
言葉は発しない。労いの言葉も励ましの言葉も、今の私には何も思いつかなかった。ただ目の前の「傷」だけを見つめ、そこに全ての魔力を注ぎ込む。
裂けた皮膚を繋ぎ、折れた骨を正し、熱に浮かされた体を鎮めていく。
その姿は聖女のようでもあり、しかしあまりにも人間味に欠けていた。
最初はただ感謝を述べていた負傷者たちも、次第に私の異様な様子に気づき始めた。彼らは畏敬と少しの恐怖が混じった目で、黙々と治療を続ける私を見守るようになる。
噂が囁かれ始める。
「領主様の癒しの力は奇跡だ」
「あの方はまるで月の女神様じゃ……」
私は時間の感覚を失っていた。太陽が昇り、沈み、そしてまた昇る。丸一日以上、一口の水も飲まず、一瞬の休息も取らず治療を続けた。
魔力が底をつきかけているのが分かった。視界が霞み、指先が痺れる。けれど私は手を止めなかった。ここで止まれば、アルベルトに顔向けができない。その一心だけが私を突き動かしていた。
遠く広場の片隅で、タイヨウがこちらの様子をじっと見守っていることに私は気づいていた。彼の表情には、自分の力が間に合わなかったことへの深い悔恨と、私のこの自己破壊的な献身を止められない無力感が浮かんでいた。彼は私にかける言葉を見つけられずに、ただそこに立ち尽くしているだけだった。
彼が何を思おうと、今の私にはどうでもよかった。
そしてついに、最後の負傷者の治療が終わった。彼の額から苦しげな汗が引き、穏やかな寝息が聞こえ始めた。その瞬間、私を支えていた最後の糸がぷつりと切れた。
目の前が真っ白になる。魔力欠乏。体が鉛のように重くなり、私はそのまま床へと崩れ落ちた。
意識が遠のく中、誰かが駆け寄ってくる気配がした。それは義勇団の生き残りだった。彼もまた腕に包帯を巻いている。
彼は倒れた私のそばに膝をつくと、何も言わずに自分が羽織っていた古びたマントを脱いだ。そして、そのマントを私の体にそっとかけた。
それは、これ以上ないほどの敬意に満ちた優しい手つきだった。アルベルトが命懸けで守った人々からの、静かで温かい肯定だった。
その温もりに包まれながら、私の意識は深い深い闇の中へと沈んでいった。
私もその輪の中にいた。けれど涙はもう出ない。あの日、彼の腕の中で全てを泣き尽くしてしまったから。私の心は乾ききった井戸の底のように空っぽになっていた。
葬儀の後、私は館に閉じこもった。窓を閉め切り、薄暗い部屋でただ時間が過ぎるのを待つ。食事は喉を通らず、眠りも訪れない。目の前には、あの日からずっと置かれたままの小さなジャムの瓶。血は拭き取ったが、ひび割れたガラスの傷痕が、決して癒えることのない私の心の傷と痛々しく重なって見えた。
虚無。全てが無意味に思えた。畑も収穫も未来への計画も。彼がいないこの世界で、何をしたというのだろう。激情は過ぎ去り、後にはただ灰色の冷たい虚無感だけが私を支配していた。
コン、コンと控えめなノックの音が部屋の扉を叩いた。返事をする気力もなかったが、扉は躊躇いがちに開かれる。そこに立っていたのは、収穫祭の夜、私に感謝を伝えてくれた元鉱夫の老人だった。彼の顔にも、深い悲しみが刻まれていた。
「……領主様。お辛いところ申し訳ありやせん」
彼は深く頭を下げた。
「じゃが……もうどうにもならんのです」
彼のしわがれた声は切迫していた。
「先の戦いで傷を負った者たちが苦しんでおりやす。薬草はもうとっくに底をついちまった。熱は下がらねえし、傷は膿んで……。このままでは、アルベルトが命懸けで守ったもんがまた失われちまう……」
その言葉が、私の心の固く錆びついていた錠前に無理やり鍵をこじ入れた。
アルベルトが守ろうとした人々。そうだ。彼は私だけでなく、この町を、ここに住むみんなを守るために命を落としたのだ。
その人々が今、苦しんでいる。私がこの部屋で無為に時間を過ごしている、まさにその間に。
(アルベルトが守ろうとした人々を見捨てることは、彼への二度目の裏切りになる……)
その想いは贖罪にも似た強迫観念だった。悲しみに暮れることさえ、今の私には許されない。果たさなければならない責任がある。
私はゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がった。埃をかぶった人形がゼンマイを巻かれて動き出すかのように。
「……分かりました。救護所へ行きます」
私が館から姿を現すと、外にいた住民たちが驚いたように道を開けた。彼らの視線には憐れみと、どうしようもない状況への諦めが浮かんでいた。私は誰と目を合わせることもなく、かつて役場だった建物を改造した救護所へと向かった。
扉を開けた瞬間、むっとするような熱気と血と汗、そして病んだ人間の匂いが私を襲った。狭い室内には十数人の負傷者が、床に敷かれた藁の上で苦しそうに呻いている。その光景は地獄のようだった。しかし私の心はもう揺れなかった。感情の大部分が死んでしまったようだった。
私は何も言わずに、一番近くにいた負傷者のそばに屈み込んだ。義勇団の一人、足に深い傷を負った若者だ。
「……領主様……?」
彼がかすれた声で私を呼ぶ。
私は答えなかった。ただ黙って、彼の傷口に両手をかざす。
淡い光が私の手のひらから溢れ出し、傷を包み込む。温かい癒しの光。
けれど私の心は氷のように冷え切っていた。
そこから、私の無我夢中の献身が始まった。
私はまるで感情を失った人形のように、しかし的確な手つきで次々と負傷者を癒していく。
言葉は発しない。労いの言葉も励ましの言葉も、今の私には何も思いつかなかった。ただ目の前の「傷」だけを見つめ、そこに全ての魔力を注ぎ込む。
裂けた皮膚を繋ぎ、折れた骨を正し、熱に浮かされた体を鎮めていく。
その姿は聖女のようでもあり、しかしあまりにも人間味に欠けていた。
最初はただ感謝を述べていた負傷者たちも、次第に私の異様な様子に気づき始めた。彼らは畏敬と少しの恐怖が混じった目で、黙々と治療を続ける私を見守るようになる。
噂が囁かれ始める。
「領主様の癒しの力は奇跡だ」
「あの方はまるで月の女神様じゃ……」
私は時間の感覚を失っていた。太陽が昇り、沈み、そしてまた昇る。丸一日以上、一口の水も飲まず、一瞬の休息も取らず治療を続けた。
魔力が底をつきかけているのが分かった。視界が霞み、指先が痺れる。けれど私は手を止めなかった。ここで止まれば、アルベルトに顔向けができない。その一心だけが私を突き動かしていた。
遠く広場の片隅で、タイヨウがこちらの様子をじっと見守っていることに私は気づいていた。彼の表情には、自分の力が間に合わなかったことへの深い悔恨と、私のこの自己破壊的な献身を止められない無力感が浮かんでいた。彼は私にかける言葉を見つけられずに、ただそこに立ち尽くしているだけだった。
彼が何を思おうと、今の私にはどうでもよかった。
そしてついに、最後の負傷者の治療が終わった。彼の額から苦しげな汗が引き、穏やかな寝息が聞こえ始めた。その瞬間、私を支えていた最後の糸がぷつりと切れた。
目の前が真っ白になる。魔力欠乏。体が鉛のように重くなり、私はそのまま床へと崩れ落ちた。
意識が遠のく中、誰かが駆け寄ってくる気配がした。それは義勇団の生き残りだった。彼もまた腕に包帯を巻いている。
彼は倒れた私のそばに膝をつくと、何も言わずに自分が羽織っていた古びたマントを脱いだ。そして、そのマントを私の体にそっとかけた。
それは、これ以上ないほどの敬意に満ちた優しい手つきだった。アルベルトが命懸けで守った人々からの、静かで温かい肯定だった。
その温もりに包まれながら、私の意識は深い深い闇の中へと沈んでいった。
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