月の雫と地の底の誓い

YY

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第45話:癒えぬ傷、支え合う魂

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あれほどまでに賑やかだった祭りの熱気が嘘のように静まっていく。
広場のかがり火も今はもう小さな熾火となり、最後の家族が眠ってしまった子供を背負って家路につく頃。町には心地よい疲労感と深く満ち足りた静かな夜が訪れていた。
私もタイヨウと館へと戻り、窓の外に広がる穏やかな闇を眺めていた。
今日の人々の幸福に満ちた笑顔。その一つ一つが私の心の中で温かい光となって瞬いている。

ふと隣にいたはずのタイヨウの気配が消えていることに気がついた。
祭りの後、彼は私に一言「少し風にあたってくる」とだけ告げて部屋を出ていったのだ。
胸にかすかな不安がよぎる。
私たちは幸せだ。だが、あの壮絶な戦いで刻みつけられた傷が完全に癒えることはないのだと知っている。
楽しい時間の後ほどふと訪れる静寂。その静寂が時として忘れようとした過去の痛みを呼び覚ますことがあるのだ。

私はそっと部屋を出て彼の姿を探した。
彼は書斎にいた。
扉が少しだけ開いている。中のランプの柔らかな光が廊下へと漏れ出していた。
私は音を立てないようにそっと中を窺う。
タイヨウは一人窓際に佇んでいた。
その背中はどこか固く、そしてひどく孤独に見えた。
彼はただじっと夜空に浮かぶ月と星々を見上げている。
その瞳に今、何が映っているのだろうか。
私は彼のその静かな時間にそっと寄り添うことを決めた。

私は静かに書斎の扉を開け中へと入った。
絨毯が私の足音を吸い込んでいく。彼はまだ私の存在に気づいていないようだった。
彼の視線は窓の外の夜空と、そして窓ガラスに映る部屋の中のある一点に固く注がれている。
その視線の先を追い、私は息を呑んだ。

書斎の壁。
そこには魔王討伐の記念として彼の白銀の聖剣が静かに飾られていた。
月の光を浴びてその刀身は冷たいが、神々しいほどの輝きを放っている。世界を救った英雄の剣。誰もがそう賞賛するだろう。
だがそれを見つめるタイヨウの横顔は誇りや達成感とは無縁だった。
その表情に浮かんでいるのは深い深い哀悼の色。
彼はその剣の輝きの中に栄光ではない別のものを見ていた。
この剣が英雄の剣となるために流されたおびただしい血の記憶を。
払われたあまりにも多くの犠牲の重さを。
彼は今も一人その重圧と向き合っているのだ。
英雄として生き残ってしまった者の終わらない十字架。

その痛ましいほどの孤独。
私にはそれが痛いほど分かった。
なぜなら私もまた同じ癒えることのない傷をこの胸に抱いて生きているのだから。

私は音もなく彼の隣へと歩み寄った。
そして何も言わずにただ彼と同じように、窓ガラスに映る聖剣の冷たい輝きを見つめる。
私の気配に気づいていたのだろう。彼はしばらく黙ったままだったが、やがて重いため息と共にその心の奥底にしまい込んでいた弱音を吐露し始めた。

「……時々、考えるんだ」
その声は英雄のものではなく、ただ深く傷ついた一人の青年の声だった。
「もっと違うやり方があったんじゃないかって……。俺がもっと強ければ。もっと賢ければ。あれほど多くの犠牲を払わずに済んだんじゃないかって……」
彼の視線が聖剣の輝きの中にあの日の地獄を見る。
「みんな俺を英雄と呼ぶ。でも俺の頭にこびりついて離れないのは勝利の歓声じゃない。救えなかった人々の顔なんだ。カインもアルベルトさんも……そして名前も知らない多くの兵士たちも……」
彼はそこで一度言葉を切り、苦しげに続けた。
「結局、変われていない気がする。この手には、壊す力しか残っていない――そう思えてならないんだ。本当に大切なものはいつだって指の間からこぼれ落ちていく……」

私は彼のその痛ましいほどの告白を遮らなかった。
「それは違う」などという安易な慰めの言葉は、何の救いにもならないことを知っていたから。
私はただ黙って彼の全ての痛みと後悔を受け止める。
彼の弱さを初めて見せてもらえたことが、彼の絶対的な信頼の証のように感じられた。
その信頼に私もまた応えなければならない、と。

彼の痛ましいほどの告白。その重い沈黙が部屋を支配する。
私はそっと彼の手を取った。驚きに彼の肩がかすかに震える。
私はその冷たくなった指先を私の両手で優しく包み込んだ。

「私も同じですわ」
私の静かな声が響く。
「私もアルベルトやカインを思い出さない日はありません。特に今日のような幸せな日の夜ほどふと考えてしまう。もし彼らがここにいてくれたなら、と」
私は初めて彼に自分の心の奥底にある癒えることのない傷を打ち明けた。
「失ったものの大きさを思えば今も胸が張り裂けそうになる」
けれど、私は彼の手をそっと握りしめた。

「でもあなたが隣にいてくれる。だから私は前を向けるのです」
「あなたは救えなかった命のことばかりを数えるけれど」
私は彼のその苦悩に満ちた瞳をまっすぐに見つめ返した。
「あなたは私を救ってくれました。あの玉座の間で私の命を。そして絶望の淵にいた私の心を。それが揺るがしようのない私の真実です」

私の言葉にタイヨウの瞳が大きく揺れた。
彼の固く閉ざされていた唇がかすかに震える。
やがてその瞳から一筋、静かに涙がこぼれ落ちた。それは悲しみの涙ではない。ようやく重すぎる十字架を共に背負ってくれる存在を見つけた安堵の涙だった。
私たちはもう何も言わなかった。
ただ互いの癒えることのない傷を認め合い、その痛みを分かち合うように静かに寄り添う。
派手な愛情の言葉など必要ない。
こうして互いの弱さを支え合うことこそが私たちの平穏の礎なのだと、再確認するだけで十分だった。
窓から差し込む月の光が、そんな二つの魂をどこまでも優しく照らし出していた。
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