月の雫と地の底の誓い

YY

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第15話:英雄と無力な神様

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私の絶叫は、燃え盛る町の喧騒に虚しく吸い込まれていった。
「アルベルト! 目を開けて、アルベルト!」
私は崩れ落ちた彼の上半身を必死で抱き起こす。胸からおびただしい血が流れ出し、私のドレスを、手を、赤黒く染めていく。生温かい感触と鉄錆の匂いが、悪夢を現実に引きずり下ろす。
「いや……嘘よ……! 約束したじゃない……!」
癒しの力を。早く。
私は震える両手を彼の傷口にかざした。淡い月の光にも似た魔力が手のひらから溢れ出す。これまでどんな傷でも塞いできた、私の唯一の希望。
けれど、その必死の光は、彼の胸に開いた深い闇にただ吸い込まれていくだけだった。まるで命そのものが癒やされることを拒んでいるかのように、私の魔法は傷口に触れることさえできず、ただ霧散していく。焼け石に水ですらない。私の癒しの力は、彼の死の前ではあまりに無力だった。私は、神様なんかじゃなかった。

「……セレ……ティア……」
不意に彼が、かすれた声で私の名を呼んだ。
見れば、彼の瞳が薄く開かれている。もう私をはっきりと捉えてはいないようだったが、必死に焦点を合わせようとしていた。
「喋らないで! 大丈夫、大丈夫だから……! 私が、必ず助けるから!」
「……約束……」
彼は何かを言おうとする。約束。焼きたてのパンに塗って一緒に食べるはずだった、あのジャム。彼の胸ポケットで、血に染まりひび割れた瓶から、甘い香りと血の匂いが混じり合って立ち上る、果たされぬ約束。彼の震える手が、その胸元を弱々しく掴もうとして、滑り落ちた。
「……あんたの……作ったもん……食いたかった、な……」
そして彼は、力なく、本当に力なく、微笑んだ。
それは、私が今まで見たどの彼の笑顔よりも優しい微笑みだった。
その微笑みを最後に、彼の瞳からすうっと最後の光が消えた。握っていた手から力が抜け落ち、だらりと地面に垂れる。
「……あ……ああ……あああああああああああっ!」
言葉にならない叫びが私の喉から迸った。
アルベルトが、死んだ。
私の腕の中で。私の、せいで。

その瞬間だった。
まるで天が裂けたかのような凄まじい閃光が、戦場を白く染め上げた。空気がビリビリと震え、神聖とも冒涜的とも言えるほどの魔力の圧力が広場を支配する。
何事かと顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
閃光の中心、アルベルトの亡骸を抱く私のすぐそばに、一人の青年が音もなく立っていた。
黒い髪、黒い瞳。あの日大神殿に召喚された異世界の勇者、タイヨウ。

彼は眼下に広がる地獄のような惨状――燃え盛る家々、倒れた住民、そしてアルベルトの亡骸を抱きしめて泣き叫ぶ私を見て、その表情を凍らせた。
次の瞬間、彼の全身からこれまで感じたことのないほど凄まじい怒りのオーラが迸った。それは冷たく静かで、しかし全てを破壊し尽くさんとする絶対的な憤怒。
彼の姿がブレた。
そう見えた時には、彼はすでに私を嘲笑っていた盗賊団の頭目の前に立っていた。
頭目が驚愕に目を見開く暇もなかっただろう。
タイヨウが振るった剣は音さえも置き去りにした。ただ一閃。それだけで、頭目の巨体はまるで紙のように真っ二つに分かたれていた。

それは、殲滅だった。
義勇団が命を懸けて必死に食い止めていた盗賊たちが、まるで虫けらのように次々と斬り伏せられていく。
それは戦いですらなかった。あまりにも一方的な殺戮。生き残っていた義勇団の一人が、その光景を前に「俺たちの死闘は…この男にとっては…」と絶望に喘いだ。
タイヨウの剣が振るわれるたび、光の斬撃が走り、数人の盗賊がまとめて吹き飛ぶ。彼の動きは人間の目では追うことさえできず、ただ彼が通り過ぎた後に夥しい数の死体が転がっているだけだった。
なぜ。
なぜ、今になって。
その圧倒的な力をただ呆然と見つめながら、私の心には悲しみとは違う、どす黒い感情がマグマのように湧き上がっていた。
なぜもっと早く来てくれなかったのだ。
あなたが、あと少しでも早くここにいれば、アルベルトは死なずに済んだのに。

戦いは本当に一瞬で終わった。
あれほど町を蹂躙していた盗賊団は、タイヨウが現れてからわずか数分で完全に沈黙した。
戦場には不気味なほどの静寂が戻る。生き残った住民たちは、そのあまりに神がかった、そして悪魔的でさえある光景に声も出せずに立ち尽くしていた。救世主の到来を喜ぶべきか、その圧倒的な力を恐れるべきか、誰にも分からなかった。

タイヨウは血一滴浴びていない剣を静かに鞘に納めた。
そしてゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。灰と血の舞う中を、彼は静かに、ためらうような足取りで進んでくる。
彼の顔から先ほどの氷のような怒りは消え、今はただ深い深い悔恨の色が浮かんでいた。彼は私の前に立つと、心の底から悔やむように声を絞り出した。

「すまない……。間に合わなかった」

その謝罪の言葉が引き金だった。
私の心の中でかろうじて保たれていた最後の理性の糸が、ぷつりと切れた。
私はアルベルトの冷たくなっていく亡骸を強く抱きしめたまま顔を上げた。憎悪に燃える瞳で、目の前の英雄を、神様を睨みつけた。

「間に合わなかった……?」
私の声は、自分でも驚くほど冷たく乾いていた。
「そうね、間に合わなかったわ。あなたは間に合わなかった! この人が死ぬまで、あなたはどこで何をしていたの!?」
絶望が激情へと変わる。捌け口のなかった悲しみと無力感が、理不尽な怒りとなって彼へと向かう。

(私は信じていた。いつか、人々が私の力に頼らずとも、自分たちの手で未来を築ける日が来ることを。私の癒しの力は、あくまでその手助けにすぎないのだと。領主として、みんなが自分の足で立てるように導くことが私の役目だと、そう信じていた。そして、アルベルトがその未来を一緒に創ってくれると信じていたのに……!)

「その力は何!?」
私は叫んだ。
「今更現れて敵を全滅させて……! それで英雄のつもり!? 救世主のつもり!?」
「……っ」
「あなたの力は死んだ後にしか間に合わないの!? 死体の数を増やすためだけにここに来たの!? あなたは何も救えなかったじゃない! この人も、この町も、私の心も! あなたは何一つ救えなかった!!」

私の言葉が刃となって彼に突き刺さるのが分かった。彼はまるで自分自身が斬りつけられたかのように苦痛に顔を歪め、一歩後ずさる。

「誰も救えないのなら……」
私は最後の、最も残酷な言葉を彼に叩きつけた。

「その力に、何の意味があるの!?」

タイヨウは何も言い返せなかった。
彼はただその場に立ち尽くす。その瞳には、彼自身の無力さへの絶望と、私の言葉によって深く刻みつけられた癒えることのない傷の色が、暗く揺らめいていた。

英雄と無力な神様。
私たちの間には、決定的で、あまりにも冷たい断絶が生まれてしまった。
燃え落ちる家々を背景に愛する者の亡骸を抱く私と、世界を救う力がありながらたった一つの命さえ救えなかった英雄が、ただ静かに対峙していた。
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