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第27話:氷の再会
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あの日から、数週間という時間が意味もなく過ぎていった。
カインが死に、私の魂もまたあの血だまりの中に沈んだ日から、季節はまるで私の心の凍結を待っていたかのように、ただ静かに冬へと向かっていた。朝晩の空気は刃物のように鋭さを増し、地面は霜で白く化粧をする。吐く息の白さが、自分がまだ生きているという事実を、皮肉に映し出していた。
私の町は、もはや私の町ではなくなっていた。
魔王軍の侵攻を食い止めるための最前線。王国軍の一大拠点。それが、この町の新しい名前だった。王都から派遣されてきた本隊が、私たちのささやかな畑を踏み潰し、巨大な軍用天幕を次々と設営していく。私が子供たちに文字を教えていた広場は武具の修理場と化した。静かだった通りは、見知らぬ兵士たちの規律正しい、しかし無機質な足音と号令の声で満たされている。それは、私の心を埋めていた静寂を、容赦なく踏みにじる音だった。
鍛冶場の前を通るたび、聞こえてくるのはアルベルトの、命を吹き込むようなリズミカルな槌音ではない。ただひたすらに矢じりを量産する、感情のない金属音だけだった。収穫祭の夜に響き渡っていた温かい笑い声は、もうどこにもなかった。
平穏は、軍靴の音に完全に踏み潰されてしまったのだ。
その軍勢の先頭に立って彼がこの町に到着した日、私は遠くからその姿を見ていた。
タイヨウ。
あの日、私に最も残酷な言葉を投げつけられた異世界の勇者。
彼はもはや大神殿に召喚された時の戸惑える少年ではなかった。王家から与えられたであろう白銀の美しい鎧を身に纏い、その腰には聖なる気を放つ長剣を佩いている。その姿はまさしく物語に謳われる英雄そのものだった。
しかしその表情は固く、険しい。彼の瞳は熱狂的に彼を迎える兵士たちではなく、町の片隅、その群衆のどこかにいるはずの私を探しているようだった。
私は彼と目が合う前にそっとその場を離れた。
彼が私に何を思うのか。私にはもう関係のないことだった。
私の名はいつしか王都にまで届いていたらしい。
『月の雫の乙女』。
その、私にとってはもはや何の感慨ももたらさない呼び名と共に、私の卓越した治癒能力は王国軍にとって無視できない戦略的資産となっていた。私は有無を言わさず軍の医療部隊へと組み込まれた。
かつて私が住民たちのために開いた救護所は、今や巨大な医療天幕へと姿を変え、そこが私の新しい世界となった。
私は誰とも言葉を交わさなかった。
ただ黙々と運び込まれてくる負傷兵の治療にあたるだけだった。
「ありがとうございます、月の乙女様!」
感謝の言葉に私は小さく頷くだけ。
「どうか、ご無理なさらず」
気遣いの言葉に私は何の反応も返さない。
私の目には兵士たちの顔も、その言葉に込められた感情も、何も映っていなかった。ただ「傷」という事実だけを認識し、それを私の魔力で「修復」する。その機械的な作業を繰り返すだけ。
(傷。光。修復。次へ)
思考は、その単純なループだけを許されていた。
その姿はある者には「聖女」のように見え、ある者には魂のない「人形」のように見えたという。
その日も、私はいつものように最後の負傷兵の治療を終え、侍女に付き添われて天幕から一歩外へと踏み出した。
その時だった。彼の姿が、私の視界に飛び込んできた。
タイヨウ。
彼は仲間らしき者たち――屈強な岩のような戦士、俊敏そうな金色の瞳を持つ獣人の青年、そして気高い雰囲気のエルフの女性――と共に、そこに立っていた。
彼の視線は、ずっと私だけを射抜いていた。その黒い瞳には、私がよく知る深い罪悪感と、何かを必死に伝えようとする痛々しいほどの願いが浮かんでいた。(ごめん。話がしたい。どうか)と、その目が雄弁に語りかけてくる。
彼の仲間たちが固唾をのんで私たちを見守っているのが、張り詰めた空気で分かった。
だが、私の心は凍てついた湖面のように、何の波紋も広げなかった。
タイヨウが、仲間たちの間を抜け、ゆっくりと私の前に歩み出てくる。一歩、また一歩と近づくにつれて、彼の瞳の願いはさらに強くなる。
そして、彼は震えを抑えるような声で、私に語りかけた。
「セレスティア…。久しぶり、だな」
その言葉には、彼がこの瞬間のために抱えてきたであろう、万感の想いが滲んでいた。
私は、彼の言葉が紡いだ微かな熱さえも、心の奥底で瞬時に凍りついていくのを感じた。
彼が次の言葉を発する前に、私は完璧な礼法で深く、深く頭を下げた。それは、かつて王宮でエドワードの前でさえ見せたことのないほど、洗練され、そして冷たい所作。
顔を上げ、私は彼の目をまっすぐに見つめ返した。
私の瞳には、もうかつての怒りの炎さえ宿ってはいない。ただ、どこまでもどこまでも静かな氷原が広がっているだけだった。
そして、私は告げた。彼との全ての過去を、関係性を、完全に拒絶する、絶対的な一言を。
「治癒師セレスティアです。ご命令を、勇者様」
その声は、完璧に感情を排した、ただの音の羅列だった。
その言葉は、見えない氷の刃となって彼の胸を貫いたのだろう。タイヨウの顔から血の気が引き、その瞳から最後の希望の光が消えるのを、私は無感動に見ていた。
背後で、あの屈強な戦士が「何だと…!」と押し殺した怒りの声を上げるのが聞こえた。だが、それも気高いエルフの女性に制されたようだった。
私は、抜け殻のようになった彼に一瞥もくれず、その横をすり抜けて歩き去った。
英雄と月の雫の乙女。
私たちの間に横たわる、深くそしてあまりにも冷たい溝を、彼の仲間たちもまた目の当たりにした瞬間だった。
カインが死に、私の魂もまたあの血だまりの中に沈んだ日から、季節はまるで私の心の凍結を待っていたかのように、ただ静かに冬へと向かっていた。朝晩の空気は刃物のように鋭さを増し、地面は霜で白く化粧をする。吐く息の白さが、自分がまだ生きているという事実を、皮肉に映し出していた。
私の町は、もはや私の町ではなくなっていた。
魔王軍の侵攻を食い止めるための最前線。王国軍の一大拠点。それが、この町の新しい名前だった。王都から派遣されてきた本隊が、私たちのささやかな畑を踏み潰し、巨大な軍用天幕を次々と設営していく。私が子供たちに文字を教えていた広場は武具の修理場と化した。静かだった通りは、見知らぬ兵士たちの規律正しい、しかし無機質な足音と号令の声で満たされている。それは、私の心を埋めていた静寂を、容赦なく踏みにじる音だった。
鍛冶場の前を通るたび、聞こえてくるのはアルベルトの、命を吹き込むようなリズミカルな槌音ではない。ただひたすらに矢じりを量産する、感情のない金属音だけだった。収穫祭の夜に響き渡っていた温かい笑い声は、もうどこにもなかった。
平穏は、軍靴の音に完全に踏み潰されてしまったのだ。
その軍勢の先頭に立って彼がこの町に到着した日、私は遠くからその姿を見ていた。
タイヨウ。
あの日、私に最も残酷な言葉を投げつけられた異世界の勇者。
彼はもはや大神殿に召喚された時の戸惑える少年ではなかった。王家から与えられたであろう白銀の美しい鎧を身に纏い、その腰には聖なる気を放つ長剣を佩いている。その姿はまさしく物語に謳われる英雄そのものだった。
しかしその表情は固く、険しい。彼の瞳は熱狂的に彼を迎える兵士たちではなく、町の片隅、その群衆のどこかにいるはずの私を探しているようだった。
私は彼と目が合う前にそっとその場を離れた。
彼が私に何を思うのか。私にはもう関係のないことだった。
私の名はいつしか王都にまで届いていたらしい。
『月の雫の乙女』。
その、私にとってはもはや何の感慨ももたらさない呼び名と共に、私の卓越した治癒能力は王国軍にとって無視できない戦略的資産となっていた。私は有無を言わさず軍の医療部隊へと組み込まれた。
かつて私が住民たちのために開いた救護所は、今や巨大な医療天幕へと姿を変え、そこが私の新しい世界となった。
私は誰とも言葉を交わさなかった。
ただ黙々と運び込まれてくる負傷兵の治療にあたるだけだった。
「ありがとうございます、月の乙女様!」
感謝の言葉に私は小さく頷くだけ。
「どうか、ご無理なさらず」
気遣いの言葉に私は何の反応も返さない。
私の目には兵士たちの顔も、その言葉に込められた感情も、何も映っていなかった。ただ「傷」という事実だけを認識し、それを私の魔力で「修復」する。その機械的な作業を繰り返すだけ。
(傷。光。修復。次へ)
思考は、その単純なループだけを許されていた。
その姿はある者には「聖女」のように見え、ある者には魂のない「人形」のように見えたという。
その日も、私はいつものように最後の負傷兵の治療を終え、侍女に付き添われて天幕から一歩外へと踏み出した。
その時だった。彼の姿が、私の視界に飛び込んできた。
タイヨウ。
彼は仲間らしき者たち――屈強な岩のような戦士、俊敏そうな金色の瞳を持つ獣人の青年、そして気高い雰囲気のエルフの女性――と共に、そこに立っていた。
彼の視線は、ずっと私だけを射抜いていた。その黒い瞳には、私がよく知る深い罪悪感と、何かを必死に伝えようとする痛々しいほどの願いが浮かんでいた。(ごめん。話がしたい。どうか)と、その目が雄弁に語りかけてくる。
彼の仲間たちが固唾をのんで私たちを見守っているのが、張り詰めた空気で分かった。
だが、私の心は凍てついた湖面のように、何の波紋も広げなかった。
タイヨウが、仲間たちの間を抜け、ゆっくりと私の前に歩み出てくる。一歩、また一歩と近づくにつれて、彼の瞳の願いはさらに強くなる。
そして、彼は震えを抑えるような声で、私に語りかけた。
「セレスティア…。久しぶり、だな」
その言葉には、彼がこの瞬間のために抱えてきたであろう、万感の想いが滲んでいた。
私は、彼の言葉が紡いだ微かな熱さえも、心の奥底で瞬時に凍りついていくのを感じた。
彼が次の言葉を発する前に、私は完璧な礼法で深く、深く頭を下げた。それは、かつて王宮でエドワードの前でさえ見せたことのないほど、洗練され、そして冷たい所作。
顔を上げ、私は彼の目をまっすぐに見つめ返した。
私の瞳には、もうかつての怒りの炎さえ宿ってはいない。ただ、どこまでもどこまでも静かな氷原が広がっているだけだった。
そして、私は告げた。彼との全ての過去を、関係性を、完全に拒絶する、絶対的な一言を。
「治癒師セレスティアです。ご命令を、勇者様」
その声は、完璧に感情を排した、ただの音の羅列だった。
その言葉は、見えない氷の刃となって彼の胸を貫いたのだろう。タイヨウの顔から血の気が引き、その瞳から最後の希望の光が消えるのを、私は無感動に見ていた。
背後で、あの屈強な戦士が「何だと…!」と押し殺した怒りの声を上げるのが聞こえた。だが、それも気高いエルフの女性に制されたようだった。
私は、抜け殻のようになった彼に一瞥もくれず、その横をすり抜けて歩き去った。
英雄と月の雫の乙女。
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